20240723 イラストエッセイ「私家版パンセ」0034 敵を愛せ 嫌いな人を許すことは自分を許すこと
嫌いな人、というものはどんな人にも必ずあるでしょう。
嫌いな人のことを考えるのは不愉快ですが、なぜかいつもその人のことを考えてしまう。限りある人生をもっと楽しく暮らせばよいのに、なぜか好きなことを考える時間よりも嫌いな人のことを考えている時間の方が長かったりもします。
どうしても気になってしまう嫌いな人がいる。
それはその人が自分に似ているからだと、心理学の世界では言われることがあります。
誰にでも自分でも認めたくない一面、欠点というものがあります。ユング心理学ではこれを「影」と呼びます。人は自分の認めたくない側面、欠点を持つ他人を嫌います。そこに自分の「影」を投影してしまうからなのです。
嫌いなひとを「絶対に許せない」と言うことは、とりもなおさず自分を許せないと言っていることになるのです。
反対に、嫌いな人でも「まあいいか」と受け入れることは、自分の欠点を受容することになります。
自己受容は心の平安にとってとても大切です。人間関係においても、自己受容が足りないと問題を引き起こすことが多いと言われます。
でも自己受容はとても難しい。なぜなら、自己を受容すると言っても、自分とは何か良く分からないからです。
そんな時、嫌いな人を「まあいいか」と受け入れる練習をしてみることをおすすめします。嫌いな人とはあなたが認めたくない自分そのものだからです。
聖書にある「汝の敵を愛せ」という言葉は多くの場合、クリスチャンにとってさえ、不可能事であるとされます。そんなことは神にしかできないと。
でも、嫌いな人を許すことは自分を許すことだとすると、この聖書の言葉は違った意味を持ってきます。
聖書は自分を愛せ、と言っているのです。人を嫌うことは自分を傷つけているのだと。
嫌いな人を好きになることは難しい。しかしせめて「許す」ことを練習してみることをおすすめします。本当に許す必要もありません。心の中で、「おまえを許す!」と叫ぶだけでいいんです。
試しに「お前を絶対にゆるさない!」とも叫んでみてください。
そしてどちらが楽になるか比べてみてください。
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