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チキンにも意地にも効く、その鶏のレシピ。

「ホントに、チキンなんだから。」


例えば、100円ショップに行って目当てのものが見つからない時。
例えば、来週火曜日は祝日で、児童センターがやっているかわからない時。

「置き場所がわからないなら、店員さんに、自分で聞きなさい。」
「やっている日がわからないなら、児童センターに、自分で電話をかけなさい。

そう言われる度、「そんな事するくらいだったら、別にいい。」と顔を歪ませ不貞腐れる娘に、母はいつもため息をついて、娘を「チキン」と呼んだ。

件の娘、両手で数えても何本か指の余る年齢。
一体どれほどの世の中の小学校2〜3年生の子どもたちが、自分で電話をかけて営業時間を確認するものなのかはわからないが(いや、最近の子どもたちはスマホでググれるのか…。)、少なくとも娘の家では昔から、そのように促されていた。
そして、それを拒否する度にチキン呼ばわりされた。多分これは当時公開していたディズニー映画『チキン・リトル』の影響も大きいのだと思われる。

ポケモンスタンプラリーで迷ったときも、駅員さんに当たり前のように「ルカリオどこですか?」と平気で聞ける2つ違いの兄とは対照的に、高学年に上がるまでは基本的に授業中も当てるな、前に立たせるな、喋らすな、という人見知り全開キッズだった娘にとっては、この母からの「わからないことがあるなら、考えても駄目なら、自分で聞きなさい」は無理難題以外の何物でもなかった。

だけど、娘がそんなチキン・リトルだった小学3年生の頃、この世に生を受けて初めて、その汚名に呼び名を返上する機会を得た。
その時のことから、話させて欲しい。

鶏モモの七味焼き

小学校は、あまり好きではなかった。

なんで小学校なんて通わなきゃなんないんだろう、と半ば辟易するような気持ちでランドセルに教科書とノートを詰めながら、リビングの壁に貼られた今月の献立表をチラリと確認して家を出る。

「チェッ、今日は【おかしなおかしな目玉焼き】の日か…、学校行くかあ…。」

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そう、だけどその娘には、給食があった。
【】の中身は変わっても、娘は多くの登校日を、「給食がおいしいから」というただ一点のモチベーションで乗り切っていた。

ピーマンニンジンセロリナスタマネギカリフラワーパプリカインゲン…みんな、嫌い!!!みたいな、典型的な好き嫌い星の下に生まれたような子どもだったくせに、6年間の学校生活で一度たりとも給食を残した日はない。
そのくらい、その学校の給食は美味しかったのだ。

母の手料理も十分に美味しかったのだけれど、それとは違う美味しさと楽しさが、その学校の給食には会った。

例えば4月の終わり。
きれいな三角形に包まれた、笹の匂いがたまらない「ちまき」

例えば七夕。
涼やかなそうめんの上に散っている、かわいい星型のかまぼこ。

例えばある日の、「ものがたり給食」。
『ぐりとぐら』に出てくる、スミレちゃんのかぼちゃコロッケ。。。。

挙げていけばキリが無いほどの、子どもたちのためと工夫を凝らされた結構な種類の献立。
たまに出てくるグレープフルーツと揚げパン、セロリの入ったナムルを除いては、給食で出てくるものは何でも好きだった。
グレープフルーツの日は、お願いだから牛乳以外の飲み物にしてくれと思いながら廊下の水道に駆け込んでいたけれど。

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そんな風にして、殆ど食欲だけを頼りに学校に通っていたある日、とうとう娘はキッチンで夕食の準備をする母に駄々をこねた。

「ねェ、給食で出てくる、鶏の七味焼きが食べたい。」

帰ってきた答えは予想通りだった。

「え?あたしゃ給食のおばちゃんじゃないんだから、作り方なんてわかんないよ。そんなに食べたいなら聞いてきなさいよ。そしたら作ってあげるから。」

さくらももこの読みすぎで、まるこの口癖が染み付いた娘に釣られたような母の喋り方はさておき、こればっかりは母の言うことがもっともである。しかし、こちとら伊達にチキン・リトルをやってるわけではないのだ。
聞きに行くなんて、とんでもない。無理。怖い。恥ずかしい。人見知りナメんな。

だけど、いつもどおり不貞腐れてみても、娘の中に生まれた「七味焼き食べたい」欲は収まらない。献立表にいつまた出てくるかわからない七味焼きを待っていられないのだ。食べたい。食べたい。食べたい!!!

我慢できない食欲に、どうせ聞いてこないだろうけど、と呆れて会話を終えた母を見返したいという気持ちも後押しした。
いままで散々「人に聞く」ことを拒否し続けてきた娘は、人気の放課後を狙って、給食室へと足を運ぶことを決めた。

給食室へ。

ランドセルを背負ったまま、ひんやりした薄緑色の階段をトトト、と降りると1階にある給食室にたどり着く。

空気まですっと磨かれたような、心地よい清潔な匂いと、ご飯の匂い。
自分の体もまるごと入れちゃうんじゃないかって位、大きなアルミ製の鍋が並んだ広そうな部屋。
昇降口の傍にあったから、それらはオレンジ色の光を反射してとてもキラキラして見える。


別に悪いことをしようとしているわけじゃないのに、なんだか恥ずかしくて、暫くキョロキョロして、「だれか」を待ってみるけれど、誰も娘には気づかない。
もうなんとでもなれ、とおそるおそる扉を開けた。

中にいる給食のおばちゃんに声をかけると、突然の来客に驚きながらも、娘が持ってきたメモ帳の一枚に、丁寧にレシピを書いて渡してくれた。
おばちゃんが優しく接してくれたことと、無事にレシピをゲットできたことにホッとして、娘は意気揚々と帰路に着いた。

「珍しい。ホントに聞いてきたんだ。」

いつも通りチキンに甘んじると思っていた娘がレシピを持って返ってきたことに母は目を丸くしていたが、自分で聞きに行くことが出来た、という事実に最も目を丸くしていたのは、チキン・リトル=娘本人である。
このときのドヤ顔は、娘の生涯でもダントツであったに違いない。
そしてその日から、「鶏の七味焼き」は、娘の家の食卓の定番メニューになり、中学に進学した後もよくよくお弁当に顔を見せるようになった。

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妙な意地にも効く。

そうして、わたしは大学生になった。
一人暮らしを始めて暫くが経って、その懐かしい味をしばらく口にしていないことに気づく。
毎日最低限の自炊はしているものの、一旦思い出してしまうと無性に食べたくなって、思わず母に「七味焼きのレシピ送って」とLINEを送った。

既読は僅か5分でついた。
毎日毎日、生存確認と称して送られてくる母からのLINE。珍しく娘の方から送られてきたのが嬉しかったのか、たまたまスマホを見ていたのか。
「もう手書きのメモはないけど」という前置きと共に、丁寧に作り方が書かれたメッセージが届いたので、早速材料を買って作ってみた。ら。






。。。。。ウマ、い。

過去を美化した幻想の味だったらどうしよう、って実はちょっと怯えていたのだけれど、できたての七味焼きは、記憶の中の味そのもの。ホントに美味しい。
同時に、数々の大好きだった給食のメニューが思い出されて「もっと他のも聞いときゃよかった」という後悔の念が止まらない。

「ありがとう」と母に返信していると、今度は"なんだこの、昭和映画の母娘のようなやり取りは…。"みたいな気持ちになって、自分から聞いておいて肋骨の裏がむず痒くなってくる。

だってだって、普段だったら、母に料理教えて、とか絶対言えなかったしな。

大きくなるにつれて、電話をかけて店の予約も在庫確認も出来るようになったし、
知らない人に道を聞くことも出来るようになった。
だから、チキンの名は殆ど返上したと思っていた。
なのに今度は、母にレシピを聞けなくなっていた。
それは、年齢を重ねると共に「母から料理を教わる女の子」像に自分がなるのがなんとなく嫌だ、という馬鹿みたいな意地を無意識に張っていたからだと気づく。
別に誰も、なにも言いやしないのに。
そんなの、わたしの幻想でしかないのに。いや、もしも誰かが何か言ったって、そんなのどうでもいいのに。
わたしは、何に怯えているんだろう。

そんなことを考えながら出来たての七味焼きを、炊きたての白米と頬張れば、やっぱり最高に美味しくて。
いつのまにか妙な刷り込みに囚われて、9歳の頃よりも遥かにタチの悪いチキンになっていた自分が情けなくて、馬鹿らしくなってくる。
母の手料理…なんてノスタルジックな意味合いはなくたっていいのだ。
妙な幻想も意地もいらない。
ただ、わたしの口に馴染む、美味しいものを食べたい。
YouTubeもクラシルも白ごはんもcookpadでも十分幸せに自炊できるけど、そこに母へのLINEが追加されるのも、悪くないな、って思えるようになったとき、ちょっと、いやかなり、心が踊った。

だからたぶん、来週以降のバイト先に持っていくわたしのお弁当には、あの頃好きだった我が家の春巻きが入っている。




<おまけレシピ・鶏の七味焼き>

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ごま油 大さじ1
醤油 大さじ1と1/2
酒 大さじ1
長ネギ 15センチ位(粗みじん)
七味 適量

を袋に入れて、鶏ももを漬けて、フライパンか魚焼きグリルで、様子を見ながら焼くだけ。
め〜っちゃくちゃ簡単です。
あの頃の給食のおばちゃんに会ったら、大好きだったおかずの作り方を質問攻めにしちゃうだろうなあ…と思う日々です。

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