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適応障害を機に身体と向き合ったら、難病だった。そして、嗅覚を取り戻した。今はアートが好きになった。
今回は、マイナビ×noteのコラボ企画「#想像していなかった未来」の応募エントリです。
適応障害のときのメンタルヘルスについてはたくさん書いてきましたが、今回は、あまり触れてこなかった話をしたいと思います。
1.上司との対立。異動
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始まりは上司との対立。思い返すと、もう8,9年以上前の話です。成果が出せないわたしに対して上司の追及が続きます。指摘されている内容は非常に正論であり、わたしとしてもどうしていいかかわからず、結局屁理屈をこねて、指摘の仕方などで反論するしかありませんでした。
毎日のように上司との口論が続くようになり、頭がクラクラするような感覚に襲われました。そして、オフィスの入り口にある扉のヘリでおでこを切ってしまったあたりから、「これは通常の精神状態じゃない。自分の身は自分で守ろう」と、さらに頑なに交戦体制を固めるようになりました。
結果、会社は選択肢を出してくれました。
・1つは、既存の古くからある商材で中国地方に行くか。
・もう1つは、宮城で新しい商材をやるか。
昔ながらの商慣習に抵抗があったのと、子どもたちの教育環境やわたし自身が東北や北海道に縁があったこともあり、宮城を選ぶことにしました。
しかし、今思えば、既に精神的に相当参っていたのかもしれません。
徐々に、お風呂に入った直後にも関わらず、鼻の奥に機械油のような臭いが取れなくなってきます。それから、完全に嗅覚が利かなくまで大した期間はかかりませんでした。
2.適応障害と休職
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結局、その会社は退職し、2度の転職。さらに、個人事業主としての独立も経て、再度会社員に。
初めて入ったベンチャー企業では、入社後約半年でこれまた人生初の心療内科にいくことになりました。診断は適応障害。30代後半で初めて休職を経験しました。
はじめのうちは、「こんな状態で日々生きてていいのだろうか」という思いが強く、何もやる気が起きなかったのですが、徐々に前向きになっていきます。休職という時期なのだから、5年以上にも及ぶ嗅覚が全く機能していない状態との決着をつける。「嗅覚を取り戻すために動こう」と決めました。
今までは、手術の期間や費用でしり込みしていましたが、この機会に動きを進めます。
元々小学生の頃から悩まされていたぜん息との兼ね合いもあり、もしかしたら難病の可能性があるということ。検査や申請など時間はかかるとのこtですが、休職中の今は気にする必要はありません。
大学病院で検査してもらい、結果は難病認定されている「好酸球性副鼻腔炎」でした。
難病と言っても、わたしの場合は幸い日常生活に支障のあるものではなく、難治性という意味での難病というくくりになっています。高額の薬を使い続けていますが、指定難病のため補助を受けさせてもらっています。
人の心の動きにフォーカスしたい人間が、五感の一つを潰してしまったままでいいのか。その想いから向き合った結果、8時間にも及ぶ大手術を終え、無事に嗅覚は戻りました。
適応障害になった直後、パートナーが連れ出してくれた植物公園に行ったときは香りを感じることができませんでした。しかし、手術が終わった後、改めて一緒に花を見に行った際、嗅覚をフルに感じることができました。
パートナーは園芸科の高校出身で、グリーンアドバイザーの資格を持っているくらい植物が好きです。
結果として、いくつものラッキーとたくさんの方に支えられた結果ですが、この香りを感じることができなかったときに行った植物公園の思い出は、後の対比としてかえって鮮明に記憶に残っています。ともあれ、休職を機に嗅覚を取り戻せたことも大きな向き合いの一つでした。
3.そして、アートへ
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3ケ月の休職、復職を経て3年ほど経ったとき。ふと思い立ちました。
・自分が本当に関わりたい領域の仕事がしたい
・心から自分がいいと思うものを拡散したい
それは、ある種マーケター目線による「疲れ」であり、自分自身の生きる目的を更新するものでした。
一生をかけたアウトプットが完成しないかもしれない、それが日の目を浴びないことや、評価されないこともあるかも知れない。
しかし、その道を求め続けたこと自体に意味があるんだと心から思えたこと。それは、今まで暫定的に自分のなかの最優先事項としていた「仕事」を、初めて主体的に越えた瞬間でした。
もちろん、それは突然思いついた訳ではなく、この期間に少しずつ認知行動療法によって、物の捉え方を柔軟にしたり、習慣化のPDCAを回し続けてきました。
その結果、自分のなかのエネルギーと試行錯誤が一定のところまで来たときにパッと形になった感覚です。
例えば、
・それは今まで「陽キャの集まり」だと勝手にひねくれていた、Instagramを始めたこと
・noteで毎日投稿を続けていること(現在87日目)
・40歳になるまで一度も行こうと思わなかった美術館に日常的に行くようになったこと
・デコレーションノートを始めたこと
などなど、今やっていることはどれこれも想像しなかったことばかりで、挙げるとキリがないほどです。
ですが、適応障害を機に生き方を考え直したことで、こんなにも新しいチャレンジばかりで、こんなにも毎日がたのしく、生きる目的をしっかりと見いだせたことが、何より想像していなかった未来でした。
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