成長のための競争という呪い、この道一筋という呪い
恥をかいて、けなされて、競争のフィールドに立って、コテンパンに批判されなきゃ、レベルアップできないものなんだ、といつのまにか信じ込んでいた。そしてそのことが、私を文字通り追い詰めてきた。でも坂口恭平は「自分の薬をつくる」で、そんなことは必要ない、批判される場所に立たなくても、批判的なことを言う人に耳を傾けなくても、全部自分で手直しできるのだと語る。これはすごいことだ。息子が大きくなったら伝えたいことは、これかもしれない。私が知らなかったこと。批判されなくていいこと。
坂口さんは、今ある職業は枠がカチカチすぎて窮屈で息苦しくなることがある、自分自身がどのように拡散しているのか、その広がりを調べよ、自分がなりたいと思っていた職業からいかにずれているか、そこにこそ、自らの仕事に変貌していく可能性が秘められている、というようなことを書いておられるが、すごくいい指摘
だと思う。
私の本業は、理論物理の研究なのだが、そこに苦しさを感じ始めて、離脱の道を探ってきた。実は理論物理研究のしんどいところこそ、そのカチカチ性にある。高度に専門的になればなるほどしょうがないのだが、ちょっと違う分野に手を出そうとすれば、恐ろしい時間とエネルギーをかけてイチから勉強しなければ、最先端に追いつけない。物理のお勉強が得意な人なら、本業の研究もしながら、短時間で勉強して専門性を広げていけるかもしれないけど、亀のような歩みで理解をすすめる人間には難しい。複数の分野で先端を追いかけようとすると、それだけ、先端にたどり着くのに時間がかかる。自分の本業の分野でさえ、不勉強なところだらけなのに、違う分野を勉強する時間なんてますますとれないーーーこの不自由感と焦燥感が嫌だ。もっと伸びやかに、自由に、フラフラ色んなことしたいのに。
数学者の秋山仁のこんな言葉を、だいじに抱えて生きてきた。
秋山さんは大好きだ。驚くほど数学が苦手だったのに、劣等感と屈辱に苛まれながらも執念で数学の道を進んでいったから。そしてその苦しさを赤裸々に語ってくれるから。数学も物理も苦手だったのに、理論物理で博士課程まできちゃった私には、希望の星の大先輩だった。例えゆっくりでも、いつか自分の力で小さな花々に出会える、と信じていた。
そんな私がアラサーになるまで気づかなかったのは、自分は執念でひとつの分野を続けるのが体に合ってないし、無理にしようとすれば病んでしまう、ということだった。坂口さんは「躁鬱大学」という本も書いていて、それは躁鬱人である私には衝撃的な救いの書だったのだが、「躁鬱大学」で「テキスト」として引用されるのが、精神科医の神田橋條治による「神田橋語録」である。躁鬱人には最高の「薬」なので引用したい。
頬をぶん殴られたような衝撃だった。自分が薄々気づいていて、でも見ないように、気づかないようにしていたことをまさに突きつけられた気がした。この道一筋、職人気質こそカッコよくて、あっちへふらふらこっちへふらふらな生き方は、浅くてカッコ悪いと思っていたから、この道一筋ができない自分をどうしても受け入れられなかった。「双極性障害 I 型」と診断されてから、なんでこうなったんだろう、私は虐待にも合わなければ、いじめにも合わず、犯罪被害者にもならず、トラウマもないのに、なんで精神疾患なんだろう、と思ってきたが、その答えがあった。自分が心地よい生き方を否定して、苦しい生き方を自分に強いていたせいだった。
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