金が無くて行きたいイベントに行けなかった。 着なくなったTシャツと読み終わった漫画をテキトーにリュックに突っ込んでバイト終わりにBOOKOFFに持って行ったけど、数百円にしかならなかった。これじゃエントランスも払えないから諦めるしかない。人生そんなに甘くなかった。涙がしょっぱいのはそういうことでしたか。 しょうがないからコンビニで発泡酒を買って、家で「反逆のパンクロック」を観ることで自分の反逆精神を収めようとした が、夜中になって前にメルカリに出してたバッグが売れた通知が来
パンクしたまま放っておいた自転車をようやく直し、鴨川を下って三条へ向かった。最近一緒になった相棒と、友達の展示を見に出る為だ。秋風がいくらか通るようになったが、まだ太陽がつむじを照りつけている。 久しぶりに乗った自転車の上から京都を俯瞰して見ていたら、高一の夏(もう10年も前になるが)、母に連れられて来た京都でのことを思い出した。 「本なんてモンは真面目腐ったカッコ付け野郎が読むものだ」というひん曲がった思想を持っていた当時の私は、文学との接点が全く無かった。そんなバカ娘
言葉の重さは人それぞれ違う。軽い気持ちで言った言葉が誰かを深く傷つけてしまう時もあるし、軽い気持ちで言われた言葉を本気で信じてしまう時もある。 何年も何年も大切に心の奥にしまって生きてきた大切な言葉があったとしても言った本人は忘れてるってことなんか、ザラにある。 それに気がついてしまった時から、人に大切なことなんか簡単に言えないし、簡単に信じることもできない。本気で言ってくれてたとしても。 期待しなければ、絶望することも無くてすむ。 でも、もう一回本気で信じられるような、絶
自分に怒っているのか、他の何かに怒っているのかも分からない。分からないけどとにかく何か見えないものに怒っている。この行き場のない怒りをどうしたらいい。 ひとりでも強く、カッコよく生きていたい。 強くてカッコいい奴になりたい。 殴られようが、刺されようが、澄ました顔で凛と立って、何もかも全部一人で背負っていける様な、そんな奴になりたい。 自分の不甲斐なさに打ちのめされそうになる。 ガキくさい、甘い自分が嫌になる。 思ってる事と全然違うダサい行動を取ってしまって絶望する。何
矛盾です。矛盾が1番矛盾してない。 例えば愛と暴力、信念と疑心、BeRealとフェイク。 1番大切なものが1番恐ろしく、1番信じたいもの程疑ってしまうという純粋で分かりやすい矛盾こそが、1番矛盾してないものだと思います。本物で、信頼できる。 ゼロは無限だけど、一兆は有限。一見雑魚に思えるゼロが一番完全。次に限りなく完全に近いのが99。100になってしまった途端になんか全部が面白く無くなって、しょうもないものに見える。 サクラダファミリアが完成してしまったらもうそれはサ
生きた年数が増えるに連れて手の届く場所は広くなり、望もうが望むまいが出来ることが増える。子供の頃は私の周りを取り巻いていた環境はとても狭く、無知で、遠くのものはあまり手に入りませんでした。 大人になれば少し望めば手に入ってしまうものや、本当にやりたい訳では無いのに出来てしまう事は必然的に増える。本当に心から欲しいものは何なのか、心からしたいことは何なのかが分からなくなる事があります。多くの人はその様にして道に迷うのかもしれない。 幼い日の自分は何に目を輝かせていたか、必死
思い返してみて初めてやっと、その時は分からなかった事が分かったりします。本当に分かったのか、それは本当に事実なのかということは置いといて、時間が経って振り返るとあの時のことが分かったような気がすることがある。大抵のことはそんな風な気がします。 今まで「今年の夏をより楽しく過ごせるかもしれない」だとか、「何か新しい刺激的なものを得られるかもしれない」だとか、そういう淡い期待からなんとなく誰かと一緒に居始めて、実際に楽しく夏を過ごし、しっかり泣いたり笑ったりした後、決まって同じ
幼い頃、仮病で学校を休む事が多々あった。 学校に行くのが気怠かったというのも理由のひとつだったが、ただ母と一緒に過ごしたいというのが1番だった。 私がいくら上手く芝居を打った時でも、おそらく母には私が仮病を使っている事など丸っ切りお見通しであった。その証拠に、幼い私が嘘の頭痛を訴えた時、「頭痛薬だ」と言って母が私に飲ませてくれていた薬はビタミン剤だった。その事は、わたしが大人になってから分かった。それでも母は、大抵の場合黙って学校を休ませてくれていた。
気づかぬ内に最低の日から1年が経ったことに気が付きました。 それと同時に、1年もの月日が経ったにもかかわらず空いた穴がまだ塞がって無いことにも気が付いてしまい、その最低さで1年前の最低の記録を更新し、めでたく今日が1番最低な日になりました。 この1年、まさかこんな風に過ごせるとは想像も出来なかったくらいの幸せな瞬間も、楽しい瞬間も沢山ありました。でも、この事実に気づいてしまった今日、この1年間のそれらの瞬間は"時間が全て解決してくれるという安心"の元にあったものだということを
12時間のフライトでバキバキになった体でLAXに着いた飛行機を降り、乾いた空気と少し甘い匂いを感じたのが最初でした。 いつか忘れてしまわない様自分の為に、思い出した事を書き残しておこうと思います。順を追って振り返るのは難しいので飛び飛びに記録します。 6月下旬、語学学校が始まる。前半は一応大学が配っていた学生用フリーフードの列に並んで、お菓子やカップ麺を貰って節約に努めた。たまに大学内のキッチンワゴンで売ってた2ドルのフレンチフライか1ドルのホットドッグをお昼に食べた。ホス
「なるべく良い大学に入れれば良いかなあ」となんとなく私立の進学校に入学して、結局勉強は全くせずに高校生活を謳歌していた。それでも後半になってくると、クラス全体の雰囲気が"大学受験モード"になって来る。自分は特に行きたい大学も無かったけど、唯一興味がある事は絵を描く事と英語だった。「美大に行くか外語大に行くかか、、、どうしよう。」一応迷ってはみたものの、美術予備校に通い始めるには時期が遅過ぎるし、ろくに勉強もして来なかった自分に外語大受験は難しそうだった。 どうにかこうにか受