夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜を視聴してみた1
FM高知さんの特別番組「夏草の薫り〜桔梗が紡ぐストーリー〜」が2020年4月12日19時から19時55分まで放送されてたので、聴いてみたら、かなりの神回だったんで、簡単にまとめてみました。
3回に分けて、順次公開します。
オープニング後、まずは高知県立歴史民俗資料館の学芸員さんのお話。
以下、箇条書きで概要を。
【明智光秀との関係】
・明智光秀は、一般的には織田-長宗我部の窓口と言われる。
・元親の奥さんが、石谷光政の女で、義理の兄が明智家重臣斎藤利三の実の 兄で、姻戚関係者。
・それを利用して織田信長と繋がった。
・元親目線で見ると、元親が石谷氏の娘を娶った時は、信長が勢力を拡大する前で、石谷氏は代々将軍家に遣えていたので、室町幕府に接近しようとしたのでは?(国親、元親は土佐一国、四国だけではなく、全国を見ていた!ということですね。さすがです。)
・その後、たまたま信長と繋がりがあるの気づき、その関係を使ったのでは。(ここまでの長宗我部家、運がいいですよ!)
・織田信長との関係が始まったのは、土佐統一後である。
【長宗我部元親の魅力】・長宗我部元親は外交上手だと思う。四国統一にあたり、大きな敵は伊予の河野氏、阿波、讃岐の三好氏くらいだった。大きな敵と戦うために外交を行い、小さな敵を味方にしたり、自分の弟や息子たちを養子に入れることで、平和的に勢力を拡大していった。
・できれば戦わずに勝とうとしていた。(孫子の兵法の戦わずして勝つではないか!)・残っている書状を見ると、自分より位が低い他国の人にも丁寧な言葉で書いている。
・ある一面で見たら、腹黒くて怖い。(元親公腹黒説出た!)
【一領具足とは何者たちか】
・最近の研究では、戦の際に一領分(1人分)の兵を出すという兵役のようなものを課された武士を指すと言われている。
・そういった人々の総称で、一領じゃない人たちもいて、当時の資料には4人分の兵を出すことを課された『四領具足』もいた!(新事実!四領具足がいた!なら二領具足や、三領具足もいたのか!?)
・他家では家老が何百人の兵をだす感じ。家老がいて、その家臣が兵力の下支えをしている。陪臣がたくさんいた。いわゆる、社長がいて、支社があってという形。
・長宗我部家は違っていた。みんな本社の正社員。他家からするとかなり異色だったよう。
・一領具足と呼んでいたのは長宗我部家ではなく、他家が呼んでいたようだ。特に山内が入って来た後に、よく一領具足という名前が出てくる。
・山内としても、自分たちの家の制度と違っていたので、そう呼んだのではないか。
と、この後興味深い本能寺の変四国説の話に移っていきますが、まずはここまで。
銅像が、「一領具足よ、集まれ」と招集かけてるように見えたり、見えなかったり。
うーん、なんとなく拙者の感想ですが、一領具足=野武士みたいなイメージを作ったのって、山内の策略のような気がしますねー。。
ようは、みんなが本社社員てことで、システムの名前であって、農民にそれを課してたわけでなく、あくまで武士の1人ということですよね。
それなりに長宗我部元親は部下に歌会だの、なんだの、教養をつけさせようとしてますし、やはり山内の一領具足サゲのイメージ戦略としか思えないのは、長宗我部贔屓の土佐人だからでしょうか。。
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