難解、現代思想
久しぶりに本を読んだ。千葉雅也の『現代思想入門』(講談社現代新書、2022年)。以前に本屋に立ち寄った際に面白そうと思い買った本だ。
取り上げられている人物としては、デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカンが中心。正直、フーコー以外は今まであまりまとまった説明を読んだことがなかったのでこれを機に少しでも理解が進めばいいなと思って読み始めた。
デリダといえば「脱構築」というキーワードが有名で、善/悪、男/女、理性/感性などの二項対立の図式で前者が優位なものとして考えられてきた一種の常識を解体していく。デリダが脱構築していく二項対立の根本は「話し言葉(声)」と「書かれたもの」であり、それぞれフランス語で、「パロール」と「エクリチュール」という。
本質的なものとしてのパロールと、非本質的なエクリチュール。この図式が様々なところにあるという。
※脱線するが、古代ギリシャの哲学者プラトンは一般的な哲学書のスタイルとは異なり、ソクラテスの思想をあくまで問答法の描写に沿って記述している。これも、書かれたものを劣ったものとして考えるが故の苦肉の策なのだろうか。
デリダの行った「脱構築」を社会に対して行った人物として千葉はフーコーを取り上げる。フーコーといえば、権力に自ら主体的に従う仕組みの象徴としてパノプティコンに注目したことが有名だ。権力が作用するということは秩序が保たれるということであり、街が綺麗でノイズがないということでもある。いったい何が問題なのかと思いたくもなるが、千葉は以下のように述べる。
発達障害とまでいかなくても、現にコミュニケーションが苦手な人はたくさんいる。だが、現代の社会はいわゆるコミュ力に依存する部分が大きい。それゆえの困難を抱える人たちのことをどう考えるべきか。人間は単に生きる以上の能力を持ち、社会を築き上げてきた。その社会の豊穣さが規律によって単一の方向に向かうのか。
デリダとフーコーの印象的な部分を上に引用したが、この本では他にもドゥルーズやラカン、メイヤスーなどがコンパクトに記述されていて、しかもそれが筆者の語り口調と相まって分かりやすい(もちろん、分かりやすいといっても現代思想を紹介するものとして、ということだが)。現代思想自体が古典化している現在、世界情勢も相まって私たちはどう生きるべきかが混沌としている。そんなときに、安易な二項対立に陥らずに「考える力」を鍛えてくれるのが現代思想なのではないか。そんなことを考えた。
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