ホンマトモヒロ Tomodie®︎

UDC Ocean's 7 南湖走遊會 earnest nishigo NishigoTruckClub.Inc In search of 3 things: 1.Simple 2.Smile 3.Strong Fukushima, Japan 怯んだら前へ。

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最近の記事

なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。⑤

「いいじゃないですか。よろしくお願いします。」そう答えてくれた高久先生の顔は笑っていた。退部を伝えたバスケ部の顧問は言葉少なく許可をしてくれた。 高久先生に出会っていなかったら今の僕はない。陸上の大会に誘ってくれて以降、よく声をかけてくれて、いつも気にかけてくれていた。それが嬉しかった。 それからはとにかく走り、地味な筋トレとキツいサーキットトレーニング、全身が動かなくなるほどのインターバルを繰り返した。走ることは好きだから辛くても辞めたいとは思わなかった。その理由の一つと

    • なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。④

      「将来の夢は6年3組の千石くんと漫才をするか、モスバーガーの店員です。」 小学校の卒業文集にそう書き、陸上部に入るという気持ちは全くないまま、モテたい思いでバスケ部に入った。 モテなかったけど、それなりに普通の中学生生活を送り、真面目に部活にも行った。おかげで2年生になってベンチ入りすることができ、ユニホームを持って帰宅。喜ぶだろうと両親に報告をするとそっけない返事。小学生の頃、マラソン大会で2位になったときは一緒に悔しがってくれたのにバスケのレギュラーでは喜んでくれなかった

      • なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。③

        「今年の目標は“ふくしま駅伝を走ること”にする。」 毎年、かみさんは年始になると決まって一年の目標を聞いてくる。それまで僕はその質問に辟易していた。しかしその年だけはいつ聞かれるかと構えていた。それを目標にしてしまえば家庭内で走ることを合法的に楽しめると思ったからだ。もう走ることが楽しくなっていたのである。 僕は小学生の頃、校内のマラソン大会では負け知らずだった。先生も、マラソンといえば本間くんというくらい。しかし、5年生の頃、岡田くんが転校して来て僕のポジションはなくなっ

        • なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。②

          「ふくしま駅伝なんてあるんだなぁ」 将来、妻になるかみさんを助手席に乗せ、福島市にある病院まで通院していた時。国道4号線バイパスの沿道に駅伝の開催を知らせる看板が立っていた。走ることを拒絶していた僕の日々にふとふくしま駅伝が入ってきた瞬間だった。  僕は順風満帆な競技生活を送った。大学に進学して箱根駅伝を走るんだろうと誰も疑わなかったし、本人が一番疑っていなかった。今思えば天狗になっていた。そんな気持ちで大学に入ったらインターハイに出たやつはゴロゴロいるし、西日本は高校や地

          なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。①

          「ふくしま駅伝のチームに入りたいのですがどうしたらいいですか?」西郷村の広報に、選手募集の記事があり、その中に記載されていた番号に意を決して電話をした。遡ること8年前である。「陸協には入る必要はありますか」「持ちタイムはありませんが大丈夫ですか」矢継ぎ早に質問をして担当者から宥めるように「ひとまず水曜日の18:30に村民体育館に来てください」と言われ、少し興奮した僕は呼吸を整えるようにして電話を切った。駅伝を走ることができるということより、誰かと走ることができるということが嬉

          なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。①