「骨と軽蔑」を観た後に、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏に思いをはせる その1
もう先月のことになるけれど、シアタークリエでケラリーノ・サンドロヴィッチ氏(以下ケラさん)作・演出の「骨と軽蔑」を観劇。ここ数年ケラさんの芝居は必ず観ることにしているので、どんなストーリーだとか出演者は誰とか、前情報を入れずに当日を迎えた。
ただ、会場がシアタークリエだったのには、少しびっくり。2作ほど前には、下北沢「スズナリ」という伝説の小劇場でやっていたというのに。
改めて出演者を見て納得。宮沢りえ、小池栄子他名だたる女優さんが7人も出ている。それぞれの個性が音が聞こえるほどにぶつかり合って展開される会話劇だったのだ。
私は勉強不足でよく知らないのだけれど、演者がお客さんに話しかける芝居、というのはよくあるのだろうか。「客いじり」と言って、お客さんをダシにして笑いを取るようなのは、時々見かけるけれど、犬山イヌコさんが、
「日比谷の皆さん、もうすぐ終わりますからね」
みたいに話しかけてくるのは、初めてで。
かつて読んだニール・サイモンの戯曲集に良く出てきた状況を思いだした。
戯曲集なので、当然だけど文字だけ。頭の中で自分で芝居を組み立てなければならない。客席に話しかけるというのが、どんな感じなのかずっと疑問だったので、
「あ、こういう感じなのか」
と合点が行った。なかなか、ほんわかして笑いも起こる瞬間で、緊迫する状況を一瞬ほぐしてくれた。
テレビや映画で確固たる地位を築いている大女優さんも、時間的拘束も多いと思われる厳しい稽古を経て、それでも舞台に立つのは、その魅力、いえ魔力に魅せられてるんだなということが伝わってくる。激しいセリフの応戦も、ナマだからこその迫力。
そういうことを感じつつの3時間は、とても充実していた。
私がケラさんの芝居にハマるようになったのは、つい4,5年前。大好きなチームナックスの音尾琢真さんが出演するというので、「ドクター・ホフマンのサナトリウム~カフカ第4の長編~」のチケットを買い、KAATに出向いた。
もちろんケラさんのことは、知っていた。観劇する機会がなかった、と言うより、勝手にケラさんのことをわかっているつもりになっていたのだと思う。
なんて、あさはか。
そうして、ごめん。
初めて観たその芝居は、すごかった。あわてて、リピーターチケットを買い、パンフレットも購入したほどに。
勝手な先入観で、もっと不条理を全面に押し出している内容かと思っていたし、何より不条理代表の「カフカ」がタイトルについているのだから、私の頭ではきっと理解できないだろうから、と逆に軽い気持ちで音尾さんだけ観れれば良いや、くらいの感じで臨んだ。
ところが。
とても素敵な照明(これは後になって気づくことだけれど、どの作品も照明が美しい)と舞台装置で、思った以上に楽しませてくれた。
「ケラさんの芝居ってこういう感じだったんだ。今までずっと観ていなくて残念だったなぁ~」
と心底思った。損した気分にさえなった。
それは、30数年前に遡る。1980年代の半ば、ケラさんは「有頂天」というバンドのヴォーカルとして頭角を現わし始めていた。シュールな歌詞と人を煙に巻くような態度といでたち。
レコードデビュー前だったか、スタジオアルタのバルコニーで無料ライヴをやったことがある。記憶が不確かで申し訳ないけれど、アルタの正面の大きなスクリーンが設置されているあたりが、以前はバルコニーになっていて、そこで演奏していたと思う。
新宿駅前広場から見上げる形で、たくさんの観客が縦ノリジャンプをしながら聴いていた。
SNSがないのに、どうやってそのライヴを知ったのかは、まったく覚えていない。
今はもうない、渋谷のライヴ・インにも行った。すごい熱気で、会場が揺れるほどだった。
写真のペンケースは、今でもお弁当に使うカラーピックを入れるのに重宝して現役なのだけれど、これはどのようにして手に入れたのか。
サブスクもないから、音源は買わないといけないのだけれど、もうCDは普通に流通している時代に突入しているはずなのに、なぜかカセットテープで聴いていた。CDをカセットに録音して聴いていたのではなくて、テープを買ったのだと思う。
なぜならレーベルのところにちゃんとデザインが施されていたから。「バイバイ」とか「ホワイトソング」とか入っているやつ。もちろん「ピース」も。その時の付録?
渋谷公会堂(今のLIVE CUBE SHIBUYA)にも行った。おそらく初の渋谷だったと思う。
このように足繁く通っていたこともあったのに、どこかで勝手にわかった気になって、少し遠ざかってしまったのだと思う。それか、チケットが取りにくくなって、あきらめたか。
それももう遠い昔のことなので、よく覚えていない。
ケラさんが芝居を始めたことはもちろん知っていたけれど、このわかったつもりが邪魔をして、
「ああ、そうなんだ」
程度の感想だけで済ませてしまったことを、今では悔やんでいる。