親として、持っていたいものは、簡単だけど難しいから
今回も、子育て連続投稿チャレンジの企画から、「 #子育ての必需品 」をテーマに書いていきたいと思います。
▽企画の告知note
結論から言うと、わたしが子育ての必需品だと思うのは、「笑顔」、つまり、心のゆとりです。
しかし、これが本当に難しい。子どもは好きなはずなのに、自分の子どもへの想いはいっぱいあるはずなのに、いや、だからこそ…?
そんな葛藤に踏み込んだ日々を書いていきたいと思います。
「子どもが好き」は勘違いだった!?
わたしは、自分の子どもができる前、自分は「子どもが好き」なものだと思っていました。学生の頃、校庭開放した小学校で子どもと一緒に遊ぶボランティアをしていた経験があります。*ちなみに、ダンクシュートをしてゴールを壊してしまい、小学校の校長先生に謝りに行ったこともあります。
ですが、そこには一つの見落としがありました。
それは、わたしが見ていた子どもは、「誰かが一定まで育ててくれた子ども」ということです。
言葉が通じず、意思疎通がなかなか難しい、かつ、生活リズムの中心にせざるを得ない自分の子ども=赤ちゃんや幼児の存在に対する接し方に困っていた、というのが正直なところでした。
自分が都合のいいだけの「遠くの他人」でした
そう、わたしは今まで自分が関わりたいときにだけ関り、しかもそれは長い時間ではありません。本当に大変なところ、面倒な部分を知らずに、「子どもが好き」と言っているだけでした。
このことに気づいたとき、自分の浅はかさ、都合のよさに頭を打たれた感覚を鮮明に覚えています。
憧れの成れの果て
「理想の親」像はありました。いつもニコニコしていて、少し距離を空けておおらかに見ている。それでも、危険なことがあれば優しく注意し、必要があれば、一緒にやるスタンスで協力する。
しかし、気が付けば、正反対の自分がいます。普段人には言わないような酷い言葉でわかってほしい理屈を何度も言う。
それは、伝えることに自信がある自分が、これだけ言い換えや視点を変えて伝えても伝わらないこと。そのこと自体に、自分が否定された気持ちを感じていたのかもしれません。
また、他の人だったらそこまで言わないことを「言える」相手として、わたしは子どもたちに甘えていただけなのでしょう。
そんな風に、自分の都合のいいように子どもを利用している自分が本当に嫌で、怒りと自己嫌悪のループがどんどんその渦を大きくして広がっていきました。
気が付けば、自分が言われて嫌だった、父のような言い回しをしている自分がいました。
急ぎすぎたのかもしれない
ただ、よく言われるように、子育ては誰もが一年生です。
わたしは、いきなり理想の親になろうと焦り過ぎたのかもしれません。
やはり、いつだってスモールステップ・スモールスタートが習慣化のカギでした。
一気に理想像に近づこうとするのではなく、そして、子どもたちも少しずつ階段を上っている途中。改めて、わたしもこのことを忘れないようにしたいと思います。
新しく始めること
とは言え、その心構えだけだと、またいつものループにはいってしまいそうなので、ここで新しい取り組みについて発表したいと思います!
ちなみに、今までは3年日誌にパートナーも含めた、子どもたちへの感謝も1つの項目として書くようにしていました。あるいは、「ゼロ秒思考」の用紙にまとめたりもしていましたが、感謝についてはもうちょっとちゃんと噛み締めたいと思うようになりました。
▽ちなみに、わたしがメンタルヘルスのために激推ししているのが、この3年日誌です。
また、読書記録のようなフレークシールやマステなども活かした、”キラキラノート”系には憧れがあったので、感謝ノートを新しく始めたいと思います。
▽わたしがイメージしているシールやマステの使い方をされているyuuさんのnote。手帳のところ、「正にコレ!」っていうイメージでした!
子育ての必需品「笑顔」と「心のゆとり」が少しでも増やせますように。
みなさんの心のゆとりや笑顔を増やすワザがあれば、ぜひ教えてくださいね!
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