Toranosuke Hara

大学まで本気でサッカーをして、今では一般的な社会人。 それでも大好きなサッカーを辞められず、未だにボールを追いかける26歳。 独り言のようで誰かに伝えたい言葉。 私自身の経験を私自身の言葉で。

Toranosuke Hara

大学まで本気でサッカーをして、今では一般的な社会人。 それでも大好きなサッカーを辞められず、未だにボールを追いかける26歳。 独り言のようで誰かに伝えたい言葉。 私自身の経験を私自身の言葉で。

最近の記事

届かなかった想い。

チームを移して挑んだ覚悟の2024年シーズン。 終わってみれば4位。勝ち点2及ばず、参入戦には届かなかった。 個人としては3年連続で勝ち点2差で届かなかった。 得点王として移籍し、多くの期待を感じていた。 それがプレッシャーとは感じていなかった。 得点数は10点でリーグ2位。チーム内最多となった。 チームを移して初年度で2桁は、我ながら褒めてもいいかなと思う。 また、9試合で7チームから得点を奪った。 去年のような固め取りではなかったのも前向きに捉えられる好材料だったと

    • 特別な試合。

      4月28日。 前所属のイトゥアーノFC横浜との試合。 試合前から元チームメイト、スタッフ、代表やGM、応援してくださっていたサポーターの方。見覚えのある面々と話をしたりと和やかな表情を見せていたかと思う。その反面、中には不思議な気持ちでこの試合を迎えていた。 この週は頭からずっとソワソワしていた。 楽しみなような、不安なような。 言葉にするのが難しい、そんな時間を過ごしていた。 特に前日。すぐ寝れたかと思えば、夜中に目が覚め、そこから2時間くらいは目を閉じながらも頭の中では

      • 高揚感。

        サッカーをする前はワクワクするし、 チームで描いているプレーが出来ると、 とても楽しいし満足する。 ワンタッチツータッチで球を動かしてゴールに迫るような、そんなアイデンティティ、イメージの共有。攻撃のスイッチが入るような鋭い縦パス。 今はゴールが入る前のそんな高揚感がない。 もっと縦に。もっと斜めに。もっと俺に。 球をつけてほしい。 リスクがあるプレーなのかもしれない。 でもそれがないと相手は怖くない。 失ったら取り返せば良い。 失わなければ大チャンス。 もっとチャ

        • 自分にとっての幸福。

          私自身、何に幸福感を得るのだろう。 食べている時、寝ている時、サッカーをしている時、仕事をしている時。 人によって何が幸福なのかは異なる。 正直、仕事よりもサッカーを充実させたい。今はそう思っている。 仕事終わりだって土日だって全てをサッカーに注いでいる。 平均8時-18時で仕事をして、移動中は試合を振り返る平日。 移動してサッカーをしたら終わる土日。 この生活でサッカーの結果がついてこなかったら、相当しんどい。 だからこそ日々の過ごし方は大事になる。 その日だけの

          どんな日。

          1人。部屋で何の音もなく、ただパソコンに文字を打ち込む。 こう書いている日は、どんな1日だったのか。 時間が経てば、その日の情景だって考えていたことだって、何も覚えていないのかもしれない。 こうして記すことで、今日という日に抱いた感情を無駄にしたくない。 写真ももちろん偉大である。 見返すと1年前の気持ちだったり情景が浮かんでくる。 ”楽しかった”、”辛かった”、”面白くなかった” こんな会話をしてこんなことで笑って。 1つの写真でそこまでの情報が生まれるのだからとても偉大

          サッカー。

          サッカーをする意味ってなんだろう。 もちろん好きだから。これが根底にはあるんだけれども、それだけではない何かをここで見出したい。 ただ点を取ったからという優越感に浸る。 ただ試合に勝ったからという喜びを得る。 そういう自分本位の、自分のためのサッカーではなくなってきているということ。 自分がサッカーをすることで何かのためになる。自分のプレーに価値が生まれる。 応援してくれてる人と喜ぶ。 勝つことでチームの価値が上がる。 地域に活気をもたらす。 点を取ること、勝つこと

          初の公式戦を終えて。

          遂に始まった鎌倉インターナショナルFCとしての原虎之介。 個人的に納得のいくようなプレーは出来なかった。空中戦、球際、ポストプレー、フィニッシュ。どれもお粗末であった。 これはコンビ、トリオとかの関係性でうまくいかなかったというわけではなく、個人戦術として戦えていなかった。 周りに活かされ活かすのが自分の特徴であるのは、ここまでサッカーを続けていれば分かること。 でもそれでは他力本願。仲間が上手く、やりやすい選手がたくさん集まれば自分が出なくとも勝てるに決まっている。 自分

          初の公式戦を終えて。

          得点王。

          2023シーズン 神奈川社会人1部リーグ 16試合12得点 大学の時、Iリーグや遠征で得点王になったことはあった。 けれど、今回はそれとは比べ物にならない価値ある賞だったと思う。自分を持ち上げるというよりかは表彰式に参加して特にそう感じた。 ここからはこれが基準として生まれる。 2024シーズンはホーム&アウェーの18試合。 この12点は最低ラインになる。 過去の栄光にならないように、来年も同じ景色を見れるように、良い準備をしよう。 今日だけはこの心地よい余韻に浸ろ

          自分の中の自分。

          何かを考える時、決める時、 自分の中にある基準を確認する。 自分は何を考えていて、どうしたいのか、 そのためには最低基準がどこでどのラインを超えていないといけなくて。 自分の中の基準を下げる必要はないと思う。 それが全く見当違いで叶わない基準なのであれば下げる必要があると思うが、そうでないのであれば自信を持ってその基準に従う決断をしたい。 迷いに迷ったが遂に今年、 サッカーをしたいチームが決まった。 ただサッカーをするだけではない。 自分がしてこなかった経験値を持って

          自分の中の自分。

          分岐点。

          2023シーズンが終わって2ヶ月。 チームとして勝ち点が2及ばず関東には届かず。 個人として得点王にはなれたものの、どうしても充実できてたかと言われると難しい。 目標は関東昇格。果たせなかったのは心残りである。 リーグ戦が終わってからのチームは酷かった。 練習試合への参加率であったり練習、試合への態度。ピッチに立てるレベルの選手があまりにも少なすぎる。 もちろんモチベーションとして保ちづらいのは分かるが、これでは自分の使ってる時間に価値がない。 自分がどういう人になりたいか

          決断。ご縁。

          7月末。 転職することが決まった。 約2年間、迷い続けた。 ここに居続けることが正しいことなのか。 環境を変えるべきなのか。 この2年間の中で気持ちとして転職するタイミングは何回かあった。 ただその時に行動に踏み切れなかったのは、成長意欲が低かったから。 エンジニア職はほかの職に比べて、自由が利く職だと感じる。 その環境に甘んじていたのだろう。 このタイミングで決断出来たのは、自己成長したい、自分の価値を高めたい。そう思えたから。 今の環境で成長が出来ないのか。そう言われる

          決断。ご縁。

          偽り。

          いつからだろうか。本当の自分を隠して人と接してきたのは。 嫌われたくない。自分が犠牲になることでその場が収まればそれでいい。 そんなことを思うようになって嘘をつき、自分を偽り、人を傷つけ。 本当の自分はどこにいるのだろう。 どこでそんな思考になったのだろう。 小さなころから厳格に育てられ、一人っ子とは思えないくらい厳しく育てられ。人の考えること、人の気持ち、空気を読んだ立ち回り、対人コミュニケーション。それなりに汲みながら成長してきたと思う。 人の上に立つこともあった。

          今後について。

          現状を変えたい。 もっと刺激ある日々を送りたい。 人として成長したい。 こう思えている以上、変えるために何か行動しないといけない。 勇気は一瞬、後悔は一生。 変えよう。もっとよくなれる環境があるはず。 ただ、どこに飛び込むにせよ、準備に抜かりないように。 様々な繋がりがあって、こうして生きている。 失礼の無いように。そして全力で取り掛かろう。 何度もキッカケはあったけど、途中で投げてしまっていた。 もう来るとこまで来たよ。 やりがいのない仕事はやめて、前に進もう。 も

          今後について。

          4月。

          4月はたくさんの出来事があった。 父の再入院、職場からの契約解消通達。リーグ戦4連勝、個人的な悩み。 色々あるが、1つずつ整理していこう。(まだ4月終わってないけど) 【父について】 父が退院して1か月も経たないころ、40度近い熱が出て、病院へ。検査結果はカテーテルからの再感染。2週間の再入院が決まった。家族として、感染を回避するための行動は取ってきたつもりだったが、それでも及ばなかった。早期の発見で、今回は治療も早く進み、予定通り2週間での退院となった。カテーテルも抜け、

          父。

          10月末に入院して3月頭に帰ってきた父。 腎臓の治療のために入院したにも関わらず、院内感染で感染症を発症。 腎臓の治療は後回しとなり、当初3週間の入院の予定が4か月かかった。 入院前は歩行、食事、一般の方と同じような生活を送れていたのに。 帰ってきた父は、要介護5。家では歩行器の使用、外では車椅子移動。腎臓の治療は遅れ、一生透析をしないといけない身体となってしまった。 こうなってしまった以上、サポートするのは当然だが、やはりどこか納得はいっていない。リビングに介護用ベッドを

          ベクトル。

          2月12日。 神奈川県予選決勝。 準決勝は謎の胸痛のため欠席。 それまでスタートで出場していたが、控えからのスタートに。 もちろん先週欠席したことで控えなのはわかる。ただコンディションとして状態が悪いとは思わなかった。試合勘、ボールタッチの感覚、かなり感覚は研ぎ澄まされていた。 予選の初戦では前半で3点。自分の中でもかなりイメージがよかった。 先週の欠席はあったものの、試合途中から力が必要になってくると思っていた。 しかし出番はラスト5分。1‐2で逆転を許した直後。P

          ベクトル。