決断場面やブレスト(合議)の段階でやり過ぎてはならない典型が「ダメ野地」。「ダメ野地」的一点張りは精神的にも物理的にもしんどいから大概はよろしくないベクトルに向かってる天候悪化「下り龍」のサインと一緒。回避するためのいくつかの処方箋とは
日付を越えてから、と午前六時までにの仮締切は
ブチ破ってここまで来たから(その分少し寝た)、
まあ正午までには一本上げるか。
それでも一曲の作詞に阿久悠が掛けるのは
三時間まで、と決めていたからああも量産できた、
とも言われていますが、ある程度時間を区切って
それなりのモノに仕立てるのは結構大事で疎かには
出来ない作業(下段取りとも云う)。
逆にそうした決断場面やブレスト(合議)の
段階でやり過ぎてはならない典型が「ダメ野地」。
「ダメ野地」的一点張りはよく薄謝協会ならではの
解説場面で見られますが、アレは見てるだけでも
ビタ一文まからなくてしんどい。
なんか常に「ダメ野地」のレッテルをベタベタ
貼られてる感じがして、コンテンツ自体が嘘臭く
かつしょぼく見えてしまう(見せてしまう)嫌いが
ずっと残尿感のように残りがち。
「ダメ野地」的一点張りの「ダメ詰まり」とは、
特に決断したり発言する上においてだとムリに
車間距離を詰めて渋滞を引き起こしてしまうサグ
みたいに成り果ててしまうものだから、精神的にも
物理的にもしんどい。
だから大概はよろしくないベクトルに向かってる
天候悪化「下り龍」のサインと一緒。
ってことでストッパみたいな処方箋の一つは、
東大でムダ取りやってる渋滞学で有名な教授の
仕事学に関する本がテキストの一つになる。
こう観ると「ダメ野地」のエゴイストな進行は
ムダ話をペラペラ喋るのばかり並べすぎて時間
のコントロールが必要だから、ルーエ(ドイツ語
で黙れ)的な「ダメ野地」を最小言語でかます
って構造でもあったんだろうけど、それだと
結局ダメな解説者を飼っている調教師でしかない
から構造的にも観ててしんどかったわけだわな。
「こんなもん見さされたくもないや(使役動詞)」
という感情の渋滞とそれに反射する憤りを感じ
ても不思議ではないと。
でそのあとに重要なのは、コトバで言霊を
使えるレベルで呪文のスペル(言霊の言語詠唱)
が必要、ということの中でも重要視しているのが、
「自分や周囲をうまく乗せられる言葉」
と西成さんは唱えてたりするわけですが、
褒めることは出来てもノセられる人は少ない、
って事例でそういえば棘に典型例があったよな。
だらだら働く雰囲気で業績が悪い部署があった→前職が幼稚園の先生だった派遣の女性が全てを変えた話
で毎度お馴染み佐久間宣行『ずるい仕事術』にも
このあたりの記述は充実している。
まあコメント出してもカイゼンの一つもなし、
な出版社に敬意もヘッタクレもないんで出版社
等の情報もコミコミで以下敬称略と。
ということで調教師風情で口調の「ダメ野地」を
回避するためのいくつかの処方箋もひとまずは
出してみました、回でした。
まあこれで午前中の内には一本、ってところかな。