死んだ母の贈り物。
母を亡くして、命の儚さを知った。
でも、死をもって命の美しさを教えてくれたのも、
また母だった。
イギリスの大学で授業を教えながら論文書いてた時は、とってもとっても忙しかった。季節の匂いも旬の野菜のこともよく分からないまま、スーパーに並ぶ綺麗な野菜を機械的にカゴに入れては、栄養さえ取ればいいような食事を時短で作って食べてたの。生きることは忙しいことだった。頭をたくさん使って生きてた。石でできた大学の校内で五感を使うことは滅多になかった。学会があれば世界中飛び回って、パスポートのスタンプをたくさん増やした。その時は、美しい論文を書くイギリス人とスウェーデン人の学者を尊敬してて、彼らみたいになりたいと思って生きてた。でも同時にアカデミアの視野狭窄な世界観にがっかりしてたんだ。
母が死んで、自然豊かな地元に帰ってきた。最初は一時帰国のつもりだったの。大好きな祖母は認知症で、母は天国だしなあ、とか考えながら自然の中をたくさん散歩した。祖母も母もいなくなった故郷で、自然だけが何も変わらずに私のことを受け入れてくれた。イギリスで脳みそだけ使って生きてた時は気づかなかったけど、ほんとの自分はボロボロだったんだって、初めてわかった。私はもう女性としてのルーツをなくしてしまったんだ。このままあのマスキュラン(男性的)なアカデミアに戻っても、もう自分に嘘ついて生きていけないな、って気づいてしまった。「家族」っていうのが怖くてプロポーズを仄めかされても手に脂汗にぎって逃げてきたし、もう一度自分の家族のルーツに向き合おうとも思った。まずはこのボロボロの女性をちゃんと愛してみよう、そう決めたんだ。
でも、それが幸いだったの。今が人生で一番楽しいから。
川口由一さんの自然農に出会って、命豊かな野菜をつくるのに夢中になってる。今年はお米まで作り始めて、地球と自然と共存する生き方をしてる仲間の輪がどんどん広がってきて、それが楽しくて仕方がない。早朝の野菜や草花を包む空気はとても澄んでいて、益虫も害虫も鳥もみんな分け隔てなく命はなやぐのを見てるのが好き。誰も排除しないし、みんな生きてていいよ。(フリースクールで不登校の子を教えてるんだけど、そういえば彼らに伝えてるメッセージも全く同じだな。)それから、母なる大地に育てられた野菜や漁師さんにもらうお魚を、ちゃんと料理してゆっくり味わうのも大好きになった。気がついたら私は、野菜や草花のルーツ(根)をたくさん育ててた。以前ほど母への喪失感をあまり感じなくなったのは、私がちゃんとフェミナン(女性的)なルーツをしっかり受け継いできたからなのかな。
母が死をもって教えてくれたんだと思う。
生きることは幸いなこと。
生きることは喜ばしいこと。
生きることは奇跡だってこと。
五感を使ってこの美しい星を感じつくすね。
おかあさんどうもありがと。
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