あんまり私が10代から20代に至るまで現代詩を書いている人だった、って話はあまりしないところではありますが。
ひとまずコメントで見栄は切って、午前6時に一応締切の
リミットを切って、『SONGS』の菅田将暉回をかけながら
SCRAP作業の追い込みには向かっていたけど、結局最後まで
は至らず。
ならば、ということで幾つかの過去にSCRAPした記事と
幾つか書いてあったメモを組み合わせて、今日もまた記事に
して一本を取りに行こうかと。
いつも「ひとひと」の項目に入れている記事の群れに元
薄謝協会の名アナウンサー山根基世さんの連載が舞い込んで
来るようになりました。
9784062754118
そんな冷静沈着なアナウンサーでも、というか最初の頃
だったからこそ、まだこんな人間じみた焦りと若さゆえが
あり得たのか、ってエピソードがあったのか、ってのも
あって書き留めたくもなった、と。
タイムキープと原稿を読むリズムはまたアフレコとも違う
スキルとキープ力を要求されるものなんで。
そこに焦りや至らなさが先に加わってしまうと、目も
当てられない人の時間をシラケさせた上に無駄に削る申し訳
なさがカウントされてしまうもの。
とここまでをまくらにしてぼちぼち本題に突入しようかな、
とは思うわけですが。
一応東京都下の今は合併したので校名のない小学校では
ガリ版刷りで学級誌出してた先生の指導で詩の朗読を奨励していた。
なので小学校を卒業するまでに朗読の基礎は身についていたし、
発声などの基礎もある程度は心得るところまで来ていた。
中学に入って一月で結局は北海道に戻っての転校。
小学校最後の夏休みに学校図書館の資料整頓を手伝ったことが
その後図書館司書の資格を取ろうとするきっかけのトバ口の
一つでしたが、図書委員会に長くいたこともあり、当初は
数を競っていた「読書マラソン」に勤しむ傍ら、現代詩の
創作活動を地道にかつ個人的にやっている、そんな子では
ありました。
なのでとりわけ現代史に関しては積極的に下調べする子
ではあったので、石垣りんの詩をプリントで寄越してきた
先生に「一行抜けてる」と指摘するくらいのそこそこ厭味な
人間には育っていたかと(まあこの頃からの添削癖はそうそう
消えるものではない)。
(ちなみにそれは石垣りんの「しじみ」って詩で、ラス前の
一行が抜けていたような)
そんなこんなで詩作していた時のPNの派生になり、
ネットの掲示板などで使っていたHNの最も一般的な一つが
このtorov(トロフ)というHNでもあるのですがね。
だから現代詩もよく図書室に思潮社の本(全集)が揃っていたり
したから、よく読んでいたわけで。
その中のテーマの中でも特に重視していた一つがこれ。
「受難者になる、って場合における目線・視点を忘れない」こと。
ま、いつもマイナーな部分で受難者になる、ってところの
目線を忘れない、ってことに関しては吉野弘と金子みすゞ
の影響が大きい。
まあどちらも有名ではありますが、吉野弘でいえば
「夕焼け」。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。
吉野弘は茨木のり子などとも活動していた戦後の現代詩人
の一人で著作も結構ある。
もう一人の金子みすゞはちょうど何度目かのリバイバルで
ようやく全集が出始めた頃に思い出がある(そして山口に
行って萩まで行ったのに、記念館まで足を伸ばせなかった
ことを未だに後悔している)。
当然ここは「大漁」で。
浜(はま)はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万(なんまん)の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。
まあこの精神と眼差しを忘れずにいられるうちは、日本語
使いとして平穏でいられる、といふことの証でもあるように
今では思う、と。
あんまり私の過去に興味を持って貰うような機会は、
私がシテ(主軸)になって書くような場所に来られなかった
経験が長く続いたこともあって、なかなか書くようなことも
ありませんでしたがたまにはそうした内省から抉(えぐ)って
記事を書くのもこれはこれで悪くないかと。
あんまり私が10代から20代に至るまで現代詩を書いている
人だった、って話はあまりしないところではありますが。