障害福祉の現場とは

ずっと書こうと思っていて早1年。障害福祉に携わり早8年。ベテランの方達からしたらまだまだ新米なのかもしれないのだが。会社が始まって以来ずっと思っていることがある。健常者といわれる人間と障害者といわれる人間との間に起こる差別がなかなかなくならない現状はどうにかならないのか、という事。働き始めて最初から思っていたわけではない。一緒に働くうちに、モヤモヤしだした。障がい者に対しても健常者に対しても。

働くスタッフに対しての研修等が開催されると、意見交換の中で誰かは必ず「助けたい。障害のある方の力になりたい。」力になりたい、のは良いのだが「助けたい」はどうしても引っかかるのである。「助けて(あげる)」はどうしても上からに感じてしまう。例えば彼らに障がいがあるからと言って無条件に何かをして差し上げるのは違う。障害福祉はどうしてもボランティア要素が強くなる風潮があるからなのか、メディア等がお涙頂戴の記事を上げたり、世の中の認識が(皆そうではないと思うが)障がい者を弱者と決め込み「助けてあげなければならない人達」となっているからなのかもしれない。

私は現場で働いていて常々思う。よく我々が口にする「普通はさ…」というその「普通」とは一体、誰が決めたことなのだろうか。障がいを持つと「普通」ではなくなってしまうのだろうか。そうではないと私は思う。彼らは決して「特別」ではない。確かにハンディキャップはあるかもしれないが,特別扱いする人々ではないように思う。SDGsが日本でも毎日のように言われ、障害福祉が注目され始めたのは非常に良いことではあるし、周りに認知され始め世界の動きも特に日本での障がい者に対する働きは非常にいい方向に変わり始めているように感じる。だが、やはりまだまだなようにも感じる。言葉だけが宙に浮いている感が否めないのだ。

確かに支援は必要かもしれないが実際に現場で働いていると、同じ人間である以上の事を感じたことがない。だから私は常にこのままで私が考える〔普通〕で接している。ただ最初からそうだったかといわれると正直なところ障害福祉事業を開始した初期の頃は身体障がい者、精神障がい者、知的障がい者といわれる人に対し言葉遣いに気を付けるだとか、これは言っちゃいけないとか、こうしてはいけないだとかを学んで聞いて実践していた。苛々しても笑顔を心掛け、二言目には「大丈夫ですよ」と。ただある一人の利用者の(福祉の現場ではこう呼ぶことが多い)一件を通して大きく変化することになる。知的障がいがあった彼は少し意思疎通が苦手で伝わらない事や、融通が利かなくなると怒りだしてしまうところがあった。仕事する場所でも私的な事で悩みがあると帰ってしまったり、我慢が苦手でスタッフも手を焼いていた。優しく説明しても効果はなく、気を遣えば遣うほどにわがままな要求も増えていった。そこで私自身(ある程度の信頼関係の上で)本気で怒鳴って叱った。いやもういい加減にしろよ!という気分だったのは間違いない。ただ本気でぶつかって思いを伝えてみた。今までは押し殺し、かわいそうだとか自分とは違うんだからとかなんとか考えていたのだが、耐えきれず(いいことではないが)本気モードでぶつかった。(※暴言、暴力ではない)するとそれを期に距離が縮まり始め、逆に信頼関係がより一層深くなり、落ち着いてなんでも相談してくるようになったのだ。毎日見てるようで彼自身を見ていなかったのだ。どんな事で悩み、どんな向き合い方をされれば安定していろんな事に取り組めるようになるのかを。不思議とそこから利用者に対する向き合い方が変わり始めた。「私」のままでいけばいいんだと改めて感じた。彼が私にそのままの自分で接することを教えてくれたのだ。頭でっかちになりすぎて学んだ事を実践しようとするあまりに自分が一番差別的な態度をとっていたのかもしれない。健常者だろうが障がい者だろうがダメなものはダメだし、いいものはいいと感じる。同じように喜び、同じように悲しみ、同じ人間であることに変わりはないのだ。

例えばうつ病の人に頑張って!と言ってはいけないとよく言うが状況ももちろんあることなので一概には言えないのだけれど、絶対に言ってはいけないワードではないし決してそれが正解ではない。すでに頑張っている人に頑張ってとは言わないし、もう少し頑張りたいと思っている人に対しての頑張って!は言われた本人も嬉しそうにする。要するに状況に応じてはその人の大きな励みになる時もあるのだ。

障がいを抱えてからは周りから言い方は少し悪く聞こえるかもしれないが、臭いものに蓋をするかのように接してこられている人が多い。(特に精神障害)家族側もどう接していいかわからず、変に気を遣われ続け、病気や障がいに甘えてしまうところも多々ある。特に甘えの部分は家族に対して多く見られる。家族側もいつしか気分が落ち込む姿を目にしたくなくなり、どんどんと見ないふりをし続けるのだ。線引きができなくなり、いつしか言いなりで(中には家庭内暴力に悩まされている家族も多いが...)なんでもいう事を聞いてもらえると思うようになっている障がいがある子を持つ親をたくさん見てきている。親子といえど子供の年齢は40代後半~だ。早くから理解し、向き合ってきていれば防げた事もたくさんあるのだ。だが家庭で毎日毎日向き合わなければいけないとなるとそうは簡単にいかない事も多々ある。だからこそ福祉事業所が家族と本人の間の役割として日中活動の拠点として存在するのだと思う。なかなかこうしていきたいという理想とこうでなければいけない現実の間で難しいと思う事も多々あるのだが、障害福祉は非常に奥が深く、知識も必要である。人は一人として同じではなく、みなそれぞれ違うという事がよく理解できるし、同じ病名が付いていても一人として同じ症状として現れない(似てる事はあるが)。

今までは存在理由や、私自身が携わる者として変わったきっかけ等を書いてきたが支援者と呼ばれる側のケアの必要性を、次に書きたいと思う。


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