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ときめく道県、ときめかない道府県の折節十回目はどこもそこそこには栄えているけどあの県庁のある駅は何?となりやすい山口県。微妙にメシは美味いが周防と長門に温度差のあるガチャガチャした地雷案件も多数残されてるところが(次は中国地方の盟主になり切れない(目安は仙台と同じくTXNが地上波で観られないこと)けど、それなりに親しみはある広島県)。

まあ午後六時までの投下には間に合うかな。

なー、ここんとこ山口出身のつぶれデビルマン木村洋二の醜悪さと
気持ち悪さがまとわりついてて(主にSTVの番宣も本編も酷い
「オズブラウン」が臭すぎて)、なかなか山口編に入ることが
出来なかったのですが、ようやっと突破口を見出せたので
やってみることにします。

まだ明石英一郎と2枚看板だった頃はマシだったけど、
おすぎと慣れない接待映画評論ラジオやってて醜悪でしか
なかった挙げ句におすぎには逃げられる醜態晒して一気に
嫌いになった記憶。

で、大泉洋とローカル番組やってたことで延命してしまったのが何よりも「ハラスメント・オールデイズ」なんで。


まあお口直しは呑み物から。


呑む山口の酒といえば「獺祭」ではなく「貴」なんですけど。

よく小樽まで買いに行って呑んでたのはこれかな。
「貴 濃醇辛口純米80」。

小樽旅でも多少触れたことはありますが、この記事の看板
写真にも映っている通り、「酒商たかの」で買えた記憶。
(なんだか永山本家の社長兼杜氏の方と「酒商たかの」の
人が懇意で(かつ太田和彦の教えを守ってて)卸している
関係にあるとか)

その昔BS1が自転車旅ではなく「てくてく旅」だった時代にシンクロ
(現在はアーティスティックスイミングだっけ)
の原田早穂さんが山陽道をてくてくする時代があり、その道中で
永山本家を訪れるシーンをかつて鮮明に覚えてもいたので、呑む山口の酒といえば「獺祭」ではなく「貴」なんですけど。

小樽ミニトリップで書き残した話があるとすれば。南樽市場とたかのの角打ちの話を書けばいい。|torov

あと山口でスポーツの話は基本しないのがセオリー。確かに
実地で湯田温泉行った時にまだまだちっこい事務所があって
旗めいてたものもまだまだ少なかったレノファ山口がひところ
旋風まで巻き起こしていた印象もあるけど、その波も二転三転
した後だし、なるたけ大洋にならぬよう、永大産業にならぬよう、
でもありますし。

異常なまでに鼻呼吸を強要して、鼻詰まりを許さない歯科医はどうよ?と時々思うのだけどさ。喉の調子が良くないのでひとまず「養生せいやぁ」な日々なんですけど。本題としては現代においてもオツムが永大産業な「セルライト塩爺」が今の人々にすべからく生理的嫌悪感をもたれる理由(わけ)について。|torov

 レノファ山口のユニとガードレールの色も含めてコーポレートカラーは
オレンジ、ってイメージは定着してるな、とは思えるけど。


市町村変遷パラパラ地図は有能

なんとか振り絞ってこれわかりやすい、とこのシリーズの
続きを書こう、といふきっかけになったのはこれ。

あー、これ市町村合併と、当時どんな名前が残っていたかが
早わかり出来ていいな。

市町村変遷パラパラ地図

山口県はこんな感じで。

パラパラ地図山口県

香川にも大内の名前が残ってたけど、山口県にも大内町が
存在してたわけね。

1963/05/01(市=13,町=35,村=9,計=57)
○編入:大内町(吉敷郡)⇒山口市

まあこんなに山口市が近隣を併合しても山口駅の鄙びた風景の長閑さには
叶わない田舎ぶりではあるのですが。
(ま、そうした静山だったからこそ思索と立案のベースキャンプに山口を
選んだ大村益次郎の慧眼はあるのだろうけど)

非電化の駅で、みどりの窓口すら廃止された。「SLやまぐち号」は
走るけれど、とても県庁所在地のある市の駅とは
本当に思えない、が実地で行った感想。

少し病がちだった時期の大村益次郎が作戦立案と教練の礎として故郷の
鋳銭司から菩提寺として拠点(ベースキャンプ)を置いたのが普門寺
だっけ。
(『花神』だと中巻の終盤に記述がある)


とりわけ別物は「瓦そば」こそメジャーになったが(「豆子郎」もだいぶ言及したが)、やはり「安平麩」と「ばりそば」はまだ県外を出てないしなあ。

まあ私は特殊で外食で初めて食べた「瓦そば」は『たまゆら』ED
ジャケットのモデルにもなった竹原で初めて食べたんですけど。

そこは「愛情の「愛」と書いて「めぐみ」」の中島愛だからこそ為せる業。~中島愛が引き寄せたアポーツ(引き寄せ)の3曲。|torov

「豆子郎」は何度か出してますよね。スイーツ和菓子としての「ういろう」ジャンルの最高峰。

酢脂の伝道師が死んだから、少しづつ引っ剥(ぺ)がすところを引っ剥がしていくか。まずはフジに毒されるところから普及した冷やし中華とういろうのあれこれ。|torov

 味の出来としては圧倒的にわらび粉を使った山口の
ういろうが群を抜いている。
 上に上げた季節の菓子としても極上の「豆子郎」は
味がホントに素晴らしい。
 ばりそばと「豆子郎」食べにまた山口は行きたい、
と断言できる。

「こういうのでいいんだよ」と思わせる旅情の先にある「駅生」の一つ「ウロコダンゴ」について。まあ今の「駅生」もおさらいしますけど。|torov

このあたりの小ネタの一つでも「皿うどんよりばりそば」と
書いているからホントに一期一会だったけど、ばりそばは
インパクトもあって美味くて、でも山口県以外では食べられないもの、って認識が大泉洋同様あるのだな。

流石にそれぞれのネタが弱めだな。じゃあ編集力をつけようとして寝て起きてみた。クリアーでクレバーな脳で幾つかの小ネタを繋ぎ合わせてみる。|torov


こと山口に関しても好きと嫌いな場所がハッキリし過ぎててね。

話し合いに負けて仙崎の「金子みすゞ記念館」に行けなかったのは
痛恨の極み。

あとはしっかり下調べしていたのにルートから抹殺されて
しまった「三角餅」の柳井に行けなかったことにも禍根がある。

なので山口での実地でいい思い出が残っているのは瑠璃光寺
と錦帯橋の先にある光景と萩と湯田温泉しかなくてね。
(ばりそば食べる時間もなかなか遅くされた上に買えたのが
マンハッタンと安平麩と瓦そばくらいしかなくてね)

防府東のイオンタウン(鐘紡の夢の跡、だっけ。カネボウ防府工場跡の再開発。また代替わりさせてる感じだが)を出たらしっかり真っ暗で。

防府のルートインは駅前にあるとは行っても寝に入ってただ
出るだけで、駅や周辺の様子なんて一欠片も覚えちゃいない
いつもの悲惨ですね、で。

スクショも撮れて、15万ビュー到達しました。ひとえに日々の努力と読者がいてこその達成かと。で本題は主に道の駅に拉致される確率が高すぎる町の思い出は皆無で、車で出やすいルートインばかりだと街中の様子や、匂いが全く思い出せない、と後天的にもう二度と行きたくない土地に化けてしまう幾つかの理由。|torov

 特に虚無で全く観る気がしなかった秋芳洞と津和野連行が
ひたすらトラウマでこの二箇所には二度と行きたくないと
断言できる、まで言い切れる次第。

 とまあ山口編で言えるとすればこんなところでしょうか。


次回は中国地方の盟主になり切れない(目安は仙台と同じくTXNが地上波で観られないこと)けど、それなりに親しみはある広島県、と参りますか。最初に訪れたのはよりによっておだちすぎた母親が備中高梁の高松城で腰をイワして宮島も碌に廻れず、広島市内で広島式のお好み焼き(当然うどん玉で)食べた帰りの駐車場で待機してて、ミシャ監督の入れ替え戦聴いてた、そんな頃なんだよな、って話などなど。

「熊害注意」が爆誕するまで。~の、そんな頃のおはなし。|torov






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