流れをつかむ日本史「縄文・弥生時代編」
トモーロです。
最近、日本史の本を読んでいて、「日本史を時代ごとに記事にしたら面白いんじゃないか」という発想から、日本史の記事にチャレンジしていきたいと思います。
ただ、あまりダラダラ長く書いてもつまらないので、より効率的に流れを見ていただ来たいので要点だけ話していこうと思います。
今回は、「縄文・弥生時代編」です。
それではいきましょう!
<超平和な縄文時代>
まずは、縄文時代です。一言でいうと超平和です。
身分の差もなく、狩りと採集で暮らしていました。朝起きて、打製石器と磨製石器で動物を狩り、土器を使って調理をし、食べて寝る。
このころには、定住の文化もあったため、人間が住む環境としては、争いなどもなくかなり平和に暮らせています。
そのため、唯一影響を受けるとしたら自然現象でした。そのため縄文時代にはといい、自然現象に敏感で、霊魂が宿る的なオカルトチックなことに信仰(アニミズム)がありました。
そこで、そんな思いから作られたのが皆さんご存知「土偶」です。
この土偶には、諸説ありますが、農穣祈願、呪人形、疾病治療、崇拝対象などに使われていました。
呪人形では、相手の不幸を祈って破壊したり、疾病治療では、幹部をもぎ取ることで自分の身代わりになるといったことが信じられていました。
<争いが生まれた弥生時代>
縄文末期入ると、朝鮮半島と中国江南地方から渡来人によって稲作が始まります。ここから自分で作って生活するという「生産経済」が始まります。
稲作中心の生活になり、高床倉庫に米などの生産物が貯えられるようになりました。
しかし、豊作の地域と不作の地域が徐々に出始め、高床倉庫の生産物をめぐって争いが起き始めます。
そこで、必死に生産物を守ろうとした弥生人。何人か近くに住んでいた人同士で集まり、倉庫や住居を土塁で囲って守っていました。
それが土地の境界になり、環濠集落になり、強大な集落は「国」と呼ばれるようになったんです。
<中国の歴史書から日本を見る>
そのようにして出来上がった「国(小国)」ですが、当時の倭(日本)には100あまりが存在していたということが中国の歴史書(漢書)に記されています。
なぜ中国の歴史書なのか気になるところですね。実は当時の日本にはまだ「文字」がなかったから中国の歴史書から学ぶしかなかった。
しかし、100あまりの小国の争いはなかなか収まらない中、当時30の国を従えていた邪馬台国出身の女王「卑弥呼」の得意技「呪術」によって倭をおさめたということが中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されています。
このころから女性の占いがさく裂してるって感じです。そんな国を治めた卑弥呼は、当時の中国「魏」に使いを送り「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡を授かった。
卑弥呼の死後、男の王が立てられましたが、安定しなかった。そのため、「壱与(いよ)」という女王が倭をおさめていきました。
今書いたように邪馬台国は、「巫女」たちの呪術(今でいう占いに近い)の文化が強い国であり、面白いことにその呪術の活躍により日本ができていったのです。
<まとめ>
いかがだったでしょうか。今回から日本史にチャレンジしていきます。
今日は、縄文・弥生時代を見ていきました。こうしてみると、日本人にとっていつの時代も「米」が重要なカギを握っていますね。
大人になってから日本史を勉強するとまたさらに面白くなりますね。それを今後もできるだけわかりやすく、そして面白くお伝えしていきたいと思います。
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