土佐歴史侍

高知県在住の歴史とビールをこよなく愛する一般人。土佐の歴史を出典を明らかにしながらわかりやすくコラム的にまとめていきたい。 土の城好き/もっと土佐の戦国時代を知ってもらいたい/小説でついた長宗我部家のイメージの払拭をしたい

土佐歴史侍

高知県在住の歴史とビールをこよなく愛する一般人。土佐の歴史を出典を明らかにしながらわかりやすくコラム的にまとめていきたい。 土の城好き/もっと土佐の戦国時代を知ってもらいたい/小説でついた長宗我部家のイメージの払拭をしたい

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  • 長宗我部元親 on the history

    FM高知様の伝説の番組、長宗我部元親on the historyの文字起こしです。

  • 長宗我部氏関連書籍

    長宗我部氏関連書籍をまとめます。

最近の記事

長宗我部元親 on the history 第1回「長宗我部家の出自」その2

パ:そうやって国司との結びつきを強めながら武家として、武士としてどういう風に成長していったのかという過程は今、どんな風に捉えられているのでしょうか? 野本:今、中世の研究者が昔から関心を持って、いろんな角度から調べてきたんですが、なかなか詳しいことは分かっていない。ですが、国司が住むところを「国衙(こくが)」といいますけれども、そこを守る豪族となっていたことは間違いありませんから、難しい言葉なんですけれども「在庁官人(ざいちょうかんじん)」という地元の豪族が国衙を守る役目を

    • 長宗我部元親 on the history 第1回「長宗我部家の出自」その1

      アメブロのものをこちらに移行します。 ※2011年5月7日(土)~毎週土曜日にFM高知で放送された伝説の番組。『長宗我部元親 on the history』 いまはまだpod castで聴けますが、聴けなくなった時に備え、文字で残しておくことにしました。言い回しが若干変わっている部分もあります。あしからず・・・。 パ:お話は高知県立歴史民俗資料館学芸課チーフ野本亮さんです。(2011年当時) まずは長宗我部氏、高知の方にとってはそれはもう有名。長宗我部氏がいったい、いつ頃、

      • 土佐物語とは

        長宗我部家関係でよく引用されている「土佐物語」 しかし実はこれ、後世に書かれたものです。 作者は吉田孝世。元親公の家臣であった吉田政重の孫にあたる人物です。 孝世は土佐藩記録方御用を務めていた人物です。 元親記などの二次資料に加え、一次史料にも依拠しつつ書き上げたそうです。 元親公の容姿について「生まれつき背が高く、色白、柔和であり、容姿も見事で非常に優れていた」と書いていたのもこの土佐物語です。 一条教房の土佐下向から高知城築城までを記しています。いま知られている長宗我

        • 書籍紹介~中南元伸著『筒井順慶の悩める六月』~

          前書きが長いです。 拙者は極力、歴史小説は読まないようにしてました。 何故かというと、頭が良くないので史実と小説が入り混じり、ほんとに起きたことや歴史の流れが整理出来なくなるんじゃないかと思ってたからです。 ただ、最近、恐れていたほど混乱は起きず、別次元で整理できてるので、そこまで恐れなくていいか。と少しずつ読んでいます。 自分が歴史小説が怖い要因を辿ると、司馬遼太郎さん信者で司馬さんの小説が史実だと思い込んで、坂本龍馬を盲目的に信仰する、話聞かない上から目線の方に会

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        • 長宗我部元親 on the history
          2本
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        記事

          書籍紹介~宅間一之先生著『土佐史つれづれ』旧石器から古墳時代を抜粋~

          宅間一之先生著の『土佐史つれづれ』を読んでおります。 まず旧石器から古墳時代まで読みました。 土佐は幕末時代しか面白いものはない! みたいなイメージの方々が多いと思いますが、そうではない、というのがわかっていただける一冊です。 読みやすいし、歴史が苦手だなあと感じる人も面白さやロマンをかんじられると思います。 旧石器時代の遺跡として南国市岡豊の奥谷南遺跡が紹介されています。 いまも一部は高速道路の法面にあるとか。 興味深かったのは土佐市の居徳遺跡群です。 日本最古の木鍬

          書籍紹介~宅間一之先生著『土佐史つれづれ』旧石器から古墳時代を抜粋~

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた3

          最後になります。 龍馬記念館学芸員さんのお話の後半部分です。 今回は郷士の話がメインです 【坂本家の特殊性】 ・坂本龍馬は郷士という家に生まれた。 郷士の元の元をたどると長宗我部時代の一領具足にたどり着く。 ・郷士は土佐以外にも全国的に見られる身分だが、 坂本龍馬の存在が土佐の郷士という制度をピックアップさせる要因。 (戦国と幕末のヒーローがつながってる訳ですね!) ・「長宗我部遺臣と土佐の郷士」という企画展を先日まで行っていた。 図録は購入可能で、図録をみていただければ

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた3

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた2

          歴民学芸員さんのお話が続きます。 今回は、歴民学芸員さんのお話の後半から、龍馬記念館学芸員さんのお話の前半までをまとめます。 高知城歴史博物館館長の、安土桃山から江戸の山内家の話は飛ばします(*´ー`*) 拙者、正直、山内家には全く興味なくて(´ω`) 聴きましたが、頭にも入らんし、まとめる熱意もない(´ω`) はあ、そうですか。という感じで。いずれ山内家にも興味が向けばいいのですが、いまのところは興味湧かない。 【本能寺の変四国説】 ・本能寺の変四国説が注目され

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた2

          高知県立埋蔵文化財センター主催の中井均先生の講演会に行ってきた

          某日、滋賀県立大学名誉教授中井均先生の【山城の魅力ーその見方、歩き方】を聴きに行っていました。 まず、城郭とは何かなどの基本的なお話から入りました。 ・ここ30年くらいで城館が国の史跡になっている事例が多い ・お城イコール天守閣の時代から変わってきている。最近のお城ブームの特     徴は城跡に。 といったような話から入り、 ・山城に上る際は地元の方に道を積極的に尋ね、声をかけよう! (不信感をもたれていても●●城を見に来ました。といえば理解してくれるらしい) ・当時は木が

          高知県立埋蔵文化財センター主催の中井均先生の講演会に行ってきた

          長宗我部は治水に困って浦戸城に移ったのではない。

          よく、高知県の歴史好きだという方が口にするのが、 「長宗我部は治水に困って高知城から浦戸城に移った」 これ、なんとなく長宗我部は治水に失敗したけど、山内は成功したんや! と言っているようでどうも気に入りません。 というか、これ、最近の城郭研究では否定的な意見が多いようです。 1 長宗我部氏の城の変遷 長宗我部氏代々の城は南国市岡豊町、いま高知県立歴史民俗資料館がある山にあった「岡豊城」です。 岡豊城は続100名城に選ばれており、草刈りした時期に巡るとまさに土の城の堅固な守り

          長宗我部は治水に困って浦戸城に移ったのではない。

          高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その2

          【佐川城】 佐川城の話もしてくださいました。 正直佐川城ってこれまであんまり興味がわかなくてですね・・・ イメージ的に近世の城、山内氏が入ってきて深尾氏の城ってイメージでして。 そんなイメージがあったのですが、どうもそうではなく竪堀や畝状竪堀、堀切なんかも残っているらしいです。 これは行きたい! その後、大雨で一部竪堀が崩れたという新聞記事を見たのですが、これはもう復旧無理だなってくらい写真で見ると崩れている・・・残念。 だいぶ昔に参加したのをいま記事にしているので、こん

          高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その2

          考古検定勉強メモ2

          勉強していて、気付いたこれまで勘違いしていたこと、おお!と思ったことを備忘録的にまとめます。考古学素人なんで、知ってる方からしたら、当たり前かもしれません。 ◇土偶は壊すことを目的としていた説がある! 土偶は一方の足が破損しているものが多く、祭祀儀礼の際に壊し、厄災などを祓う目的が一般的と考えられているらしい。 しかもそれをアスファルトでつなげたものもあるというから驚きである。 どうも日本海側で天然のアスファルトが産出していたらしく、それを使っていたようである。縄文人すごい

          考古検定勉強メモ2

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた1

          FM高知さんの特別番組「夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜」が2020年4月12日19時から19時55分まで放送されてたので、聴いてみたら、かなりの神回だったんで、簡単にまとめてみました。 3回に分けて、順次公開します。 オープニング後、まずは高知県立歴史民俗資料館の学芸員さんのお話。 以下、箇条書きで概要を。 【明智光秀との関係】 ・明智光秀は、一般的には織田-長宗我部の窓口と言われる。 ・元親の奥さんが、石谷光政の女で、義理の兄が明智家重臣斎藤利三の実の 兄で、姻戚

          夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた1

          考古検定勉強メモ1

          勉強していて、気付いたこれまで勘違いしていたこと、おお!と思ったことを備忘録的にまとめます。考古学素人なんで、知ってる方からしたら、当たり前かもしれません。 【旧石器時代編】 ◇三ヶ日人は縄文人だった! 教科書では旧石器時代の人類と習いましたが、炭素14法で縄文時代の人類の骨と分かったそう。 ◇明石原人 現物が失われていて、原人なのか、旧人なのか、新人なのか全くわかんないそうです。 ◇原人は確認されてない! 明石原人もですが、よく古い化石人類を〇〇原人と呼んでますが、原

          考古検定勉強メモ1

          考古検定の勉強を始める

          考古検定の勉強をはじめてみた。大学は考古学専攻でもなんでもなく、むしろ全く関係のない理系である。 これまで考古学を学んだことはない。 たまに博物館で見たり、TV番組を見たりする程度である。 で、そんな自分が過去問集3冊を購入し、解いてみたところ、 (ちなみに50問中30問正解で合格ライン) 入門クラスは勉強なしで40問はいける。 しかし、初級クラスは勉強なしで20~25問。これは落ちる。 ということで初級クラスをまずは目指すことにしました。 (中級にいたっては全く歯が立ち

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          長元記(ちょうげんき)とは?

          長元記は『長元物語』(ちょうげんものがたり)とも呼ばれ、 元親記とともによく目にする機会も多い軍記物です。 これも元親記と同じく江戸時代に長宗我部元親公の家臣により書かれた軍記物です。 著者は【立石正賀】(たていしまさよし)殿と言われ、元親記よりも後の万治二年(1659年)に書かれたと言われています。 覚え書きとして書かれた側面があるため、箇条書き形式になっており、長宗我部氏の盛衰を冷静に分析しているそうですが、元親記と同じように記憶違いや多少の誇張もあるそうで注意とか。

          長元記(ちょうげんき)とは?

          高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その1

          高知県立埋蔵文化財センター様主催の【山城講座】 に参加してきました。 テーマは高知県佐川町にある佐川城跡だったのですが、 佐川城の話も交えつつ、先日発刊された 「城郭研究と考古学」 で松田所長が書かれたレポートの内容をわかりやすく話してくれました。 高知県の中世城館は716あり、中での幡多・高岡地域が390箇所と土佐一条氏の力が及んでいたエリアに多い事がわかっているそうです。 前提条件として松田所長の説では 竪堀が連続する形には 「連続竪堀」・・・3本以上の竪堀群 「

          高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その1