京都の思い出
パンクしたまま放っておいた自転車をようやく直し、鴨川を下って三条へ向かった。最近一緒になった相棒と、友達の展示を見に出る為だ。秋風がいくらか通るようになったが、まだ太陽がつむじを照りつけている。
久しぶりに乗った自転車の上から京都を俯瞰して見ていたら、高一の夏(もう10年も前になるが)、母に連れられて来た京都でのことを思い出した。
「本なんてモンは真面目腐ったカッコ付け野郎が読むものだ」というひん曲がった思想を持っていた当時の私は、文学との接点が全く無かった。そんなバカ娘(15)に突然イナズマを落としたのが、教科書に載っていた梶井基次郎の『檸檬』だった。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。」
「以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪いたたまらずさせるのだ。」
「何故なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗のぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕むしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。」
冒頭の文章で完全に心を奪われてしまい、所謂"文豪"と呼ばれる作家の本を初めて自分で買った。その頃私が抱えていたフラストレーションを見事に代弁してくれていると思った。言語化出来ずソレが何かも分からない苛立ちも含めて、全部そこに書いてあった。見透かされたという気持ちになった。
何年も前に書かれた文章に現役JKの私の気持ちが見透かされるなんて、と不思議な気持ちだった。
短い文章だったこともあり何度も読んで、いつか丸善本店に行こうと決めていた。
親戚が大阪に住んでいる為それまでにも良く関西を訪れる機会はあったが、私が檸檬に落ちた数週間後にも丁度都合良く京都行きが決まった。
行き道の電車ではandymoriを永遠にループで聴いていたのを覚えている。andymoriを聴きながら「アンとジョー」というタイトルで誰に見せる訳でもない(見せられるはずもない)恥ずかしい歌詞を書いていたこともよく覚えている。
そういえば、今朝も相棒がandymoriの話をしていた。だからこの時のことを思い出したのかも知れない。
三条に着き、近くの八百屋さんで母に買ってもらった檸檬をポッケに隠しながら丸善へ向かった。
自分は何かとんでもない大きな事をしているのではないかと言う気持ちになり、ワクワクした。
真っ直ぐ画集コーナーへ行き、店員さんの目を盗んで通路を行ったり来たりしながらリヒターやらロスコの画集をちょっとずつ積み上げた。
30分くらいかけて積み上げた画集が顎くらいまでの高さになったところで、ポケットの中であったかくなってしまったレモンをそっと画集の上に置き、心の中で「バン!」と唱えて爆発させた。
積み上げた画集もレモンもそのままに、丸善を出た。(今思えば、店員さんからすると「またイタイファンがやりよった」という感じだったかもしれない)
やってやった、私はやってやったんだと何かとてつもなくデカい仕事を成し遂げた気分になって、心臓が高鳴った。嬉しくて、丸善を出た足で三条大橋まで走り、橋の上から鴨川を眺めた。今日の風はあの時の風に似てる。
あれから10年経った今では京都に住んでいることも、三条で仕事をしていることも、あの時の爆発の影響だったりしたら面白い。
こういう伏線回収みたいな偶然の事を、相棒がよく「ガイダンスだ」と言っているけど、なるほど、コレがガイダンスか。
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