これもまた「自分らしい働き方」。
アラームをかけず眠りにつく。
目が覚める時まで眠る。
ご飯とお味噌汁を作って掃除。
それから一緒にご飯を食べる。
掃除も洗濯も、一日のことが朝のうちに終わっている🧹👕
炊き立てご飯とできたてお味噌汁を食べる。
「お腹が落ち着いた」くらいで済ませる。
おやつ用のおにぎりを作る。
お腹が空いたらそれを食べる🍙
身体の声に素直になると一日5回は食べている。
満腹ではなく落ち着くまで。
それが一回あたりの食事。
眠たくなったらお昼寝をする。
気持ちの良い風が通れば、手を止めてそれにただ吹かれる。
夕方色の空を見る。
もっと見たくて散歩をする。
蛍光灯はできるだけ消す。
身体が眠たくなっていく。
夜は夜🌙静かで暗い時間を楽しむ。
ぽつぽつ話す。ゆっくり過ごす。
空いた時間を埋めなくて良い。隙間時間は隙間のまま。
仕事が早く終わったなら、コーヒーかおしゃべりか早く帰る。
せっかくの空白。未来の仕事を先取りして自分を忙しくすることない。
暮らしあっての仕事だから、好きな暮らしを保てる範囲で仕事をする。
自分らしい働き方は「好きを仕事に」だけじゃない。
8時間やるのは苦しい仕事を2時間に抑えて気楽に無理なくやっていく。
それも「自分らしい働き方」。
働き方は暮らし方から。
生活費をムリなく楽しく下げたなら、仕事も暮らしも楽になる🏡
スマホが最新じゃなくても良い。
家が新築じゃなくても良い。
自分で手を動かせば良い。
その時間がある働き方=暮らし方にすれば良い。
「便利」はそれだけのことでしかない。
自分という人間を良くはしない。
お金の不安は際限がない。
収入も投資も貯蓄も何も、あるほど良いから青天井。
あるほど良いから永久に足りない。
お金でお金を解決するから永遠に続く無限ループ♲
忙しいのは嫌なのに時間があまればやることを探す。
自分で仕事を見つけてくる。
自分で自分を忙しくする。
そうさせるのは善意と不安とヒマへの弱さ。
あとそれからお金への不安。
だから暮らしのスリム化が大事。必要なお金を減らすこと。
拡大には終わりがない。それが自分を苦しくする。
上限こそを決めるべき💡
「もっともっと」よりむしろ、小ささこそを保つこと。
そうは言っても揺らぐ自分。
だからこうして言葉にして「やっぱりそうだ」を確かめる📓🖊
すべてをお金に繋げることない。
お金にするには約束が必要。それが歪みを連れてくる。
お金に繋ぐと削られるもの。それが「好き」の中身なら、お金に繋ぐことは毒☠
「好きなこと」まで仕事に変えなくて良い。
ほどよい暮らしであったなら、そこまでしなくて良いかもしれない。
必ず定期でやるだとか、必ず成果を上げるとか
そういう色々がせっかくの「好き」を歪めうる。
好きを保つ環境がある。
何をするかだけじゃなく、どんな状況でそれをするか。
好きなら「好き」のままで良い。
好きならただそれだけで良い。
好きがお金に負けないように。
好きを仕事にするだとか、こうしたら幸せになれるとか、どれも自分の外にある。
それを取り入れて飛びつくから、自分を幸せじゃなくしてしまう。
そういうの、もうしなくて良いんじゃないか。
自分に留まっている方が幸せじゃないか。
働くために暮らすのでなく、暮らしのために働きたい。
人生は時間そのもののこと。
でもリソースと呼びがちで、部品として眺めがち。
あるいはアンチエイジングで抗う対象。
人生は時間そのものなのに、利用したり抗ったり⌛
時間それ自体を楽しみたい。
イタリアのバールは、コーヒーを楽しむ以上に「その時間を楽しむ場所」なんだよって
そう聞いた話を思い出す☕
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。