もしそうなっても楽しいよ👌
目が見えないって不便で不自由で大変だろうと思っていました。
そうなったら困るよなって。
でも今は違うんです。
ダイアログインザダークっていう完全真っ暗闇体験をしたからです。
目を使わない世界とは、実際こんなにも豊かなんだ。
それを教えてもらったからです🦯
羨ましさを覚えたほどに。
本で知って、興味がわいて、参加したのが10年前?
リピートし、人に紹介し、チケットを贈ったりしてきました🎟️
それほど良かったんです。
自分の中に刻まれた、ささやかでも確かな体験。
原体験とか人生を変えた!というほど大げさじゃなくても、僕にとっては確かです。
完全真っ暗闇。ホントに完全真っ暗闇。
3センチ先の自分の手さえまったく見えない真っ暗闇。
その中で歩いて遊んでおしゃべりする。それがダイアログインザダーク🦯
歩幅は小さくすり足で、ゴッツンコしないか心配で、手を前に横に伸ばします。
でも普段から「目を使わない世界」で生きている視覚障害のアテンドさんにはいつも通り。
誰がどこで何しているか、声と音と感覚で分かって、スタスタこちらに歩いてくる。
ちょっと座ってみましょうかって芝生に腰を下ろしたり、初めて会った人と背中合わせに座ったり、
それで色々おしゃべりしたり、歩き鬼ごっこで遊んだり🚶♀️🚶
草に触れる感覚や香り。いつも以上に感じられる。
相手の中にある景色をすごく想像しながら話す。
そんなアレコレがとても好きでした。
目を使わない世界に広がる豊かさ。
普段は何でも目に頼る自分。
一目でも相手を見たならば、どんな顔か、何歳くらいか、好みかどうか、表情はどうか、そういう判断が避けがたく起こる。
その人のことは見えなくて、でもだからこそ、声や空気を通して分かる、温度や存在ってものがある。
顔も見えないその人と、声だけで話す真っ暗闇は、なんだか「その人そのもの」に触れる感覚でした。
良いなあ、こんな風にできたら幸せだなあって。
もしこれが「目を使わない世界」の普通なら、それはとてもとても良いなあって。
目を使わない方々は、声で人を好きになるそうです。足音でオシャレするそうです👞👞
そんな発想があったのかと!
目を使わないということは、健常者である僕が100受け取っている世界が半分になることじゃなく
鼻とか耳とか想像力、もしかしたら相手への関心なんかがそれだけ膨れて、僕とはまた違う100の世界になるのでしょう。
その世界、豊かで素敵でそれも良いなと🌎️
素直にそう思います。
認知症についても、ちょっと印象が変わりました。
若年性アルツハイマーと診断された方をモデルにした『オレンジ・ランプ』という映画を観ました🎥
誰しも認知症になりうる。だから「安心してそうなれる」のが良い社会。
診断されて初めは困って戸惑ったけど、人生は別に終わらなかった。
自分がもし忘れても周りが覚えてくれていたり、今までとは違う形でまた暮らせるように工夫したり。
パンを焼きながらコーヒーを淹れるとパンを忘れて焦がしちゃうから、焼き上がるまでトースターだけを見ている🍞
たとえばそんな「工夫」が出てきますが
そうやって一度に一つのことだけするの、穏やかでもありそうです。
映画『オレンジ・ランプ』の中で出てきたセリフ
「大丈夫じゃない、と言ってほしい」がすごく良いなと思いまして。
認知症と診断された男性が、日常生活を新しい形で取り戻そうとする中で
支えてくれるパートナーさんに向けて言うのです🗨️
パートナーさんが言うんじゃなく、支えてくれるその人に、当事者の男性が言うのが良いなと。
診断が出て、まして認知症で、ましてまだ39歳の男性。
人生を諦めそうな一瞬もあって、本人は大変だろうから、かわいそうだから周りが全てやってしまう。
それで本人の暮らしが失くなり、家庭内で関係が固定化される負の連鎖⛓️
ただ認知症でも本人は本人。パートナーさんはパートナーさん。
本人も支援者も助け合える、その対等さが健全な関係。
だから「大丈夫じゃない」と言ってほしい。今できる形で助けるから。
人それぞれの地獄があります🦹
障害があっても無くても我々それぞれ苦労してます。でも良い瞬間だってある。
どういう風になってもきっと、人生それなりに楽しみがある。
どれが良いとか悪いとかなく、そうなった時の自分で楽しみ方を見つけていく。
そうありたいと思います🔎
僕個人でいえば、退職したって人生終わらなかったし、不便も収入ダウンも楽しいです🏡
(なら何故あんなにも頑張っていたのでしょう。あれはあれで必要な時間だったけど)
いろんな「そうなっても楽しいよ👌」を知っていると、生きやすくなれる気がします。
子どもに「オトナになるって楽しいよ」を見せるのも同じ。
この世界をこういう風に楽しむのも良いよって示して
大変かと思っていたけれどそれだけじゃなさそう、なんだか楽しそうと思ってもらえたら良い。
僕にできることは僕なりに「普通の形とは違っても、これも楽しいよ」を表すという
それで良いのかもしれません。
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。