2024年 12月6日 金曜日 徒然日記 いじめ…試練…

おはようございます。徒然日記のお時間です。今日もここから、じっくり、ゆっくり、丁寧に綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

今日も晴れるところは晴れるけれど、雪の降るところもありますね。明日からは冬本番の寒さになるそうです。

さて、何書こうかなぁ…

ふとですね、なんか昔いじめられていたことと、そのいじめっ子のことを思い出したんですね。

いじめっ子ってなんだか悪になり切れない、中途半端なところがあるというか、なんだかガキっぽくてかわいいところがある気がしたんですね。
女性が言う、あの人にはかわいいところいっぱいある、っていうのもそんな感じなのかなぁ、とか思ったりしました。少年の心を、ガキっぽい精神を持ち続けていると言いますか…

だとしたら、自分にはかわい気はないなぁなんて思いました。いじめる程の度胸や悪も無いし…

とは言えいじめはもちろんよくありません、やってはいけないことです。
でも、賛否両論あるとは思いますが、いじめられる側にも何か原因というか要素はあるのかも知れません。自分に当てはめた時、そんな気がしたので…

例えば自分は小学校のころ、先生からもいじめられていましたが、宿題をロクにやってこない、とろいところがりました。いじめの対象となるには十分だったのかも知れません…

あとはケンカも出来ませんでした。ケンカはいじめよりもちょっと次元が高い気がします。ケンカの一歩手前がいじめなのでしょうか、ケンカより幼稚なものがイジメな気がします。立ち向かう勇気があれば、いじめられなかったかもしれません…

話が少し飛びますが、谷川俊太郎の詩の中に
「わたしたちはみんな ぶよぶよしたものにいじめられている」といった一文があります。いじめは目に見えてハッキリしているものもあれば、とても抽象的なものもあるのでしょうか…

以前ラジオでいじめについて取り上げていたことがあったのですが、ある人曰く、トラウマには更なる強いトラウマがあれば乗り越えられる、との意見がありました。ホントにそうなのかは分かりません、生きるのがより辛くなってしまう気もします…色々な意見があるものです。痛みを忘れるためには更なる痛みを、という事でしょうか。

あとはヒーローになれる存在とそうじゃない存在がある気がします。自分はもちろん後者です…そしてどこか人から馬鹿にされる、なめられる傾向にあった気がします…その先にいじめがあったと言いますか…いじめている方はただからかっているだけと思っている気がします。生まれつきや育ってきた環境も影響しているのでしょうか…

嗚呼、どうしようもない怒りが込み上げてくることもあります。振り上げたこぶしを下ろせないもどかしい気持ちが…

上手く付き合っていくしかないのでしょうか。だから歌が、何かが生まれるのかも知れません。女性の場合、出産するときも痛みを伴います。何かが生まれる時には痛みを伴うのは仕方ないことなのでしょうか…

その痛みに耐えるために、いじめは存在するのでしょうか…いつか訪れる痛みに備えての試練なのでしょうか…そんな事を思う今日この頃でした…

追伸
今日の一曲…緑黄色社会 花になって


いいなと思ったら応援しよう!