なぜかはわからない。でも、踏み出したからこそ変わったんだ。【習慣化への挑戦】
今回は、ケンタッキーフライドチキンさんとの投稿企画「#挑戦してよかった」へのnoteです。
わたしは、適応障害になり休職、復職を経てキャリアップしました。
実は、休職した方の約半数程度が2年以内に再度休職するというデータもあるようで、復職後に評価が上がるというのは割と珍しい例とのことでした。
*休職・復職者向けに新しいサービスを立ち上げようとしていた方からの情報。
心療内科や、カウンセラーさんとの二人三脚による復職プログラム、家族の協力など多くの方に支えられました。そのなかで、思い返してみると、最初の挑戦は「習慣化」だったと思います。なぜうまくいったのかを当時を振り返りながらまとめていきたいと思います。
1.復職まで
復職するまでは、正直習慣化どころではありませんでした。敢えて言えば3年日誌を始めていますが、一日ダウナーな日も多く、「何も生みだしてない自分が日々生きていていいんだろうか」そんな思いが強かったです。
そこから、徐々に体を慣らしていきますが、それでも復職していけるのだろうかという不安のほうが大きかったです。
この時期については、カウンセラーさんから「スモールスタート・スモールステップ」の考え方で少しずつハードルを上げていくやり方に救われました。
2.復職後
復職後も簡単な事務作業のようなものから始めたのですが、正直面白いとおもえず、そのまま再度メンタルがやられて休職する未来もあったと思います。
たまたま、他の業務で人員やノウハウが足りないということで、そちらに移ったことで上手くいきましたが、ここは大きなターニングポイントでした。
そして、部署移動・統合を経て、年末にいよいよ自主的に動き出そうと思い立ちました。
3.習慣化のスタート
そして、休職・復職した年の年末、いよいよ動き出します。
今まで会社から言われて、おざなりにフェードアウトしていた毎日習慣の記録を始めてみたいと思ったのです。
休職から約9ヶ月、復職からは約半年後のことでした。
恐らく、メンタルがある程度安定したのもありますが、メンタルヘルス本を数冊読むうちに自分からやってみたいと思えたことが大きいのだと思います。やらされてやるのか、自分からやりたいと思うのかは雲泥の差がありますね。
4.「生存者バイアス」と斜に構えた姿勢
思い返してみると、結婚が決まっての転職、子どもが増えてからの転職、30歳半ばでの個人事業主としての独立。アラフォー前にベンチャー企業で再度会社員になるなど、周りからは「絶対無理」と言われ続けてきました。
もちろん、本人としては「あんたの常識ではそうなんでしょ」「わたしはあなたとは違う」と突っぱねてきましたが、不安がなかったかと言えば噓になります。
そういうときに限って、普段あまり人と比べないくせに、同年代で起業して成功している人間の顔がチラつき、弱気になることもありました。
しかし、そうしたときに勇気づけてくれたのは「遅咲き」と言われた方々の偉業です。
65歳で創業、101歳で富士山登頂など、そうしたエピソードにすごく勇気をもらいました。
ただ、それでも、弱気の自分は「そんな成功した人に隠れて失敗した人がどれだけいると思っている。『それは生存者バイアス』だ。」と斜めに見ている自分もいます。
確かにそうかもしれません。しかし、それは確率論ではなく、あくまで自分の場合はどうなるか、1/1の話でしかないと思うのです。
節目は、ごちそうとともに
弱気になったわたしを励ましてくれたのは、いつもごちそうでした。
「バーレル」という響きを聞いただけで、親戚の家に集まる風景、部位を覚えたたてで通ぶって選んだリブ。
パートナーと付き合いたての時に食べたポットパイは、こんな素晴らしい食べ物があったかのかと衝撃を受けました。毎年、大好きなレッドホットが話題に挙がると、夏を思い出します。
ちなみに、パートナーの『とびだせ どうぶつの森』の”しまのメロディー”はリクエストを受けて、KFCさんのテーマソングに設定しました。
子どもたちが、今でも大好きなビスケット、そして、メープルシロップ。
挑戦とねぎらいの節目には、いつもごちそうがありました。
きっとわたしはこれからも節目節目にごちそうを食べて、願わくば、子どもたちにとっても「バーレル」が特別なものでありますように。
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