めんどくさい奴がこれからのAI時代に求められる
これまでの社会で求められた能力は鈍感力
過去記事で、自分を含めて内向的、HSP、真面目などで生きづらい人たちがどう生きれば楽になるかを書いてきました。(※HSP=Highly Sensitive Personの略で、非常に敏感で繊細な人という意味です)
自分を肯定する為に、内向的、HSP、真面目などで生きづらさがある人を被害者のように書いてきましたが、実はこれらの人々は、自分の意見は正しい!と思っていて、ものすごいナルシストで、器が小さい、という側面もあるのではないでしょうか?
自分の中に譲れない高い基準があって、でも現代社会はその基準を満たしていないことにいら立っている、それが私たちの生きづらさの原因なんだと思います。
そして私たち以外の大多数は特にこだわりがなく、上から言われたことを「まぁ仕方ないか」と受け入れることができるので、私たちが感じるほどのストレスがなく、既存の学校教育から、組織で働くこと、人付き合い諸々をこなすことができているのではないでしょうか?
我々生きづらい人たちにとっては、他者からの命令をそのまま受け入れることは、自分の信念ともいえるこだわりを捨てることになるので、そこにもやもやを感じてしまい、積極的に取り組めません。
そんな私たちの様子が、大多数の人にとって見ると「なんでそんな細かいことを気にするの?」「どうでもいいじゃん」という風にとらえられ、「面倒くさい奴」認定をされてしまうのだと思います。
大多数の方々と我々少数派は、そういう思いを抱えてお互いをみているので、表面上でうまくやろうとしても、そもそもの価値観が違うのでうまくいくはずがありません。
そして私たちは常に少数派なので、どの場所に身を置いても理解してもらえずに、いつもこちらが我慢するというのがパターン化され、この現代社会に絶望感を感じるようになっていきます。
そして、なんでみんなと違う性格に生まれてしまったのだろう、と自分の運命を憎みます。
でもこの面倒くさい性格は、必要性があって私たちはもって生まれてきたのです。
繊細さんやHSP気質の人たちの存在意義
なにかの本で、HSPが一定数生まれてくるのは、人類という種族が生き残るための生存戦略だと知りました。
他の人よりも危険を察知する能力が高いので、何か人類にとって危機的な状況が起こった時にHSPの人たちがいち早く察知し逃げるので、他の人たちもそれに続くことで危険を回避し、全滅を避けることができる、のだそうです。
ただ便利になった現代では、命に関わる危機的な状況はめったに起こりません。なのでHSPの特性は、現代社会において「小さなことを深刻に考える面倒くさい性質」という負の側面が大きくなっています。
そして、経済成長に重きを置く、資本主義の現代では、HSPの性質を全否定するような、「上からの命令に対してスピーディーに効率よくスマートに応える」ことが優秀さの基準になっています。なので、私たち少数派の能力はほとんど評価されません。
これは学校教育の段階で始まっていて、その問題をやる意味や、その問題の前提条件への疑問は持たずに、一方的に出された問題に対して、既存の与えられた知識の中から適切なものを答える力をつけることに重きを置いているのが今の教育だと思います。
AI時代に求められる能力とは
ですが、今後はAIが「上からの命令に対して、データとして得た既存の情報の中から最適なものをスピーディーに選び取り、効率よく応える」ことをやってのけてしまうかもしれません。
するとこれまで大多数のマジョリティの人たちの強みであった、「特にこだわりがなく、柔軟性があって、上からの命令を疑問を持たずに受け止めて、それにスマートに対応していく能力」は、最優先で必要なものではなくなるのではないでしょうか?
もしろ、これまで少数派だった人たちの独特な感性(これまでは「細かっ!」「そんなの机上の空論だよ」「つべこべ言わずにやって!」と周りから面倒くさがられてきた着眼点、こだわり、アイディアなど)が、AIとの差別化になって、人類の存在する意味になるのではないでしょうか?
と、またしても生きづらい自分を擁護するような記事になってしまいました。
生きづらかった人たちが生きやすくなる時代に向けて
私はずっと、この資本主義社会に適応できる側の人間として生まれたかったと思ってきました。輪の中に入りたかった。
ですが、幼少期から現在にいたるまで、私が何か発言すると「・・・?」みたいな空気が流れてしまい、みんなが離れていってしまう感覚が常にありました。理由がわからなくて、何冊も自己啓発本を読んだりして、一生懸命空気を読んで読んで、それでも読めなくて、どこにいっても馴染めなくて、どうせわかってもらえないから自分の気持ちを発言するのはやめようと決め、なるべく人と関わらないで生きる方向で最近は生きていました。
そんな中で、社会の変化をちらほら見かけるようになり、少しの救いが見えてきた気がして、自分の特性をどう生かすかを考えるようになりました。それを記事にしています。
私と同じような経験をしている方、身内に生きづらさを抱えた人がいてどう接したらいいか困っている方、そんな方たちに届けば嬉しいです。
本日も思いをぶつけた記事ですが最後までご覧くださりありがとうございました。