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人間も蚕も家畜化した生き物!?ーお蚕育てのススメー

2021年の5月に、NPO法人くにたち農園の会が主催する「お蚕フレンズプロジェクト」からお蚕を迎え入れ、今年2年目の飼育を迎えました。

2年目のお蚕育ては、思いがけなく始まりました。その日は2022年4月10日。最高気温は26℃。初夏の香りさえ感じられるような春の陽気のなか、私の知らぬ間に蚕の卵が孵っていたのです。お蚕だけではありません。春の足音はまだかと耳をすましていた庭の丸裸の木々も、蚕の餌のとなる桑も、この日を境に一気に芽吹き始めたのです。

私はというと、卵のことはすっかり忘れていました。なにせ卵が産み落とされたのは一年前。何かを忘れていたことはわかっていたのですが、どうしても思い出せない。記憶をたぐり寄せようと、頭のなかを探し回りましたが、わからない。ようやく思い出したときは、夕暮れ時だったかと思います。

おそるおそる卵の入った箱を覗くと、案の定、卵から無数の黒いシミたちがこぼれ落ちていたのです。生まれたての蚕は黒く「毛蚕(けご)」と呼ばれ、大きさは1mmほどです。もし彼らが床にいても、私たちには小さなチリにしか見えなかったことでしょう。箱の中には約100匹の毛蚕がいたでしょうか。半数以上は気が付かずに、あの世に行きましたが、50匹ほどのお蚕の毛蚕は保護できました。40匹は里子に出し、2年目のお蚕育てに突入です。我が家では11匹の蚕を育てることになりました。

参考:農水水産省 「養蚕

桑と友好条約を結ぶ

卵が孵化すると、お蚕を育てるために私と蚕の餌となる桑はタッグを組みます。桑はせっせと芽吹き、次々と若葉を生やします。私は街に出て桑を探し、お蚕に分け与えます。私のお世話はただそれだけ。この桑とヒトの連携がなんとも面白いんです。自然にコネクトした感覚がありました。

桑は樹木以外にも、雑草のように至る所に自生しています。昭和の初期まで、全国で養蚕をしていた名残でしょうか。おそらく、みなさんの周りでも簡単に探せると思います。とくに水辺や沢あたりを探してみてください。日本名水百選で自生する桑を見つけましたし、浜離宮のお堀の近く、田んぼの用水路あたりでも見つけました。どうやら、水を好む植物のようなんですね。桑は湿り気のある場所に、誰に要求されたわけでもなく、誰のものでもなく、ただそこにある。そんな桑に私は自由を感じます。蚕が生まれるまでは見過ごしていた桑が、産まれた途端にスポットライトを浴びたように、私の前に立ち現れるのです。その関係性がなんとも楽しい。

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小さなお蚕は、柔らかい若葉を好みます。生まれたての蚕には若葉のやわらかさがちょうど良いのです。蚕の命と桑の芽吹きに、植物も生き物も自然のサイクルに沿って生きているんだなと改めて感じます。

桑は5月下旬から6月にかけてマルベリーという実も実らせます。ご年配の方には桑の実は馴染みがあるようですね。桑の実を見せると、懐かしそうに思い出話を語ってくださいます。つい最近まで、自然の実を摘んでは食べ、煮たり、桑の葉茶にしたりと、当たり前のように、ただそこにある桑を取り入れた日常があった。桑は養蚕だけでなく薬草としても人の役に立っていたのです。

先日遅れて産まれた最後の1匹が繭になりました。桑と結んだ友好条約もしばしお別れです。けれども、桑を摘む日々の余韻が今も私の体には残っていて、道端に自生している桑に目が向く自分がいます。

無農薬の桑の葉でしか育たない

お蚕は農薬が散布されていない桑の葉を与え続けなければなりません。とても繊細の生き物なのです。ですから、旅行のときも一緒です。コンパクトなので、どこにでも連れていけます。今年のGWに山梨を訪れたときはタッパに蚕を入れて出かけました。一足先に出向いた義叔母から滞在先に桑の木があることを確認していたので、手ぶらで山梨に行くことにしました。

しかし、どうでしょう。東京ではあんなに食欲旺盛だった蚕が、山梨に着くとピタリと食べなくなったのです。初めは、移動中のストレスからのハンストかと思いましたが、みるみるうちに身を縮め、ピクリとも動かなくなりました。焦りました。結論から言うと、寒さが原因だったと思います。GWの山梨は10℃以下。蚕飼育の適正温度は20〜30℃なので、一番の要因は寒さでしょう。でも当時の私には桑の葉を与えるといったお役目しかなかったので、自分ができる範疇のなかで、その土地の桑のせいにしたかった。

「桑の木だと思っていた木は桑の葉ではないのかも」
「もしかしたら農薬散布された桑の葉だったのかも」
「この木は東京のヤマグワと違い、マグワで味が違うかも」

あれこれ思案しました。義叔母は私が蚕を可愛がっていることを知ったので、申し訳なさそうにしています。その日は富士山がくっきり見える美しい日でした。お隣のブドウ畑からトラクターの音がします。陽炎のようなゆらめきのなかで、農家さんが農薬散布する姿が見えました。

「ここまで農薬が飛んできているのかもしれないね」

義叔母がぽつんと言いました。

東京に戻ると、瀕死状態だった蚕は元気を取り戻し、何事もなかったかのように桑の葉をむしゃむしゃと食べ、事なきを得ました(数匹は亡くなりましたが)。「もしかしたら、東京で自生している桑の葉のほうがオーガニックかもしれない」「田舎より都会の桑のほうが安全!?」と不思議な感覚に陥ったのです(私がよそ者で土地を知らないだけですが)。

温和なお蚕とともに生きる

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お蚕は人間の都合によって改良され、進化を遂げた昆虫です。約1ヶ月間の幼虫期間を経て、糸をはり、繭のなかで蛹になり、約10日ばかりで、繭を破り成虫になります。品質の良い繭が作れるよう改良がなされ、交配を続けたからでしょうか。蚕蛾は、羽があるのに体が重たく飛べないんです。しかも口は退化しているので、餌も水も食べることができません。しかも見た目は野生の蛾に比べて愛らしい。それはまるでオオカミから手懐けられて進化をとげた犬のようです。

成虫になると、残り1週間ばかりの命です。オスとメスが交配し、子孫を残します。同じく繭を作るお蚕の仲間に「天蚕(ヤママユガ)」がいますが、こちらは野生の昆虫。お蚕よりも大きいので、進化の過程で蚕は小さくなったのかもしれません。加えて、天蚕のように胃液を出すなど攻撃もしません。こちらも家畜化の特徴とも言えそうです。

家畜化の特徴を知ったのは、『善と悪のパラドックス―ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史―』からでした。本書によると、動物の小型化も丸みのあるフォルム(尻尾ですが)も、温和の性格も、家畜化の特徴のようなのです。さらに人間は、進化のなか衝動的な攻撃をするオスを排除し続けた結果、温和な性格となり、自己家畜化を遂げたとありました。であれば、昆虫のお蚕も家畜化のなかで、攻撃をやめ、温和な可愛らしい見た目になったのかもしれません。「繭になる」といった防御一点を、人間の利として見出され、生き延びているところを見ると、“防御は最大の攻撃”とも言えるのではないでしょうか。

さらに、この本には、衝動的な攻撃を排除しつつも、組織的な計画だった攻撃は手放してはいない人間の生態に注目します。ただ、こうした計画的な攻撃も、衝動的な攻撃同様、さらなる進化の過程で排除され、私たちは平和的な世界で生きていけるのではないか、と希望的観測のもと締めくくられているのですが、読み終えたあと「人間もお蚕の繭のようにしなやかな防御アイテムであればいいのに」と思いました。“防御は最大の攻撃”で思い出されるものに核武装がありますが、核武装は防御にはあまりにも危険すぎる。温和な家畜が温和な家畜を育て、愛でる行為はなんとも平和的ではありませんか。平和の象徴が、養蚕業の推進といった当初の目的を失った今も、お蚕さまをお迎えし、ご養蚕をなさるのは、理にかなっていると思えるのです。

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参考:SILK NEW WAVE 天蚕(ヤママユガ)

お蚕と宇宙に行く!?

最後に未来の話をひとつ。近年、蚕は昆虫食としてさまざまなフード開発をされています。フードだけではありません。ワクチンの開発にも貢献しているようです。私はまだ口にしていませんが、近所のイタリアンでもお蚕を白子のように食べるメニューを考案中と耳にしました。近未来、地球でも、地球以外の惑星でも、私たちはお蚕を育てながら、蚕から栄養を得た生活をしているかもしれません。そして、熱を発散させ、適温を保つ繭のシェルターなかで、ぬくぬくと暮らしているのかもしれません。

「お蚕さまはえらいのよ」と近所のご年配の方が言いました。私も深く頷きます。お蚕のおかげで視野が広がり、ヒトと生き物と環境のインタラクティブな間合いのなかに、私たちが豊かに暮らすヒントがあるのではないか、そんなことに気付かされたお蚕育て2年目の初夏でした。

参考:プレスリリース ニュース配信リリースサービスのPR TIMES 世界初の「蚕」専門の昆虫食スタートアップが「シルクフードラボ」を表参道にオープン!農林水産省「カイコによる有用物質の効率的な生産技術」

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