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2022年冬期アニメ感想 平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

 ご存じ『平家物語』冒頭の一節である。私も学生時代に暗記した覚えがある(忘れかけてたけど)。
 『平家物語』は平安末期を背景に、平家の栄枯盛衰を描いた作品である。作者についてはあまりよくわかっていない。アニメで描かれているように、琵琶法師が語ったものもあり、こういったものを『平曲(へいきょく)』と呼ぶそうだ。
 アニメでは『殿下乗合事件』が描かれているので、おそらく1170年頃からお話が始まる。この時代は平家一族が当時のあらゆる権力を手にしていて、冒頭にあるように「平家にあらんずば人にあらず」という、実に驕り高ぶった言葉も紹介される。平忠盛、平清盛で権勢を極めかけていた頃だった。

びわの役割

 アニメの冒頭を見てみよう。

 最初のカットは、羽化した直後のアゲハチョウ。

 続いて花のクローズアップ。

 ヨレヨレと飛ぶアゲハチョウ……。

 この3つのカットを経て、本編が始まる。
 「羽化した直後のアゲハチョウ」はもちろん「平家」を現している。平家が様々な苦労を経て、ついに権力を手にした! ……まさにその瞬間であるから、羽化した直後のアゲハチョウで示されている。
 「蝶」のモチーフは、「うたかたの夢」。荘子が蝶になる夢を見て、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも人間の姿をしている今が夢なのか……という中国の故事から『胡蝶の夢』という言葉が生まれた。現代でも映画に「蝶」のモチーフが出てきたら、「夢」「幻想」「幻覚」を示唆しているということになっている。バトル漫画に「蝶」が出てきたら、まず間違いなく「幻覚攻撃」を受けている最中だ。
 そうした蝶をアニメの冒頭に持ってくる……ということは、「栄華を築いた平家一族」の権勢も、ほんの一時の「夢」に過ぎない。大きな歴史の中で見れば、ほんの一瞬のできごと。最初にそのことを示したかったのだろう。

 第1話冒頭シーン。白椿の花が咲いては散り、咲いては散り……を繰り返す。もちろん、平家が「咲いた次の瞬間には落ちていく」ことを暗示している。

 白椿の影が赤い。まるで花を「首」であるかのように表現している。

 次に、本作の主人公である「びわ」が登場する。この作品の中で、唯一歴史上に存在しない、架空の人物である。
 びわは平家一族の狼藉を目の当たりにし、そのとばっちりを受けて父親を殺されてしまう。
 びわは右目で未来を視ることができた。父親が斬り殺された瞬間、左目に血が入り、右目で未来が見えた。間もなく平家が没落する未来を――。

 びわは決死の覚悟で平家の屋敷に忍び込み、会った誰かに平家の没落を伝えようとする。死ぬ前に平家の誰かを脅かしてやろう……というささやかな復讐のつもりだった。
 が、その時、偶然会ったのは平重盛だった。平家のなかでも、「唯一の人格者」と評される平重盛だ。びわは冷酷だと思っていた平家一族の「人情」に触れて、そのまま平家に引き取られ、過ごすことになる……。

椿の花とその花が落ちる様子は、この作品では「誰かの死」を意味する。

 という冒頭の場面を見て、私は「おや? びわって、最初のシーンで死んでないか? 亡霊ではないか?」と思った。どうして平家の屋敷に忍び込めたのだろう……とか考えて、「びわ、実は死んでる説」を考えていたのだが、これは私の思い込みだったようだ。

第1話、女御に面倒を見てもらうびわ。この時の絵が、山田尚子監督の絵コンテの絵そのものになっている。可愛い。

 この作品において、びわはどんな役割を持っているのだろうか? まず歴史を外部の視点から覗き込む人物が必要だった。歴史物はやっぱり人物や政治が複雑だから、「誰の視点」で描くか……が案外大事になってくる。このシーンでは清盛の視点で、このシーンでは重盛の視点で……となっていると、お話の軸がどこにあるのかわかりにくい。しかもお話の最重要人物である平清盛と重盛は、途中で死んでしまう。では没落の瞬間まで、誰の目線で描く? そこで、実際の歴史上に存在しない、「第3の視点」がいると、すっとわかりやすくなる。
 作品の前半部分、平重盛や徳子がびわに自分の身の上を説明している場面があるのだが、どれも聞いていると「独白」になっている。びわという人物を通して、自分が今どういう気持ちなのか、視聴者に語っている。キャラクター達はびわに語っているつもりで、視聴者に語っている……そういう構図も作れるので、実在しない人物を導入することに意義が出てくる。

 私が最初に「びわは死んでるんじゃないか?」と思ったのは、重森や徳子がびわに話しかけている時、ずっと自分の内面の独白になっているから。これも私が勘違いだったのだけど。

 こうした本来は「硬派」なイメージを持つ歴史物の中に、「幼女」を導入するもう一つの効果は、「抽象度を上げる」こと。作品が柔らかくなるし、見る側の「構え」を少し下げさせる。歴史上に存在するはずのない幼女が紛れ込んでいるということから、その中に少しのファンタジーがあったとしても、幼女を導入している時点で「抽象度」が上がっているので、見る側に受け入れる用意ができてしまう。
 私は「歴史上に存在しない人物が導入される」と聞いて、もっとファンタジーっぽい内容になるかと予想していたが、実際に見てみると、歴史事実そのものは尊重している。歴史そのものは忠実に描くけれども、個々の解釈は柔らかく描く……そういう意図を現したキャラクターだということがわかった。

 私はアニメ『平家物語』の主人公は重盛と徳子だと思って観ているのだが、その重盛と徳子が「話しかけやすい人物」として、少年のようで少女、子供のようで大人……という不思議なキャラクターを生み出している。どのキャラクターにとっても、隙を見せて自身を語りやすい存在として設定されているところもうまい。
 びわは結局のところ、何もしない……。というか、「歴史事実」は動かざる事実としてあるわけだから、そこに干渉するわけにはいかない。びわは平重盛の従者という立場で、その時権力上層部で起きていた事件と、人物とつぶさに観察していく。

アニメ『平家物語』独自の「解釈」

 私は歴史はさっぱり詳しくないし、この時代のことはよくわからないが、本編を観ていくとしよう。

 最初に書いたように、第1話に1170年の『殿下乗合事件』が描かれる。
 1170年(嘉応2年)10月16日、参内途上の藤原基房(もとふさ)の車列の前を、鷹狩の帰宅途中であった平資盛一行と鉢合わせになる。平資盛は馬から下りず、礼を怠ったとして、基房の従者たちから馬上から引きずり落とされた……という事件だ。
 これを聞いた祖父の平清盛が「お礼参り」として300人の武士を率いて、基房とその部下たちを取り囲み、馬から引きずり落とした挙げ句、髷(まげ)を切り落とした……という。
(この事件には「異説」もあり、怒り狂って報復をしたのは平重盛だった……という話もある。私にはどっちが正しいのかわからない)
 『平家物語』によれば、この事件を「平家悪行の始め」として紹介されている……ということだ。ここから、平家の急転直下の没落が始まる。その始まりの事件だからこそ、アニメでも取り上げられたのだろう。

 平家の没落していく過程を取り上げていく……。そうすると、栄華を極めていった平家の驕り高ぶりの部分をクローズアップしていくのかというと、ぜんぜんそんなことはない。
 ここはあくまでも山田尚子監督の風味。山田尚子監督といえば『けいおん!』や『たまこマーケット』という作品で、徹底した人間の性善説を取り上げた作家だ。『聲の形』という作品では少年少女の精神的な暗部を取り上げたが、それでも結局のところ、全員「いい人」だった。悪人を描かない、悪にも見える人間でも、その内面を掘り下げたい……そういう考え方の作家である。
(そんな山田尚子監督が歴史物を作る……というのがあまりにも意外すぎるのだが)

 まず平清盛は「驕り高ぶる平家」の中心人物である。普通の作家なら、平清盛を徹底した「悪人」として描くはずだ。実際の歴史を読んでみても、先の『殿下乗合事件』の詳細を読んでも、平清盛は極悪人しか見えない。
 ところがアニメ『平家物語』での平清盛は「おもしろかろ」と、「愛嬌」の人物として解釈している。平清盛は、ただ単に面白がっていただけだ……という解釈だ。

 平清盛と対抗する後白河法皇も、歴史事実を読んでいるとなかなか恐ろしい人物である。源氏に「平家打倒」の任務を与えるのだが、平重盛と平清盛が死んだ後でも、容赦なく平家を追い詰めていく。重盛の子供たちとは、仲良く歌を詠み合った間柄だったはずだが、冷酷に抹殺指令を出していく。この辺りの行動を読んでいると、後白河法皇も冷酷な人間だったんじゃないか……という気がする。
 ところがアニメ『平家物語』では、後白河法皇を演じたのは千葉繁だ。どうあがいても「可愛いお爺ちゃん」になってしまう。
 玄田哲章が平清盛を飄々とした「愛嬌の人物」として演じ、千葉繁が後白河法皇を可愛いお爺ちゃんとして演じる……。するとこの二人の人物像や関係性がどこか柔らかなものになっていく。どこか「本当に仲が悪いんだろうか」みたいにすら感じてしまう。
(本当なら、玄田哲章も千葉繁も「怖い声」を出せる俳優なので、「怖い人物」として演じることはいくらでも可能なのだけれど、そこはあえて……というのがこの作品を面白くしている)

 後半に入り、源頼朝が登場する。平家と敵対する総大将である。平家を最終的に追い詰める存在(ラスボス)だから、「怖い存在」として描くのかな……と思ったら「本当に?」が口癖のおとぼけキャラになっている。
 源頼朝は異常なほど疑り深く、自身が天下を取った後も周りの人に疑いを向けて、信頼すべき側近や親族までも手にかけていった……という人物だったが。源頼朝をこんなふうに愛嬌たっぷりに描かれた作品は初めてだ。

 出てくるキャラクター達がことごとくやわらかい。そういう「解釈」で『平家物語』を掘り下げよう、というのが本作の趣旨だ。『平家物語』の登場人物たちを、「悪」とか「善」といった切り分け方をあえてしない。みんなそれぞれに、「義」があって、それに向かって行動していた。
 そういう物語を、いかにも「重厚な時代劇」として描くのではなく、柔らかく、優しく掘り下げていく。1人1人にきちんと愛情を注いでいく。すると、平清盛みたいな人物ですら愛おしく感じてくる。まさにそこにこそ、キャラクター達を愛嬌ある絵柄と演技で描いていった理由がある。

 アニメ『平家物語』のもう一つの見所はもちろん映像美。
 キャラクターの線はごくシンプルに、柔らかくまとめられている。これに合わせて、背景のディテールも少なく抑えられているが、かえって平安時代の「建築の美」や「庭園の美」がうまく表現できている。

 あの時代の建築は、釘をほとんど使わず、材木をプラモデルのように組み立てて、積み上げて、その形そのものを美しく見せようとしていた。宮殿などは開放的すぎて、きっと冬は寒かっただろうな……という気がしたが、そういう生活の問題よりも、美意識を重視していた。

 アニメ『平家物語』は思い切って線の量を減らし、あえて「質感」ものっぺりとさせている。そうしたほうが、平安建築の「形の美」がしっかり出てくる。画面全体の情報量を減らしているから、自然と建築と庭園の組み合わせに「余白の美」が現れてきている。宮殿の外観や内部の風景の、すっきりした画面の見せ方は、「質感」がどうしても載ってしまう実写ではできない。情報量や光や影までもコントロールできるアニメならではの見せ方だ。
 平安時代にきっとあったかもしれない美意識を再現するには、実写よりもアニメの方が向いているかもしれない。

物語と歴史

 物語を見ていこう。

 びわは父親を殺された恨みから、決死の覚悟で平家屋敷に忍び込み、間もなく没落していく平家の未来を告げに行く。その時に会ったのが平重盛だった――。
 平重盛は、驕り高ぶる平家の中でも人格者と評される人物だ。武芸ともに優れた人物とされる。そんな平重盛に同情され、びわは思いがけず平家の屋敷に住むことになってしまった。
 前半のストーリーははっきりと主人公は平重盛。父親である平清盛の暴走と、後白河法皇との対立との間で苦労する姿が描かれていく。はっきりいえば中間管理職。

 もう一人の主人公が平徳子だ。徳子は平重盛の妹。父親の命令で入内し、当時の天皇の「正妻」となり、それ以降は平重盛と同じく、平家と後白河法皇の間を取り持つ役割を担うことになる。
(入内 じゅだい 皇后・中宮・女御になる人が、儀礼を整えて正式に内裏に入ること)

 ところが平徳子と高倉天皇の間にはなかなか子供は生まれなかった。その間にも、高倉天皇は侍女や乳母との間に子供を作ってしまう……。
 はっきりいえば「浮気者」だったわけだが……。しかしそんな高倉天皇に向ける目線も優しい。平徳子は浮気に行こうとする高倉天皇を「あの方には色んな重圧があるのよ」と理解を示し、明るく送り出して……その後ろ姿を見て、哀しげな目線をスッと浮かべている。
 平家と後白河法皇の間に激しい対立があり、そこからさらに自分がエゴを出して混乱させるわけにはいかない。自分はそこにいて、しっかり耐えよう……。その意思と哀しみが表現されている。平徳子も場を平穏に抑えようと、懸命に我慢していたのだ。

 ところが、「問題」はあちこちで起きてしまう。  加賀国を納める藤原師経がとある山寺を訪ねて湯あみを所望したのだが、寺はこれを断り、僧兵と揉める事態を起こしてしまった。これが諍いとなって、寺そのものを燃やすという暴挙に出る。
 この一件で、藤原師経は備後国に流罪。しかし僧徒は収まらず、神輿を持ち出して繰り出してきた。

 仏教徒といえば心穏やかな印象があるが、この時代の僧侶たちは激しかった。武装もしていたし、権力も持っていた。こうやって直訴に来る場合も、武装した上で神輿を担ぎ出していく。神輿には「神様」が載っているわけだから、相手は神輿を攻撃できない。神輿に攻撃しちゃったら、祟りが落ちる。そういうものをチラつかせた上で直訴にやってきていた。
 だが、僧兵と平重盛は収集のつかない衝突になって、結局のところ弓矢を神輿に当ててしまう。するとその「祟り」として京が大火事に襲われてしまう。

 仏教寺と平家の激しい対立に、京都を襲う火事……。いよいよ平家を遊ばせているわけにはいくまい、と1177年6月、後白河法皇を中心に俊寛、基仲、中原基兼、惟宗信房、平資行、平康頼が集まり、源氏を動員して平家一族を滅ぼそうという計画を立てる。後に『鹿ヶ谷の陰謀』と呼ばれる事件である。
 その場にいた数人が計画に恐れをなし、平清盛に密告したことによって発覚。その時の山荘にいた一同が捕まり、刑罰が与えられ、いよいよ後白河法皇にも手が及ぼうとしていた。
 そうした事態を前に、平重盛が身を挺して阻止。後白河法皇は捕まらずに済んだ。

 しかしこの一件を切っ掛けに、平重盛は心労が重なり、表舞台から退くことになる。1179年7月29日、平重盛はこの世を去る。享年42。『鹿ヶ谷の陰謀』からわずか2年後のことである。この時の平重盛の死因は「胃潰瘍」とされ(腫瘍もあったという説もある)、完全に中間管理職としてのストレスが原因だった。

 お話は前後するが、1978年12月22日、安徳天皇出産。

 平重盛の死で、平清盛はしばらく無気力状態に陥ってしまう。
 その隙を突いて、後白河法皇は平重盛と徳子の領地を没収。これに怒り狂った平清盛が兵を率いて公卿を粛清し、後白河法皇を幽閉。
 邪魔者を一掃したところで、安徳天皇を即位させる。わずか3歳(数え年で3歳。実際は満1歳と2ヶ月)。後にも先にも、この年代で“天皇”になったのは安徳天皇だけであった。高倉天皇は地位を退いて上皇となる。1180年2月21日のことである。
 これにて、平家一族による「日本支配」は完了する。これが平家の全盛期の瞬間だったと言われる。

 だが同時に平家の増長も始まる。「平家にあらんずば人にあらず」……平家一族の蛮行があちこちで繰り広げられ、それを押さえようと源氏、以仁王を中心とする勢力との間に戦いが起きる。
 1180年(治承4年)5月23日、宇治橋を舞台に平家軍、源軍による戦いが繰り広げられる。これが「橋合戦」である。

 源軍は中心人物である源頼政が自害し、以仁王も逃亡中に矢を打たれて死亡したことにより、平家軍の勝利となった。
 しかし、初めての戦を経験した平維盛は、精神的な障害を患ってしまう。
 「人を殺すこと」というのは容易なことではない。武士の家庭に生まれると、苛烈な教育を受ける……という話を本で読んだことがある。子供の頃から母親に処刑場の死体を見に連れて行かれ、近くで合戦があったら死体を見にいったという。武士とは結局のところ「人を殺すこと」を生業とするわけだから、「死」になれていなければならない。どんな時代であっても、人を殺すこと、は人間にとって非常なストレスであった。武士になるために、それができるだけの精神を身につけなければならない。
(いきなり異世界転生して、生き物を殺せる……というのはただのサイコパス)
 ところが、平重盛の息子たちというのは、みんな平和な時代に生まれてしまった。いや、平和ではなかったが、戦の経験をせずに大人になってしまった。「武士としての教育」を受けず、「芸能」を納めることに集中してしまった。これが平家の子供たちにとっては幸運であり、不運でもあった。
 武士としての訓練を受けずに、「大量死」の実態である合戦などを経験したらどうなるか……。平維盛はここを切っ掛けに精神を崩壊させていく。

 平維盛はもとより芸能に秀でた質で、荒事はまるっきりダメなタイプだった。腕力もなければ胆力もない。しかし平家の長男としての責任を背負って、戦場にでなければならなかった。この時代の長男としての責務だった。
 長男でなければ、このまま芸能を極めることができたかもしれないのに……。

 いよいよ平家と朝廷の対立が表面化し、平家の没落が目に見える形で現れようとしている……。そうした最中にあって、平徳子は「誰かを憎む」ということを捨ててしまう。人生を賭して高倉天皇に仕え、安徳天皇を守り通す。平徳子も混乱とした時代を前にして「覚悟」を決める。
 平家たちの愚かしさを前にして、平徳子は次第に「聖人」のような神々しさを身につけていく……。びわは徳子の間もなくやってくる「運命」を知りつつ、何も言わないのだった。

 源頼朝が後白河法皇の院宣を受け、兵を挙げて関東から迫ってくる。同時に木曽の義仲も兵を挙げて京へ上っていく。平家は次第に追い詰められていく……という最中、平清盛が死去する。1181年閏2月4日、突然の病気だった。享年64。

 アニメでは体から熱を発して、人が部屋には入れないほどになっていたが、実際の文献にもそのように記されていたようだ。平清盛の死因は、熱病ともマラリアともいわれている。
 アニメでは平清盛は地獄へ行くことになったのだが、少し不思議なことに、「仏教寺を焼いたから」という説明をしている(実際に清盛は「仏敵」と呼ばれていた)。この時代の死生観において、死を司っていたのは仏教だった(現代でも「死」を司っているのは仏教だが)。その仏教に対して狼藉を働いたから地獄行きだ……という。平清盛はそれ以外の様々な蛮行をやり尽くしているのだが、地獄行きの直接の原因は死の世界を司っていた仏教を尊重しなかったから。寺を焼いたから。現代から見ると、不思議に感じる説明である。この時代にとっては、こちらのほうが自然な説明であった。

 こうして平家は平重盛という“調停役”を喪い、平清盛という“策略家”を立て続けに喪うことになる。残ったのは指導力もない、武士としての教育を受けていない、ごくごく平凡な子供たち。しかも「平家の子供たち」というだけで、朝廷からも時代から猛烈に恨まれ、追い込まれていく。
 安徳天皇が即位したのが1180年で、そこが平家の最盛期ということになっているから、わずか1年での没落である。
 一方の源家は武士としての力を極めていた。関東豪族との戦いを勝ち抜いてきているので、戦の経験も充分だったし、みんなギラギラしていた。まともにぶつかり合って平家が勝てるわけがなかった。

『日本史の謎は地政学で解ける』P54

 平家が不利であった理由はもう一つある。上のグラフを見てわかるように、平安末期の日本は温暖期にあった。この頃、近畿一円は温暖化による日照りが起きていて、不作だった。
 1181年には「養和の飢饉」という記録に残る不作になっている。
 一方、もともとやや寒冷な地域であった関東は、大豊作に恵まれていた。
 平家軍はこの頃、「ややお腹がすいていた」のに対し、源氏軍は「腹一杯食べていた」。しかも源頼朝は収穫を終えてから挙兵している。食料をたっぷり確保した上で兵を挙げている。源軍にとって平家討伐は「遠征」であったが、食料の心配のない状態での遠征であった。
 源氏のほうが大軍勢だったから勝利した、策略が優れていたから勝利した……というふうに言われるかも知れないが、もしも兵の数が同数だったとしても、正面からぶつかり合った場合、「腹が減っている平家軍」が負けるのは当然だった。
 すでに説明したように、源氏は戦の経験を積み重ねて乗りに乗っていた。対して平家軍は経験不足な上にお腹も減っていた。平家軍が例え「未来が見えていた」としても絶対に負けていた。

 この時代の税制はさすがによく知らないが、日照りによる不作のうえに、貴族階級の贅沢暮らしが繰り広げられていた。
 支配階級と労働者階級の関係性は、生産と消費のバランスが安定していればうまくいくものだ。おそらくはそのバランスも崩壊していた。支配階級が戦争を引き起こせば、そのたびに消費が増大していく。戦争が頻繁に起これば、そのたびに税収で労働者階級が逼迫していく。
 1180年とその翌年はその不作が深刻化しており、支配階級のいざこざだけではなく、労働者階級の混乱を抱え、収拾がつかない事態に陥っていた。そもそも平家軍は、戦争ができるような状況ですらなかった。

 1183年6月2日、「倶利伽羅峠の戦い」で木曽義仲に破れて、平家勢力はここで一気に転落する(7万の兵が一気に谷底に落ちて……)。平家は一族で都落ち。西国を目指すのだった。
 孝徳天皇即位からわずか3年後のことであった……。

 第6話で平清盛はこう語る。
平清盛「カネがないのに使うばかりで手を打たず、各地で反乱が起こっても収めることもできず、何もできぬ貴族と偉そうにするばかりの坊主が支配する身分と権威が全ての世を我らは変えた。息苦しい世界に風穴を開けたのだ」
 平家の台頭の背景には、「平安」という時代観の限界があった。権威だけで何もしない何もできない貴族と、やたらと権力を振りかざしてくる仏教勢力。そうした時代を武力で変革していかねばならない。そうした時代観が背景にあって、平家は勢力を拡大し、拡大しすぎてやがてもともとの目的を見喪って増長を始めてしまった……。

 だがその試みも、頂点を極めたその直後には没落が始まる。たった1年に過ぎない頂点。あたかも「うたかたの夢」。毎日贅を費やしての宴をやっていた日々は、夢だったのだろうか……。
 平安時代には平安時代特有の理や美意識というものがあった。日本的な建築の美や庭園の美、音楽の美といったものは平安時代に作られ、引き継がれていっていった。西洋文化が入ってくるまで、平安文化の延長が日本の美意識の基本だった。だがそれが平家たち武家政権によって崩壊していく。
 その後、平安時代のような美の追究の時代が戻ってくることはなかった。結局のところ、朝廷とは別に、武家政権である「鎌倉幕府」が成立する。政治構造は武家勢力に委ねられ、この「幕府」という体制は「江戸幕府」の終わりまで続いてしまう。それだけ朝廷や貴族に政治の能力がなかった……ということにもなるけども(どっちにしろ平安時代的な体制は限界だった)。『平家物語』は平家の没落を描いた物語であると同時に、平安美意識も同時に喪っていく物語でもある。平安時代の終わりを描いた作品という見方もできる。

オープニングとエンディングと

 オープニングのあるシーンと、本編中のあるシーンを比較して見よう。

クレジットの1文字だけグリーンで塗られている。花びらを表現している。またびわの目の色にも合わせている。

 オープニングのワンシーン。このシーンに限らず、びわはずっと「←」へ向かっている。
 では、本編中の「弾き語り」のシーンを見てみよう。

 第1話の弾き語り。

 第4話の弾き語り。

 第6話の弾き語り。
 お気づきだと思うが、ずっとびわは「←」を向いている。なぜびわは「←」を向いているのか? しかも、びわが座っている位置というのが画面の端っこで、あえて「先」が見えないように描かれている。この理由は?

 エンディングのワンシーン。びわははじめ「→」を向いていたが、「←」を向く。すると……

 びわの背景にイメージがパッと浮かぶ。これは「←」を向いた瞬間、過去を思い出しているから。
 ここから推測できるように、びわが「←」を向いて演奏しているシーンというのは、全て「過去」を思い出している姿だと推測できる。びわが見ているものはもう過ぎ去ったものだから、画面を見ている人にはあえて見えないように描いている。びわがかつて平家屋敷にいた頃を思い出して、弾き語りをしている。
 ではオープニングシーンで、びわが「←」を向いて駆けていくのは? おそらく、過去へ向かって行っている。平家一族と一緒にいた頃を思い出そうとしている光景だ。

 走って行くと、平重盛がいて、びわに気付いて振り向く。
 平重盛がいる場所がおかしい。川の途中にある砂州にいる。なんでこんな場所に?
 推測するまでもなく、この川は「三途の川」。明るく描かれているから勘違いしやすいが、「あの世」の光景である。

 平家一族と手を握って回転……。
 回転も「夢」や「幻想」の表現の一つ。栄華を築いた平家一族が夢の只中にいたことを現している。

 右目で未来を視るびわ……。

 戦争に次ぐ戦争の平家一族。血塗られた栄華であることを示している。

 しかし色彩豊かな世界で描かれる平家たちの姿はあまりにも幸福そうに見えて……。

 この辺りの一連のカットは、みんな笑っている。幸福な瞬間を描いている。

 左目で風景を見ているびわ。左目で見えるのは幽霊……。だからこのカットでびわの背後で揺れ動いている人達は全員幽霊。
 びわが過ぎ去った過去を追想する。あの幸福だった、一瞬の時を……。でもその思い出はみんな「あの世」で……

 一度だけ、びわが思い出の光景に登場してくる。自分もあの思い出の中にいたんだ……夢ではなくて……ということを思い出している。

 最後にびわが振り向く。
 さっきのカットの続きだから、びわが振り向いた先にいるのは幽霊たち。
 このオープニングは全てが終わって、びわが過去を振り返っているところを描いている。
 夢のような幸福が崩壊する物語を振り返っている……。

 『平家物語』は驕り高ぶる平家の「愚かしさ」を描いた作品だと解釈されやすい。しかしこの作品は、そうではなく、「幸福だった」ものとして描こうとしている。方法は間違っていたけれど、それでも平家は束の間の幸福を手に入れていた。こんな時代に、夢のような瞬間を築いていた……。
 そういう姿や物語を、ある種の同情と悲哀を持って描こうとしている。とても切なくて、もの悲しいものなんだ、と。「哀しい物語」としての『平家物語』。
 このオープニングを見る度に、私はなんともいえず哀しい気持ちになっている。こんな幸福な瞬間もあったかもしれない、しかしそれは夢か残像のようなものに過ぎなくて……。本当にあったものかどうかもわからない。でも、びわにはそう見えていた。そういうものとして描こうとしている作り手の意思を感じて、見る度に感動する。見事なオープニングシーンだ。

まとめ

平家の屋敷を追い出されるびわ。ここでびわが追い出されるのは、平家が待ったなしで崩壊してしまうから。一緒について行ったら死んでしまう。びわが追放を受け入れたのは、平重盛がもうそこにいないから。平重盛に拾われた身だから、すでにそこにいる意味もなくなっていた。

 この時代になぜアニメで平家物語?。しかも監督はあの『けいおん!』の山田尚子監督。あまりにも意外な作品。この時代に、なにを問うつもりで、こんな作品を発表したのだろう……。
 見てみると、そこに描かれたのは、日本が本来もっていた美意識。その美意識を再現するなんともいえない画。私たちが本来持っていた美意識の再現だった。
 後の歴史家によって「極悪人」という烙印を押された平清盛を中心とする物語だが、しかし作品は押しつけがましく「悪」や「善」という分け方をしていない。平家の愚かしさをきちんと描いているけれども、そんな人間にも「人情」も「愛嬌」もあった。平清盛も後白河法皇も可愛いおじさん達である。中に入ってみると、どんな人にも愛すべき部分がある。そんな人達が、抗えない時代の強制力に押し流されていき、平安時代という美しい時代を終わらせてしまう。
 それが「良い」とか「悪い」というのではなく――ただその時代の人々を慈しみ、悲哀を描き出している。
 『平家物語』は時代観と人間観を同時に描き込んでいく。
 平家が栄華を築いた夢のような一時。それを「退廃」や「風刺」として描くのではなく、ほんの一瞬輝いた、幸福な夢として描く……。そういう幸福を思い描いてもいいでしょう……と、作品は何もかもを肯定して描いている。建築の美、音楽の美、そして人間の美――。
 なんという優しさに溢れた作品なのだろう。どんな愚か者も乱暴者も、優しく描いている。こんな歴史物語は、そうそう巡り会えるものではない。とんでもない傑作アニメだった。
 もしかしたら、夢のような現代も、ほんの束の間のものかもしれない。


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