恋と学問 第17夜、女ほど生きづらい物はない。
光源氏の生涯をたどってみて、こんな人物がなぜ「善き人」とされるのか、理解に苦しむと感じたとしても、なんら不思議ではありません。むしろまっとうな感覚です。
光源氏はイヤな野郎だ。好きになれない。この男を妙に持ち上げる紫式部の心持ちが分からない。そう言い放ったのは皮肉にも、近代以降だれよりも源氏物語を熟読した作家であり、私たちに最高の現代語訳を残してくれた谷崎潤一郎でした。谷崎は、死の2ヶ月後に発表された随筆「にくまれ口」のなかで、次のように述べています。
これは光源氏が空蝉にささやいた口説き文句を取り上げて、意中の人が別にありながら、よくもまあ白々しい言葉を吐けるものだと呆れているのです。他にもあれこれと人格上の難点を挙げて、次のように結論づけています。
谷崎の矛先は本居宣長にも向かいます。
以上の主張には無理がなく、うなずくほかはありません。ただしそれは、「登場人物には人格の一貫性がなければならぬ」という、近代小説の方法に照らして見たらそうなるという話であり、そもそも紫式部の目指したものが近代小説だったのかは、疑ってみる余地があります。
今夜の題材は、紫文要領の第2部「善悪と物の哀れ」のうち、第2章「善き人とされた人々」(岩波文庫版、67-78頁)ですが、ここで宣長は真っ先に光源氏という人物の異様さを指摘します。
翻訳します。(意訳気味ですが)
谷崎が言ったような批判があり得ることは、宣長だって百も承知なのです。さらに、あの柏木と女三宮の密通事件については次のように述べています。
痛快な書きぶりです。
己の妻を寝取った男の死を惜しむなど、よほどのお人好しか、単なる馬鹿か。それが、常識(尋常の了見)の立場からする光源氏の見えかたというものです。だから、谷崎は「好きになれない」の一言で切って捨てました。しかし、宣長は学者ですから、この一件をもって、源氏物語が設けている善悪の基準が常識が定める善悪の基準と異なる証拠、と見ます。その違いはどこにあるのか?これを探求するのが学者・宣長の仕事です。
さらっと述べていますが、ここには根本的な思想が述べられています。
宣長は、物語で善き人とされるのは、物の哀れを知る人だと、繰り返し強調しています。物の哀れを知る人が、なぜ善き人なのかと言えば、引用文にあるように、物の哀れを知る人は自己中心主義(エゴイズム)を離れるからだ、と言います。他人の運命に共感できる者に、他人が犯した悪の必然を知る者に、他人を殺したいまで憎むことは出来ません。光源氏が密通事件があってもなお、柏木の死を惜しんだのは、「大馬鹿者」だからではなく、物の哀れを知り尽くす人だから出来た「許し」でした。それが滑稽に見えるのは、紫式部の選び出している例が極端だからです。いわゆる「馬鹿と天才は紙一重」という、あれです。
人物評が続きます。光源氏の次に論ずべきは、やはり女主人公である紫の上でしょう。紫式部によって最高の「善き人」と表現された人物です。
ここで宣長は、「蛍の巻」と「夕顔の巻」における夫婦の会話を引用しながら、光源氏と紫の上という、ともに物の哀れを知り尽くした二人の「相違」を浮き彫りしています。個人的に、大変おもしろく感じる箇所です。二人の相違とは、要するに「男女の相違」を意味します。
まずは「蛍の巻」から。玉鬘と光源氏の間に文学談義があったことは、すでに述べましたが(第10夜および第11夜を参照)、よほど楽しかったものと見えて、帰宅後、光源氏は紫の上にも文学談義を仕かけます。まずは会話の全体をお見せしましょう。光源氏はまだ幼い娘(実際は明石の上の子だが養育は紫の上がした明石の姫君のこと)に、人目を忍ぶ恋などを扱う物語を読み聞かせするのは、教育上いかがなものかと紫の上に意見を求めます。その続きです。
表面的には娘の養育について語っているようで、実際は作者の「女性観」を紫の上に語らせているのだ、と宣長は正しく指摘します。この当時、女が守るべき道徳とは唯一「貞節」でした。男たちの求愛を一切無視して操を守ることは、一般的に善いこととされている。しかし果たして、女の生き方はそれでよいのだろうか?私は甚だ疑問に思う。紫の上は光源氏に、「女の生きづらさ」を語り、光源氏も同意します。
宣長はこの箇所を論じて、紫の上の人生には淫乱なふるまいがなかったという事実を指摘し、そんな彼女が、貞節を守るだけを誇りに生きる女の人生の、生きがいのなさを語っていることの意味を、よく考えてほしいと読者に求めています。宣長は言います。よくある誤解として「物の哀れを知る人」イコール「淫乱な人」という等式を思い浮かべる人が多いが、とんでもないことだ。たしかに光源氏はそのような誤解を招きかねない人生を送ったが、ここに描かれている「貞節の人」、紫の上の苦悩を見よ。
紫の上が「蛍の巻」で語ったことを現代の言葉遣いに言い換えれば、己の経験や感想を、他人と共有することさえ自由にならない制約下にあった、この時代の女性が置かれた社会的条件に対する悲しみであり、なぜそれが悲しいかと言えば、物の味わいを知ったら、それを人と語り合おうとするのは、人間が人間である上で不可欠の条件だからです。それが、女性であるがために、出来ない。物の哀れを語ることへの、禁止と欲望。二つの条件が鋭く対立する矛盾が、女性特有の問題意識を醸成します。それは「いかにして女性は物の哀れを表現するか」という問題です。先回りして言えば、この問題意識に導かれて源氏物語は書かれたのです。
続いて「夕霧の巻」です。柏木の未亡人、落葉の宮に恋してしまった息子の夕霧のことが、夫婦の間で話題になります。光源氏は落葉の宮と紫の上を重ねて、「私が死んだ後の、あなたの心変わりが、今から心配になります」などと、ずいぶん女々しいことを述べます。紫の上は顔をあからめるだけで返事をしませんでしたが、次に引用するのは、その時に心の中で思ったことです。
女はいかに生きるべきか。そこに紫の上の、背後に控える作者・紫式部の、全思考が集中しています。私はこういう箇所を読んでいると、「なるほど、源氏物語はまさしく女性の手によって書かれたのだな」と、しみじみ得心が行きます。そして反対に、光源氏がなぜあれほどバケモノじみた奇妙な人物に造型されたのかも、女性の手で書かれたという事実と無関係ではないことに思い当たるのです。
光源氏、ひいては男性一般は、紫式部という平安時代の貴族女性の目から見れば、女とは比べ物にならないくらい自由で制約のない存在として映っていたはずです。だから、紫式部は光源氏という男性が全生涯にわたって表現した物の哀れ(運命への愛)を描くにあたって、社会的な制約を設ける必要をあまり感じなかったにちがいない。彼のことはただ、ありったけの夢を表現すればよかった。数々の恋愛も不貞も追放も栄華も許しも、彼が男であればこそ、自由に表現することが出来たのです。
紫の上はちがいます。この人は作者と同じ女性です。女性はいかにして物の哀れを表現したらよいのか?表現を阻もうとする社会的な制約をくぐりぬけて。女性である紫式部は、それを考慮することをぬきに、紫の上の人物造型が出来なかったはずです。宣長の次の言葉が問題の核心を突いています。
今夜の主題は、もはや尽くされました。最後に付け加えるなら、本節の議論はともすれば女性(しかも権利が低かった、この時代の女性)についての議論であり、男性には関係のない議論だと思われかねませんが、決してそうではないということです。
光源氏のような男性は、この世に存在しません。あんなものは、作者の哀れな夢がありったけ詰め込まれたバケモノです。実際は、この時代の女性ほどではなくても、男性・女性にかかわらず、現代人は紫の上と同じ苦悩を共有しているはずです。物の哀れを表現することには、今もさまざまな社会的な制約が存在します。平安時代と現代とで、制約の種類こそ変わりましたが、制約の中で表現しようとする人間の苦悩が存在することに、変わりはありません。今夜取り上げた箇所は、認識と表現にかかわる、きわめて現代的な問題を扱っています。
今夜はこのへんで。
それではまた。おやすみなさい。
【以下、蛇足】
今回は光源氏と紫の上という、二人の主人公に対する本居宣長の人物評を通じて、「物の哀れを知ること」と「それを表現すること」の関係を考えてみました。
次回は紫文要領の進行に沿って、いわゆる「雨夜の品定め」についての宣長の解釈を見てゆきます。若き光源氏と友人たちが「理想の女」について語り合う場面です。そこで問題になったのも、やはり「いかに物の哀れを表現するか」でした。
同一の問題が様々な角度から検討され、少しずつ、しかし確実に、深層に近づいてゆきます。お楽しみに。
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