安心できて、背筋が伸びて、学べる場
私は次女の幼児期、一般的な幼稚園・保育園でなく、幼児生活団という選択をしました。そのつながりでいまも所属しているのが、全国友の会。
卒業したらやめるだろうなと思っていたのが、今年で8年目です。
正直最初は義務感でしたが、
いつの間にか安心できる場・リラックスできる場になってました。
親から独立して新生活が始まると困るのが、家事の仕方。
学校の勉強は、みんなある一定の年齢になったら、一定のレベルで教えてもらいます。
でも、家事のやり方なんて教えてもらうことがないし、自己流。
人に聞いてより良くする、工夫するとかできません。
あんまりしつこく聞いても、変な感じですしね。
昔だったら、結婚したら旦那さんの実家に入って、好むか好まざるかに関係なくお姑さんが教えてくれていたんだと思います。お姑さんから教えて来るか、こちらから教えてもらうのか、はたまた見よう見まねなのかは色々あるにして。
好むか好まざるかは別として、自分より年数長く経験がある人なら、参考になることはあるはず。(中には、お姑さんが家事が苦手で、お嫁さんの方が家事上手というパターンもあるだろうけど。)でも、世間では嫁姑問題もよく聞きます。(ま、私に限って言うと、お姑さんはいませんが。)
友の会って、外にお姑さんがいっぱいいる感じかも。
ただ他人だから、変な圧はない。
そして、サンプルが多いから、色んな意見ややり方を聞いて、実践して、そこから自己流にしていける。
みんな、友の会に来ればいいのに、って思います。
なんで安心できる場なのか。
安心できるだけでなく、ちょっと背筋が伸びる学びの場でもある。
それはなぜか。
いま、私が思う理由を述べていきたいと思います。
友の会は、結婚した女性が入っていることが多いです。
年代でいうと30~90代くらいと幅広くいます。
平日活動してると、年配の方が多い。
そうすると、同世代でないから比べない。
友の会って、本当すごい人がいます。(でも、すごいことを出さない人が多いから、世間的にはパッと見すごいと思われない。)
同世代だと引け目を感じることがあっても、年配だと憧れの対象になったりします。いつかできるかもと目指す理想になります。
でも同年代でも、「すごい人はすごい人だから、かなわない。ただすごいなーと思う。」と教えてくれた同世代もいます。認めちゃったら楽だったりする。友の会では協力することが多いから、これがいい感じで補完し合えるんです。
まあ、自分よりだいぶ年上の70代同士だと、ここは比べてしまって、落ち込むこともあるみたいです。でも、それだけ色んな人を見ると、「色んな人がいるよね」、とそれぞれの強み・自分の強みを分かってる人は多い気がします。
これは、ふだんの集まりでは必ずと言っていいほど、読書をするからかもしれません。読書をしたら、それぞれの感想を言います。
そこに、「その感想はないわ」「そういう感じ方はおかしい」「これが正しい感想だ」と言う人はいません。最初は、良いことを言わないといけないのか、著者に感心したなど賛同したことを言わないといけないのか、何が正解なのか、と思ったものですが、何を言っても否定する人はいない。
ただその人の感想なんですから。
感想を言い、お互い聞き合うことで、
この人はこういう人と分かって来る。
知っても、どんどん年数が経つと、どんどん違った面も見えて来る。
ただこういう人・こういう考え方を持つ人、と思っておくだけで、自分の考えを押し付けたりすることはありません。
否定・批判・ジャッジがない場というのが分かっていると、その場は話しやすい雰囲気になって来る。素が出しやすくなって来る。
そう感じます。
冒頭でも言いましたが、年代が自分の母くらいで、お姑さんみたいな感じだったとしても、身内ではありません。
身内は味方なのだけど、身内だからこそ、
「こうさせたい」
「こう思ってもらいたい」
「何でこう思わないのか」
など思ってしまい、態度に出ることもあります。
(全てではない)
でも、ここでは他人なのでコントロールがないんです。
(だいたいの場合においては。例外はあります。)
他にもあると思うけど、以上が他人同士が集まってるのに、
安心できる場になっていて、どことなく背筋が伸びる、そして学びのある場になっている秘訣ではないかと思います。