駿府城~家康が晩年を過ごした場所
駿府城は静岡県静岡市にある城で、日本100名城のひとつです。
静岡と家康の縁
室町~戦国時代には駿河国の守護・今川氏の館があり、幼少期の徳川家康も人質として駿府で過ごしました。そもそも、「駿府」とは駿河国の国府がある所を指します。
今川氏は武田氏によって滅ぼされ、今川館は焼失します。その武田氏も織田氏・徳川氏に滅ぼされ、駿河は徳川家康の領国となりました。
家康は今川館の跡地に駿府城を築城。江戸に移封されるまで本拠地としました。
江戸幕府開府後、家康は2年で将軍職を秀忠に譲り、自らは駿府城に隠居します。家康にとって、幼少期・壮年期・晩年の重要な時期を過ごしたのが駿府(静岡市)だったのです。
現在の駿府城
現在の駿府城は、広大な駿府城公園となっています。公園は、かつての二の丸と本丸のあったエリアですが、二の丸と本丸の間の堀はほとんどが埋め立てられてしまいました。
威厳のある晩年の家康の銅像が公園内に建てられています。
また、坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)、東御門が復元されています。
天守台発掘現場
城マニアとして最大の見所は、天守台の発掘現場でしょう。天正期にあった天守がさらに拡張され、慶長期に大規模な天守が建設されました。発掘により、新旧の天守台跡が二重に確認できるのです。
天正期天守と慶長期天守の位置関係については、下のパネルの写真が分かりやすいです。
慶長期(新しい方)の天守台の西辺です。これだけでも、かつての天守の壮大さを察することができます。記録によれば、地上七階建ての唯一無二の天守でした。
天正期(古い方)の天守台などの配置については、現地に目印のコーンが置いてあります。古い時代の石垣なので、自然石のままの野面積です。
堀からみる駿府城の壮大さ
本丸を囲む堀(本丸堀)は大半が消失しましたが、駿府城公園内には部分的に水堀が残っています。
二の丸水路は、本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路で、底にも石が敷いてある珍しい構造です。
現在みられる本丸堀は、発掘調査によって掘り出され、再現されたものです。
城の外側を守る長大な三の丸堀も、かなり良好に残っています。現在は三の丸堀と二の丸堀の間に県庁や各種学校、裁判所などが建てられていますが、本来はそこも城跡なのです。