重い鬱も地獄だが軽い鬱も地獄だ
そして朝がきた。多すぎてどれだかわからない処方箋の束から、毎食後の薬を探し当て、珈琲で流し込む。少し大きめのカプセル剤は、食道につっかえるような違和感があったが、まもなく消えてなくなるだろう。
むずかって朝食を食べようとしない息子に、なんとか何がしかを食べさせ、送り出し、食洗機をかけ、水筒を洗い、夫が職場に持っていく熱いお茶と珈琲を用意し、部屋を片付け、最近芽が伸びてきたチューリップに水やりし、洗濯物を畳んだら、ひとまず家事は終わりだ。
でもここからどうしていいかわからない。やりたいことは色々あるのに、気力が、ヒビの入ったワイングラスみたいに漏れ出ていて何をする気も湧かない。けれど、布団をかぶって漫画に耽溺ほど鬱なわけじゃない。鬱の底が辛いのは言うまでもないが、軽めの鬱は軽めの鬱で地獄だ。中途半端に気力があるし、頭も回る分、より一層、自分の根性のなさに不甲斐なくなる。
神田橋語録に従って「私さん、私さん、今何がしたいの?」と自分の心身に聴いてみながら次の一歩を踏み出そう。