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「小市民」的行動が身についている私に「あなたへのおすすめ」が殴りかけてくるスキを三桁貰ってる記事はユーザーごといらない。いけすかない「へっへっへ」を取り除いた「選ばれなかったもののぬくもり」にこそ興味と価値がある。

とりあえずリフレッシュして起きて、そろそろ手持ちのソース
コレクションが底をついて来たから、本なりソースなりと
諸々のブツ撮りだけは済ませた。
 一応メモ書きを含めて下下稿くらいの『ダンジョンの中のひと』の
感想は、ここから仕上げれば上がるくらいの材料は揃った。

 が。

 少しここは興味を持った話題を別角度から掘ってみたくなった。
なのでここは試みてみる。

 毎日更新しているNoterとしてはそこそこのスキを頂ける身分にまで
なんとか辿り着いたのですが、多くてもスキの数は50に至らない程度
なので、「あなたへのおすすめ」でスキを三桁貰ってる記事に出くわすと、
ユーザーごとブロックするのは当たり前、といふ「小市民」的行動が
ついつい日常になってしまってます。

『小市民シリーズ』はいきなり二話から感想を書く。「おいしいココアの作り方」感想。ちらちらと岐阜市の治水要素が美術で描かれているところにもなんか暗喩がありそうなのが「道との遭遇」観てたので楽しくもあり。|torov

 そんな「小市民」的行動が身についている私でも、たまに
フォローしている人伝いにスキを三桁貰ってる記事に出喰わすことが
あって、これなら別角度から掘ってみたくもなる
「レファレンス」の心意気に狩られるような記事に出逢ったので、
そこを突いてみようかと。


一度何かの痴れ者なのか、文章が一旦消されたがそう簡単にはめげない。
積み上げるだけだ。

突端はここか。

コンテストに落ちても納得の理由!|喜木凛🌿ブックシェアコーディネーター

まあ喜木さんがこの程度で納得してるなら機嫌をとることもないので、
それはそれで一向に構わないわけですけど。

 で全くいけすかないユダ記事とはまあひらていにこれである。

審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由|藤原華|編集者

この記事におけるいけすかない「へっへっへ」でイスカリオテのユダでしかない点は大体ここに尽きる。

入っているだけで、読んだ私に何の得もなかったんです。


 じゃじゃじゃあ、この人であるかも怪しい価値観やベネフィット(利得)をフラットに「どうでもいい」として。

所詮「知らんがな」なんて関西弁チック症じみたさんまが多用する「ほんで?」連発みたいな対人における殺傷力の高いコトバを多用するものを選ばずに(選ばれてたフォロワーは既に一人フォローを外した)、わざわざ
「落選作品」と題して羅列された記事から、いい記事だな、と思える
ユーザーをフォローしながら紹介してみる、ってのは「廃物記事の有効活用」みたいでそんな趣向もいいな、と。

(これでも不毛な有料不作為記事ばかり表に載せてくるnote
の表看板よりは公平性が高い、といえるほど病んではいるからなあ)


ではまあ具体的に、参りますか。


まずは藤原華に選ばれたテシマユリコのフォローを外して目に付いたのは
この人かな。

富山佳奈利☆カナリさんって呼んでね|note

いつも気になっていましたが、ついぞ入場することはありませんでした。
だって、嫌いなんだもん。

には強く共感。

そういう傷を忘れないために、多分、私は書いているのだと思います。

って#なぜ私は書くのかのお題に添えたエッセイとしての要諦を抑えているけど、そこを読み取る力がない人もいたのだな、って点だけでも推せはするな、と。

 まあ選ばれた方の三割くらいはブロック。あと既にブロックしてたユーザーが三割くらいだったようで。


 次はこの人か。とっかかりの福島県民はnoteだと避けがち
(変に公式マークとかやらを振りかざす高校が岩手と福島に多いから、
そこを意識的に避けてる、はある)だけど逆に今回それでブロックを
解除した。

しっぽ|note

書くことで初めて見えた自分のカタチ。|しっぽ

いまでも心の奥底に、あの日傷ついたままの子どもの私が居る。

これが根源的にある、という書いて書いてきた上で見えてきたものの気迫が感じられて、こう生きてきた人でもあるんだな、って人間性が見えてきてる分だけいいな、と。

文章にして初めて、自分の心のカタチが見えてきた。



三人目はこの人かな。

ゆづ|note

真っ先に耳に飛び込んできたのは、自分の書いた文章だった。
胸が高鳴る。
「よく感情が表現されてますね」
そう言われた。
目立つことは怖かったが、それ以上に嬉しかった。
誰にも届かないと思っていた私の声が届いたんだと思った。
私の存在がほんの少しだけくっきりしたような気がした。

白眉はここかな。
 承認欲求と存在定着欲求(ぼくはここにいてもいい)が重なる時の
安堵感。

文字こそが私の居場所だと思った。

を引き出せるコトバの選び方は、経験値と欲求値の鈍いユダには
結局皆目見当違いでわからぬところか。

 まあ大体千三つで三人くらいがよろしかろ、といふことで。
 まあこれは#やってみたタグで出すのがせいかい、かな。

いけすかない「へっへっへ」を取り除いた
「選ばれなかったもののぬくもり」にこそ興味と価値がある、でした。




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#誰にも届かないと思っていた私の声が届いた
#サンボマスター
#そのぬくもりに用がある