高知県立埋蔵文化財センター主催の中井均先生の講演会に行ってきた
某日、滋賀県立大学名誉教授中井均先生の【山城の魅力ーその見方、歩き方】を聴きに行っていました。
まず、城郭とは何かなどの基本的なお話から入りました。
・ここ30年くらいで城館が国の史跡になっている事例が多い
・お城イコール天守閣の時代から変わってきている。最近のお城ブームの特
徴は城跡に。
といったような話から入り、
・山城に上る際は地元の方に道を積極的に尋ね、声をかけよう!
(不信感をもたれていても●●城を見に来ました。といえば理解してくれるらしい)
・当時は木がないはずなので、どのように維持管理していたのか?雨ですぐに堀は埋まるのでは?やはりいざというときに戦える状態に再整備したのでは?
・土塁、堀切、竪堀いろいろあるが切岸が一番の防御施設では?ぜひ切岸に注目しよう
といったような話がありました。
その後、土佐の山城の話に移っていくわけですが、
・竪堀を連続的に配置する畝状竪堀は地域性があり、全国的にも見ることの出来る地域は限られていて、土佐は割とたくさん畝状竪堀の城があること
・土佐では城跡にはだいたい城八幡がセットとしてあるが、全国的にはそういうわけではないこと
・長宗我部氏の大高坂城移転は秀吉の戦略で、移ったあともどこかの段階までは先祖伝来の大切な城・岡豊城の維持管理をしていたのでは?(毛利氏の事例あり)
・浦戸城に移ったのは朝鮮出兵をにらんだ秀吉の命令
・一国一城令が出るまでは山内氏が中村城、佐川城、窪川城、本山城を支城としていたのでは?
といったような話が出ていました。
ちなみに土佐では本丸を「詰ノ段」という言い方をします。
これも土佐特有かもしれません。
個人的に、城と城八幡はセットだと思っていたので、それが全国的な話ではないことに驚きました。
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