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吉本ばなな著 『幸せへのセンサー』から学ぶ「安定する」ということ

 こんにちは、ととです。
 双極性障害(躁うつ病)という病気と向き合っています。
 私のことを詳しく知りたい方は、以下の記事にまとめてありますので、お時間があるときにでもご覧ください。

 読むスピードは極端に遅いのですが、本を小脇に抱えていないと落ち着かないくらいには読書が好きです。
 それでも、身体を起こすことすら、ままならないことも多いのが、私たちの病気。
 特にうつ状態のときには、見えている文字が頭の中で意味を成さなくなってしまうくらい、思考が前に進みません。

 そこで私が活用しているのが、オーディオブック。
 いわゆる「聞く読書」というやつです。
 私はAmazonのAudibleをよく利用しています。
 目で文字を追う読書とは違い、文章を朗読してくれるので、ただ聞き流しているだけでいい。
 神経を使うことなく読書が楽しめるので、じっと座って読書をすることが苦手な方や、活字を見ると嫌気がする方でも気軽に楽しめると思います。

 私の抱えている病気、双極性障害(特にⅡ型と呼ばれているもの)は、気持ちが異常に昂る躁状態よりも、うつ状態の時間の方が長いと言われています。体感的にもだるい、何もしたくないと思う日の方が多いです。
 そんなとき、Audibleに会員登録して、ベッドで横になりながら、小説やエッセイ、ポッドキャストを聴きながら、回復を待ちます。
 物語や人の声に触れているだけで、ネガティブな自動思考と距離を取れることは、とてもありがたいことだと思っています。

 このAudibleで最近出会ったのが、吉本ばななさんの『幸せへのセンサー』という本です。
 Amazonは、近頃オーディオブックコンテンツに力を入れているようで、この『幸せへのセンサー』は、書籍として出版される前に、オーディオブックとして配信されていたようです。
 朗読は、俳優の千葉雄大さんが担当しており、穏やかで優しい聞き心地と相まって、吉本ばななさんの深い人生への考察がとにかく染みる素敵なエッセイです。

 私は、うつ状態のときにこのオーディオブックを聴いて、なんだかとても今の自分の体温に合っているような(あるいは吉本ばななさんが合わせてくれているかのような)心地がしました。
 オーディオブックは良くも悪くも「流れていってしまう」ので、深める読書としては向いていません。
 ですから、私は千葉雄大さんの朗読を聞き終えてから、この本を購入し、じっくり読み返してみました。

 ここですべてを考察したいほど、素晴らしい内容なのですが、ぜひみなさんにも手に取って(あるいは聴いて)ほしいなと思っているので、特に心に響いたところをかいつまんで、私の言葉と考えでまとめてみますね。

 例えば「欲望」について。
 お金が欲しい、きれいになりたい、モテたい、名誉が欲しい、チヤホヤされたい、いいねが欲しい、新しいiPhoneやゲーム機が欲しい。
 たとえそれらが満たされたとしても、「次はあれが欲しい、これが欲しい」となってしまうのが人間という生き物なのでしょう。
 そういう「欲」があるからこそ、様々なビジネスが展開されていって、蠱惑(こわく)的・誘惑的なものが溢れかえっているのが現代です。

 でもその「欲」が満たされなかったら?
 大きな「欲」であればあるほど、満たされない確率は上がりますし、満たされないことが増えれば増えるほど、さらに「代替的な欲」を求めてしまう。
 要するに、「求めすぎ」なんです。

 例えば私たちのように、病気を抱える人間が、必ずといっていいほど思うことはなんでしょうか?

「病気を治したい」
「元気になりたい」
「病前のようにバリバリ仕事や勉強をしたい」

 そんなことではないでしょうか。
 こんなふうに思うことは決して悪いことではありません。
 闘病者として素晴らしい「目標」であり、「希望」を捨ててはいないという前向きな姿勢だと思います。
 もちろん私も、長年「病気を治したい」「元気になりたい」と願い続けてきました。
 それでも、この本を読んで思ったんです。

「病気を治したい」

 これもまた、ちょっとした「欲望」なのではないかと。

 この「病気を治したい」みたいな願いも、傲慢になると危険なんですよね。
 身体にいいからといって無理して運動したり、薬をどんどん増やしてもらおうとしたり。
 客観的にみても到底続くことが難しいのに、仕事さえしていれば、金銭的に安定して絶対に病気がよくなるとかね。

 前向きな思考でも、それを求めすぎると「欲」になる。
 病気のことをよくしたい、改善したいと躍起になってしまうと、頭の中が「病気」という概念でいつの間にかいっぱいになって、心に余裕がなくなってしまう。
 振り返ってみると私も、病気のことが頭からすっぽりなくなってしまうほど何かに打ち込んでいたり、ボーッとしているときに幸せを感じているような気がします。
 高望みしすぎずに、「結果的によくなったらいいな」くらいのマインドで過ごす方が自然なのかもしれませんね。

 かといって、「病識がない」ほど気を抜いてしまうと危険ですから、ご自身の状態と向き合って、求めすぎないほどの適度な「バランス」を見つけられるといいですね。


 もう一つ、この本を読んで感銘を受けたのは「安定する」ことについて。

個人が安定しているって、それだけで、他者にも役に立つことですよね。

吉本ばなな著『幸せへのセンサー』幻冬舎

 この一文を見て、ハッとしました。
 人にしてあげられることというのは、たかだか、調子のいい、気分のいい自分を相手に見せてあげるくらいなこと。
 無理に言葉をかける、良かれと思って何かをしてあげることが、相手にとって必ずしも喜ばしいこととは限らない。
 だから沈黙があってもいいし、上手に手助けしてあげられなくてもいい。
 ただ、「調子の良さそうな自分を、安定した自分を、相手に見てもらうだけでいいよ。それが相手を幸せにすることだよ」と言われているような気がしました。

 なんだかわけがわからないけれど、ニコニコしている人と一緒にいると楽しくなりませんか?
 そういうことが自然にできたらいいな、と心から思いました。

 しかし、私たちのように精神疾患がある場合、「安定」を維持していくのはとても難しいことですよね。
 病的な気分の波がある以上、常に「安定」を求めることは無理があるかもしれない。
 それでも、お薬の力を借りたり、自分を見つめ直したり、適度な休憩、運動、睡眠、栄養などを取り入れることによって、私たちは「安定」を手にすることができます。
 目を向けるべきはそういうところで、まず他人ありきではなく、自分のことをもっと喜ばせてあげたり、苦しんでいるサインを見逃さないようにしてあげること。
 そういったバランスを維持しながら、外の世界へ飛び込むことができれば、きっと他人も幸せにできるだろうし、欲しいものなんてほとんどなくなってしまうような気がしました。


 吉本ばななさんの文章は、穏やかでとてもやさしくて、さまよっている心に道筋を示してくださるような素晴らしいものでした。
 向かい風に抗うのではなく、もっと風を読んで(本書では「宇宙の法則」と呼ばれていました)自分ではどうしようもできないことに向かっていかない。
 もっと力を抜いていいよ、いい波は必ず来るよ、自分の感覚を信じてみてといったことを、これまでの人生経験を踏まえて丁寧に綴られていました。
 ばななさんの小説やエッセイはいくつか読んできたのですが、その本の雰囲気や空気感によって文体が全く違うので、さすがプロだなと毎度圧巻してしまいます。
 今回読んだ『幸せへのセンサー』は、私たち読者に寄り添いながらも、自分の意見を穏やかに、それでいて難しくなく、噛み砕いて書いてくれているので、とても読みやすかったです。

 私たちのように病気を持っていたり、障がい者と呼ばれる人間は「なんで自分だけがこんなに苦しいんだ」と悲観的になりがちです。
 しかし、ばななさんは「傷病老死は等しく誰にでも来ることだから」とごく自然と綴られておられます。

 生きることって、みんな苦しいんですよね。
 病気じゃないとしても、苦しいことはあるんです。

「この年齢で」とか「友人はバリバリ元気なのに」とか、どこかで自分が他人と比較して羨んでいることを気づかせてくれました。

 余分な欲を捨てること。
 安定した心持ちでいることが、他人を幸せにすること。

 もっともっと深いことが、今回紹介した『幸せへのセンサー』には書かれていますので、ぜひ書籍、またはオーディオブックで吉本ばななさんの言葉を体験してみてください。

 それでは、また。

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