20241025 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」0030 宮本常一「忘れられた日本人」 愛国心について
なんだかんだ言って、日本は良い国だと思います。問題だらけなんですけれど。特にぼくは変わった人なので「同調圧力」が苦手です。でもそれは世界中どこも一緒。どの国もやっぱり問題だらけなのです。
隣の芝生は青く見えるものだし、幸福の青い鳥は結局どこをさがしても見つかりません。
近代国家というありかたの歴史はそれほど長くありません。日本、という国家が誕生してからせいぜい二百年ぐらいしか経っていない。だから、愛国心という概念そのものが非常に新しい考えなんですけれど、今日はそのことは触れずに、ざっくり日本、という言葉を使うことにします。
民俗学者の宮本常一さんの「忘れられた日本人」は、素晴らしい本です。1960年に書かれた本なのですが、その当時、忘れられようとしていた、古代、中世から続く庶民の仕事、信仰、暮らしを暖かい視点で記録しています。
特に、宮本常一さんのおじい様の話が面白い。山口県大島に生まれて亡くなった農民です。
おじいさんの昔話の中に、クロという犬の物語があります。大切に飼っていた黒い犬が近所の子供にいじめられて困るので、「そだててやりたいが、みんながいじめるからかわいそうでならぬ。このさきには親切にしてくれる家もあろうから、これからさきへいってみい」と村はずれに捨てに行ったそうです。クロはまるで言葉を理解したように、その場で別れました。数年後、おじいさんがある時道に迷い、日が暮れてしまった。困って道でうずくまっていると、黒い犬が現れ、人家まで道案内をしてくれたとのことでした。
宮本常一さんが子供の頃、森を怖がっていると、おじいさんは「どこへ行っても、何をしても、自分が悪いことをしておらねば、みんな助けてくれるもんじゃ」と教えてくれました。
それ以来、宮本常一さんは民俗学の資料採集の旅で日本中どこへ行っても、夜の山道で恐れることはなかったといいます。
どれも素朴で、難しいお話はありません。昔の日本人の善良な心が時にユーモアを交えて語られます。
日本古来の庶民の知恵、道徳心、ユーモア、時に過酷な自然とのかかわり方、そして運命に対する心構えに胸を打たれます。
教科書で学ぶ「日本」は、政治にかかわる偉い人や、戦争の話ばかりです。
一方、民俗学は、普通の人々の生活を丹念に拾い起します。農村での意思決定の「よりあい」の様子などを見ると、論争や多数決による近代的な意思決定のやり方が、むしろがさつなものに思われるほどです。
愛国心が声高に語られる昨今ですが、気になるのは、それがほとんど全て近代国家になってからの日本であり、政治や経済の表舞台のことばかりだということです。
日本は古代、中世、近世という時代と、支配階級、農民、漁民、山での仕事を生業とする人々、芸能民、乞食などの流浪の民などの身分、そして中央だけでなくたくさんの地方が重層的に織りなすタペストリーのような世界です。大和朝廷、幕府、明治政権の歴史は日本の表層にすぎません。そして美しいことばかりではありません。悲惨なこともたくさんある。それらすべてを含めて、日本なんです。
宮本常一さんの「忘れられた日本人」。名著です。
特に愛国者を自認する方々で、未読の方におすすめします。きっと、もっと深く、しなやかに、そして骨太に日本を愛するようになることでしょう。