流れをつかむ日本史「飛鳥時代」
トモーロです。
今回も、日本史の解説していきます。
前回、ギリギリに隋から返してもらった妹子。しかし、当時朝鮮とも揉めていた隋。
今、日本を敵に回しては都合が悪いと考え、結局国交を結んびました。
さあそこから日本はどのように変わっていくのか。
早速みていきましょう!
<クーデターが起こした大化の改新>
推古天皇が死後、次に天皇になったのが皇極天皇でした。
このとき、すでに蘇我馬子と厩戸王は既に亡くなっていました。
そこで、政治の実権を握っていたのが蘇我蝦夷(そがのえみし)と蘇我入鹿(そがのいるか)であった。
この2人が問題起こします。元々推古天皇のやり方に納得いっていなかったこの2人。
「マジ推古ふざけんなよ!もう一回俺ら蘇我氏、豪族中心の政治つくろうぜ!」
といいながら、豪族中心の政治に戻っていってしまいました。
ここで、立ち上がったのが中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)であった。
元々隋や唐から天皇中心の政治を学んでいた2人は、豪族中心にしようとしている蘇我蝦夷と蘇我入鹿の好きなようにさせてはいけないと考えました。
そして、蘇我入鹿の暗殺に成功。蘇我蝦夷を自殺に追い込みました。
この政治改革の一連が「大化の改新」であり、日本初の元号が「大化」に決まりました。
<天皇のワントップ体制>
蘇我入鹿殺害後、皇極天皇の弟の孝徳天皇が即位し、中大兄皇子と中臣鎌足が実権を握ります。
そして、政治体制が天皇ワントップ体制になり、さまざまなルールができました。
主に4つのルール。
1つ目は、皇族や豪族が持っている土地や人民は全て国家が管理しま〜す。(公地公民制)
2つ目は、都を作って行政制度を整える。
3つ目は、民衆に土地を割り当てて耕作して、死んだら国家に返してね。(班田収授)
4つ目は、豪族や大王たちがバラバラにとっていた税をやめ統一しま〜す。
このように、「この国は1つのルールでやっていきま〜す」という天皇ワントップ体制にしていきました。
そして、後に中大兄皇子が天智天皇になったとき、元々クーデターを起こしたときから反対派の豪族たちが怒り出します。
そんな天智天皇が、先があまり長くないとき、次の皇位継承者が対立を生みます。
天智天皇が死んだら弟の大海人皇子(おおまのみこ)に決まる流れであったが、天智天皇が超ワガママ言います。
「俺が死んだら天皇は弟か〜。でもな〜俺の子供がいいな〜」という雰囲気を醸し出してしまいます。
これが大きな対立を生んでいくのです。
<古代最大の争い>
天智天皇が子供の大友皇子(おおとものみこ)を天皇にしたいという雰囲気を出してしまった。
これをみていた弟の大海人皇子は、「え?まてまて!?俺殺されるやつじゃね?」と察して逃げる。
そして、天智天皇がついに死にます。そして、反対派の豪族たち
「ついに、天智死んだな!でも、次の天皇は大友皇子じゃねえだろ」
「どう考えても大海人皇子だろ〜」
と考えた豪族たち、逃げていた大海人皇子を呼び戻し、朝廷に乗り込みに行きます。
そして、地方豪族の協力によって大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位します。
この古代朝廷の最大の争いが「壬申の乱」なのです。
大友皇子側の豪族を一掃した天武天皇、「オール与党」状態のため、強大な権力が集中していきました。
そして、このとき「日本」という国名が決まりました。
このまま政治はしばらく安定していきます。新たな都「藤原京」が建てられました。
後にここから都が奈良に移され、奈良時代へと入っていきます。
<まとめ>
いかがだったでしょうか。今回は、飛鳥時代を見ていきました。
この時代は、初の元号が決まったり、日本という国名が決まったりと面白い出来事がたくさん起きていました。
明日誰かに話したくなるのではないでしょうか?笑
次回は、奈良時代に入っていきます。ここから政治的権力者がコロコロ変わってきます。
当然面白いキャラクターもたくさん出てきて、スマブラ状態になりますのでお楽しみに!