読書から 得られるものとは?
今年の冬は、いつにも増して寒いですね。
そこそこ雪が降るエリアに住んでいるせいもありますが、近年の暖冬に慣れてしまっていることもあり、暖かい春が早く来ないかなと感じるこの頃です。
しかし寒くて外に出るのも億劫な時だからこそ、読書をして己の内省に努める選択も悪くないかと思います。
本から得る情報と ネットから得る情報の違い
インターネットは、浅くとも速くて広い情報を得られる
・本は遅くて狭い分野になるけれど、深い情報を得られる
最も今はネットを使って気軽に無料動画や音声サービスを利用できる時代になりました。10年前と比べても情報検索メニューの数と質は格段に向上していますし、利便性も確実に進化していると感じています。
私がフォローしているnoterさんが先日、こんな記事を書かれていました。
この記事を読んで、私も強く賛同したのは、情報の信用性についてです。
とかく光の部分が注目されやすいネットですな、陰の部分もしっかり存在しています。
そのデメリットの1つがネットの世界には真実と虚偽がわんさか同居しているということです。
いわゆる玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の状態ですね。
この正しい情報と嘘の情報の見極めが、なかなか難しい。
そもそもフェイクニュースは真実よりも伝わりやすくて、拡散しやすいのです。
ウソの拡散スピードは事実より20倍速い ファクトチェックでは対抗できない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
その点、本には著者の顔がある判別できる(プロフィール等から)という特性があります。更に紙の媒体には編集者がいて、出版社などの多くの仲介者も備わっています。
仮に嘘を含んだ情報精度の低いものを世の中に発信すれば、自らの信用性を貶めるというリスクが付きまとうのです。しかも紙でも電子版でも本を一度世に出してしまったら、巻き戻しは不可能な訳で。
自分の身体や人間性を担保して、発信できる覚悟がどこまであるかが、本当の情報と嘘の情報の分かれ目なのかなと思ってます。
本を読むことで心の幅が広がる
私が考える本を読むメリットは、大きく分けて以下の2つ要約にできると考えています。
①他者の考えを自分の中に取り込めること
②表現力を豊かにすること
①「話し上手は聞き上手」ということわざがあります。いわゆる人の話をしっかり聞くことで、自分の意見と照らし合わながら、相手との心の距離を縮めることができる。何事も我流で進んではいけないという意味ですね。
これを対人間ではなく、著書の思考や理念の詰まった本を読むことで、相手の考えを参照したり自分を内省したりすることもできます。
読書という作業には、自分のお手本にする為に他者の良いところを取り入れたり、世間一般の考え方を考察したりと、用途は色々とあります。
そして何よりも、とても自分一人では手の届かない分野の知識や教養も網羅できてしまうという素晴らしいメリットが存在しているのです。
②もちろんネットでも表現力は獲得できるのですが、読書をすると自分の予測や想定を超えた語彙や比喩などを目にする機会が多数あります。
その時は、ひとます立ち止まって意味を調べてみる。この無駄とも思える作業が、逆に意味や使い方を記憶として、しっかり脳に刻みこむのです。するとより豊かな表現力が自然と使えるようになっていきます。
表現力を豊かにするとアウトプット力が高くなるのはイメージしやすいと思いますが、さらなる応用編について触れてみます。
2015年ラクビーワールドカップで大躍進した日本チームの陰の立役者とも言われている、当時のチームヘッドコーチ、エディ・ジョーンズ。
自叙伝『ハードワーク 勝つためのマインド・セッティング』ではこのように語っています。
シンプルだけど、凄く心に響く言葉ですね。
確かに言われる側にしてみれば、上から同じ言い様で抑え続けられれば、嫌気もさすし反発もしたくもなります。
例え伸びしろがあったとしても、伸び悩んでしまいます。
これは仕事のみならず教育や家庭の場など、人材を育成していく上で、指導する側がもの凄く大事にしていかなかればいけない理念だと感じています。
まとめ
本を読む際、自身の心を落ちつかせなければ文字や文章は頭の中には入ってきません。もちろん筆者の意図を読み取ろうとすれば、更なる集中力が必要となります。
そう考えると、読書は知識を得る以外にも多くの長所があることに気付けると思います。
これは私独自の表現ですが、本を読んできたことに対して、後悔している人間に会ったことは未だかつて一度もありません。逆のケースはかなり多いのですが。
「もっと、本を読んでおけばよかった」と。
これこそ読書の真髄を突いた哲学なんだと思います。
ここまでご愛読ありがとうございました。