「魂への配慮」 〜 ソクラテスとルソーの接続
これは、プラトン著『ソクラテスの弁明』とルソー著『社会契約論』の2冊についての読書感想文です。
ソクラテスとルソー、これらの哲学者の間には、実際の歴史的・時間軸的隔たりを超越した思想的近似性があると考えています。このふたりは、他者との接し方に違い(平たく言えば得意不得意)があれど、個人の強さと弱さーソクラテス的に表現すれば「魂への配慮」ーについて苦慮したうえで政治に対する向き合い方に一定の結論を出したという共通項があります。この記事では、この「魂への配慮」をキーワードにしてソクラテスとルソーの思想的アプローチの接続を図ります。
プラトン『ソクラテスの弁明』
◾️背景
アテナイとスパルタとのペロポネソス戦争は、紀元前431〜404年に渡り続いた。これに敗れたアテナイであったが、その後は喜劇や悲劇、建築などの文化が花開き、街は知的刺激に満ちていた。このアテナイで知識人として知られたソクラテスは、人々との対話を交わす人生を送っていたが、紀元前399年、不敬罪の罪で告発された。ソクラテスが繰り返し行なってきた対話が、人々と共同体への害悪となり、これは神を敬わない行為であるとされたためである。裁判の場に連れられ、自らの哲学的信念を貫かんとするソクラテスと、告発者、そして事情を深く知らぬまま籤引きで選任された501人の陪審員による「対話」がここに始まった。
◾️ソクラテスの取り組み
ソクラテスが対話を始めたきっかけとなったのは、神託所で「ソクラテス以上の賢者はいない」との声を受け、それを否定すべく自分以上の知識人を求めたことによります(いわゆるアポロン神託。正確には弟子のカイレフォンが巫女に尋ねた、ということになっている)。自らの不知を確かめるために、政治家や詩人たち、とりわけ自身の知恵に自信をもつ者を尋ね対話を重ねたのですが、対話を通してわかったのは、彼らに高い評判があるものの思慮が足りないことでした。それでもソクラテスは満足せず、更に多くの自信家たちとの対話を重ねていったのですが、色濃く残ったのはソクラテスに論駁された者たちの憎悪でした。彼らの怒りは、彼らの自信を崩されたためだけでなく、ソクラテスのこうした取り組みを若者たちが模倣したからでもありました。名誉を得た自分たちを貶したのみならず、アテナイの若者たちを堕落させたソクラテスへの憎悪。ソクラテスは、自身に対するこの憎悪を、裁判で「古くからの告発」と表現しました。
この裁判ではソクラテスに死刑が求刑されています。「古くからの告発」の告発者(過去にソクラテスにより論駁された政治家や詩人)が求めるのは、ソクラテスの弁明です。アテナイの共同体運営を乱したことを認め、挑戦的な行ないを止めることで、ソクラテスは死刑を免れることができる。ここでのポイントになるのは、死刑かどうかのジャッジは多数決で決まること、そして、この裁判に召集した陪審員らは裁判直前にくじ引きで選ばれた、告発の内容をよく知らない市民であるということです。ソクラテスは、アテナイで"名誉ある"知識人とされています。告発者の要求通りの弁明をすれば死刑を免れる。名誉ある立場ですから、同情を得るのは決して難しい立場ではありません。
ところがソクラテスは弁明することを拒否しました。対話という哲学的行為を断じることこそ神への裏切りであると信じているからです(そもそも彼は神託を受けたことをきっかけにして対話をスタートしている)。彼は、彼の名誉や生命よりも、哲学・対話を貫き通すことを選択しました。これに対し告発者は「恥ずかしくないのか」と詰問しましたが、ソクラテスはこう反論します。「恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは」と。挑発的な返答に加え、ソクラテスは今度は陪審員たちをも「あなた方」と相手取って対話を試みました。この告発の「真実」をよくも理解せず、ソクラテスへの印象・名誉的地位をもって処遇を判断しようとすること自体「魂への配慮」がないというのがソクラテスの主張です。ソクラテスがまるで「古くからの告発」をなぞるようなことを始めたため、同じ感情の煽り方を受けた陪審員らは、論駁された知識人たちと同じように憎悪をためていきました。「古くからの告発」とその憎悪が真実であることが、裁判の場で再現されたのです。
◾️取り組みに対する総括①(ソクラテスの場合)
ソクラテスは、目先の金銭や名誉以上に、真理や魂への配慮の重要性を対話を通して追求しました。当時のアテナイが市民による直接民主制で運営されていたことは歴史上大きな意味を持つとされていますが、今日の政治家に比べればアテナイの市民は政治の素人に等しい。そうした人々による政治がどうすれば善く機能するか。人と人が、真理を突き合わせることでポリスを善くするというアプローチこそが政治であり、それこそが「魂への配慮」なのだとソクラテスは身を以て証明しようとしました。共同体運営には、感情的な反射でなく思慮深さが必要なのだと、70歳のソクラテスは裁判の場で勧告しようと試みたのではないでしょうか。このとてもラディカルなメッセージを咀嚼しきれなかった陪審員らは、ソクラテスへの死刑判決を下すことになりました。彼らの弱さ、そして「魂への配慮」を軸とした対話や決断が難しいことを証明したこのエピソードは、政治哲学のみならず私たち読者の生き方を問われているように感じざるを得ません。
ルソー『社会契約論』
◾️背景
ソクラテスが「魂への配慮」を説いた裁判から約2200年後のフランスでは、王族や貴族は贅を極め欲しいがままの統治を行なっており、彼が批判した「金銭や名誉への配慮」が絶対王政の名の下で堂々と行われた状況であった。国家統治の正当性が問われたこの時代に著されたのが、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』である。
欧州諸国における絶対王政の根拠としての王権神授説に対し、ピューリタン革命後のクロムウェルによる独裁という混乱の中で国家と個人との関係性の理論化を試みたのがホッブズである。その関係性は、「契約」を発端とするという考え方が社会契約説である。ルソーの『社会契約論』もこの考え方の系譜にあるが、これを「社会契約(contrat social)」と表現したのは彼が初めてである。
◾️ルソーの取り組み
ルソーは、まず、社会の成立過程の説明に取り組みました。社会というものが無く、個人という単位しか存在しない状態を自然状態と呼びました。
ルソーは、「人間は本来自由である。しかるに現状において人間は鎖につながれている」と表しています。自由とは、自然状態における個人の主人は自分自身である、ということを示します。そして、現状人間がつながれている「鎖」とは、政府のことを指します。ルソーが問題としているのは、政府(「鎖」)は、その成立過程において人民全員の合意がない、というところです。統治される人民が政府の正当性に合意していない限り、人民は本来個人に帰属すべき自由を侵害されているというのです。統治の正当性と自然状態的な自由は両立されなければいけない。そしてその根拠が社会契約である。これがルソーの論旨です。
ルソーは、社会契約の下の人民の総意を「一般意志」と表現しました。王権神授説が王権を神が保証するという考え方であれば、社会契約説は政府は一般意志の下に置かれるべきである、という位置づけです。
一般意志は、全体意志(人民一人ひとりの意志の総和)とは明確に区別されています。人民の意志には個人的な願望や欲求、そしてそれらを形作る環境要因が含まれており、これを特殊意志と呼びます。そしてこの特殊意志の総和が、全体意志であるというのです。つまり全体意志には、個々人の利害や境遇といった要素が含まれる、ここがポイントです。対して一般意志は、個人の利害は含めず「透明な共同体の意志」でなければならないとルソーは強く定義付けています。共同体にとっての正解があるという前提があり、だからこそ個人の自由を侵害し得ないというのが趣旨なのです。
個人の自由を侵さず全体の合意があるからこそ社会の正当性が担保されるところ、一見してリベラルな主張に思えます。しかしながら、共同体の意志に正解があり、それが可視化された状態で政治運営がなし得るかということについては、疑問が残ります。人民が、時の為政者による恣意的な「正解」を強いられるという状況に陥ることがあってはならないからです。
◾️取り組みに対する総括②(ルソーの場合)
というようにルソーの社会契約論に対して疑問符をつけるのは簡単です。しかしながら、私たちはもっと根本的な点を見つめなければならないと考えます。ルソーは、社会秩序がどのような体制のもと成り立つかということを論じたわけではなく、なぜ秩序の形成に誤謬が生じるかということを説いたのではないでしょうか。その誤謬とは、政治や法を一時の金銭や名誉、つまり個人の利害のために働くことで招かれる。これは、ソクラテスの持った危機感に通じるのではないでしょうか。「魂への配慮」は、たとえアテナイの民主制下であれ、フランス絶対王政下であれ、あらゆる社会に共通のテーマであり、私たちは自身との対話を絶えず行わなければならないのだという教訓のように思えます。
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