10年前、パティシエールに未来なんてなかった|塩崎桂子
4年振りの現場、元同僚の夫に誘われてTOYOへ
TOYOの前シェフ、大森雄哉氏から塩崎に「塩さん、手伝ってくれませんか?」と連絡が来たのは2018年のことだった。
この年の3月に日比谷ミッドタウンにオープンしたTOYOは、6月にフランス大使館でのケータリングの依頼を受けた。オープン当時は、パティシエが不在だったこともあり、大森氏がケータリングでのデザートの制作を塩崎に依頼したのだ。
「ダイナースクラブ レストランウィーク2018のプレス発表会だっただけでなく、大森さんがフランスウィークのフォーカスシェフに指名されたことも発表される予定でした。そんな大事な会に声をかけてもらい、嬉しかったですよ。ケータリングの仕事が無事に終わってから『続けてTOYOのデザートもやってもらいたい』といわれたんです」
当時、塩崎は、生まれて半年になる長男と、1歳になる長女の子育ての真っ最中だった。そのため、週末しか店にいられない。それでもいいかと聞くと、大森氏は「それでも構わない」と誘いを続けた。
塩崎と大森氏は、長崎県佐世保市の「ハウステンボス」時代の同僚だった。しかし、同じ厨房で働いたことはなく、むしろ塩崎は、大森氏の妻でハウステンボス時代の同僚パティシエールの沙織氏と働いていたことでつながりがあった。会うのは大森氏の結婚式以来。それでも、自分を指名してもらえたのは、「光栄だった」と、塩崎は振り返る。
塩崎にとって、TOYOで現場に復帰するのは4年振りのことだった。
「最初の1、2年は、土曜日の昼営業から夕方までしか店にいられませんでしたが、そのなかで、毎月のコースのデザートを考えていくわけです。平日に自宅で案を練って、土曜の昼営業の後に大森さんに試作を見てもらうんです」
大森氏は「勤務する時間は関係ない、きちんと仕事をしてくれればいい」という考え方だったが一方で、時間がないからといって妥協はしない職人気質ももつ料理人でもあった。そのため、いくら時間がなくてもダメならダメ。また1週間後に試作をすることに。短い時間しかないからこそ、しっかり準備をしなければいけないと、塩崎は考えていた。
ノルマンディの街・ベルノンで見た
職人の原風景
和歌山県に生まれた塩崎は、高校を卒業後、手に職をつけようと、京都製菓技術専門学校(現・京都製菓製パン技術専門学校)に入学。卒業後は、オープンまもない頃に家族で訪れた思い出の場所であるハウステンボスに入社した。その後、3年してから大森氏が入社してきた。
総料理長だった上柿元勝氏のもと、厳しい環境のなかで、パティシエールだけでなく社会人としての経験を6年かけて積み重ねた塩崎は、その後、かねてからもう1つの夢であったデザインの勉強のため2年間専門学校に通っている。
「もともと絵を描いたりデザインをするのが好きだったんです。ハウステンボスでは焼き菓子を3年、冷菓を3年やって、ひと通りのことはできたという気持ちもありました。きちんと卒業しましたけど結局、またパティシエの仕事に戻ったんです(笑)」
それでもデザインを学んだことは、その後の製菓の仕事に役にたったと塩崎はいう。美しく盛り付けをすることだけでなく、味の伝え方にもデザイン的な思考を応用することができるからだ。
その後、名古屋の「サーウィンストンホテル」(現・ストリングスホテル 八事 NAGOYA)に入社し、デザートブッフェなどの開発をしていた時に、フランスから帰ったばかりのパティシエから現地の話を聞く機会があった。「日本とは違う働き方だった、一度は行ってみるべき」という話を聞いて渡仏願望が高まると、2008年に渡仏。ノルマンディー地方を代表するパティスリー「メゾン・レイナルド」に研修に入った。
「ベルノンという街にある地域密着の地元のパティスリーで、日本で見たことがないお菓子もたくさんありました。たくさんの量を作っていましたが、どれも手作りで、バケツみたいな容器にいっぱいのプラリネ(焙煎したナッツ類を加熱し砂糖を和えてカラメル化したもの)を全部手作りしていたのは、職人の姿の原風景になっています」
コロナ禍で生まれた新しい働き場所、EC商品開発
3カ月の研修を経てフランスから帰国すると、ハウステンボス時代のシェフ・パティシエだった佐藤利昭氏から、志摩観光ホテルの新館「ザ・ベイスイート」のオープニングスタッフに誘われた。同ホテルのデザートメニュー開発に携わり2年ほど勤めた後、東京に移る。2014年から学校法人井上学園の講師として、製菓の実習や製菓理論の教鞭をとることになったのだ。
「働き始めた時から、朝早くから仕事が始まるパティスリーの仕事は、家庭との両立が難しいこともあって、女性のパティシエが自分のお店を出すなんてことは、当時では考えにくいことでした。漠然と『このまま働き続けたらどうなるんだろう』という不安があると同時に、問題に向き合わず考えないようにしている自分もいました。当時、結婚の話もでていたこともあり、先が見えないままパティシエの仕事をこのまま続けるよりも安定した仕事に就きたいと思い、現場を離れることにしたんです」
3年半講師を務めた後、結婚を機に学校を退職。夫の転勤で山口県に移った時に、長女を出産。その後、埼玉県に戻ってから長男を出産した。それから半年ほど経って、冒頭の大森氏からの連絡を受けることになる。
「学校の講師、妊娠・出産で4年ほど現場を離れていたので、ブランクが一番不安でした。そこで国内外のパティシエたちのSNSにあがっているデザートを研究したり、東京の三つ星レストランに食べに行ったりと、業界の流行を把握することをまずやりました。現場を離れていた期間でも海外の製菓雑誌を取り寄せていたりしたので、一気に読み返したりしていました」
パティシエの大澤康二が2020年に入社すると、レストランのデザート開発から離れることになったが、現在はTOYOとしてのコロナ禍の戦略として展開しているEC事業の商品開発で力を発揮している。人気の「八女茶のチーズケーキ」や「レモンハーブのチーズケーキ」といった商品は塩崎が考案したものだ。
「先日は、高級食パン専門店『どんだけ自己中』さんと協働で開発した四角いシュークリーム『どんだけ"じこシュー"』の販売がスタートしました(4月9日から)。こういった外部とのコラボレーション商品の開発は、時間をかけてやるものですので、私の今の働き方やキャリアを活かすという点でも合っていると思っています。今後も増やしていけたらと思っています」
私は自分の人生では
自分のことを優先していきたい
かつて同僚だったパティシエール仲間のなかにも結婚して子どもを産んだ人も多い。ほとんどの人が出産を機に仕事から離れ、復帰後は飲食とは違う事務職などに就いている現実もある。塩崎のように、ふたたび菓子を作っている人は、ごくわずかで、パティシエールのキャリア展開は、10年前とそれほど変わっていないともいえる。
「そんななかでTOYOは、シェフだった大森さんが変則的な働き方を理解してくれ、その下で働いている若いみんなも、同じく当たり前のように私のことを受け入れてくれました」
TOYOの食材管理は、店舗がある階とは別に離れた場所にある。そこから試作の度に食材を持ち運んでいるのだが、限られた時間で働く塩崎にとってはこれが時間のロスになる。それを知っている調理スタッフたちは、営業が終わって疲れているのにも関わらず、翌日の塩崎の試作のために食材を店舗まで運ぶことは当たり前のことになっていた。
「調理に使うコンベクションオーブンの順番を譲ってくれたり。そういったことがすごく助かるんですよ。やっぱり上の人の意識があって下の人たちにも浸透するものだと思っていて、それは、大森さんの妻がお子さんを持ちながらパティシエールとして働いていることもあったんじゃないかと私は思っています」
もともと子育てをしながら働きたいと考えていた塩崎にとって、自分自身が考える条件で雇ってもらえたことに感謝しているからこそ、それに甘えることなく仕事をしていきたいともいう。
「『子どもがまだ小さいのに育児もせず外に働きに出ている』といわれてしまうかもしれませんが、私は自分の人生では、自分のことを優先していきたい。もともと子育てをしながら働くことと、キャリアを活かした仕事をしたいとも考えていました。『母の生き方はこうなんだ』と子どもたちに伝えられることの方が、私にとっては価値があることなのです」
近くTOYO ONLINEのセントラルキッチンがオープンする予定で、製造量が増え、商品ラインナップも増えていくことになる。塩崎の活躍する場面がこれからもたくさんありそうだ。
「基地を意味する『BASE』という名のキッチンになります。遊び場のようなイメージもあるので、楽しそうですよね。私のように、子育て中や子育てを終えたパティシエールたちがそのキャリアやスキルを活かして働けるような場所になったらいいですよね」
10年前、出産・育児を経たパティシエールに「セカンドキャリア」といった考え方すらなかった。しかし、ここ5、6年の間にSNSやECプラットフォームが発達し、消費者とパティシエが直接繋がれるようになった。
郊外の小さな店であっても足を運ぶ店を作ることができ、インターネットで直接販売することも可能になり、クッキー缶やクレープなどに絞った専門店にチャレンジする人や、アシェットデセールのみのコースを提供する店など、いわゆる「ケーキ屋さん」から飛び出した働き方が増えてきた。
塩崎の活躍もこうした新しいパティシエ・パティシエールの働き方の一つといえるだろう。その活躍が、次の世代の日本のパティシエールたちのロールモデルになるはずだ。
塩崎パティシエールが監修したTOYO onlineの商品
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取材・文・撮影=江六前一郎
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