ただいま 『受け取る』 練習中。
スペイン語に、merecer 「・・・に値する」という意味の他動詞がある。これをブエノスアイレスではよく聞く。いい意味でも、悪い意味でも使う言葉らしいのだか、わたしにこの言葉が降ってくるのは、大抵、何かのお礼を言ったあとだ。
わたし :「ありがとう。こんなに頂いてもいいの?」
相手 :「当たり前じゃない。だって、あなたにそれだけの値があるのだから。」
のようなやり取りになるのだ。遠慮して一歩引いたのに、大胆に羽交い締めにあうみたいな感じ。遠慮とか、恐縮です。みたいな態度はアルゼンチンでは通用しないのだ。
わたしの愛読書、現代の前世療法の権威ブライアン.L.ワイス博士の本『魂の療法』の中に、こんなお話がでてくる。
献身的な素晴らしい人格の女性が4年間の寝たきり状態の末に亡くなる。その女性の娘は、「病床にいた母の晩年は辛いものだった」と、神を恨んでいたが、ある日瞑想でメッセージを受け取るのだ。
「あの寝たきりの期間は、あなたのお母さんへの贈り物だったのです」と。
愛は与えるのと同じように、受け取ることも学ばなければいけない。寝たきりになったのは、人の世話になり、愛を受け取ることを学び終える為のチャンスを手にしていたのだ、という意味。もしも今生でやり残してしまったら、その学びを完遂するまで、輪廻を繰り返すことになる。
『愛の収支は、バランスが取れていなければならない』という教えだ。
これを読んで、思った。
「いかん。このままではわたし、寝たきりコースまっしぐらか?」
今までのわたしは、受け取り下手だった 。。。と思う。
与えることばかりしていた 。。。ような気がする。たぶん。(あくまで当社比)
ということで、ここ数年は『受け取ること』を練習中である。まだまだ、「いいよ、いいよー」と言ってしまいがちだけれども、いただくにふさわしい自分 、ブエノスアイレス 風にいうとmerecedora (メレセドーラ)になることが目標。遠慮や謙遜をするよりは、その分、思いきり清々しい「ありがとう」が言えるようになりたいものだ。
寝たきりにならない為、という動機がいいのかどうかは謎だけど。