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なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。③

「今年の目標は“ふくしま駅伝を走ること”にする。」
毎年、かみさんは年始になると決まって一年の目標を聞いてくる。それまで僕はその質問に辟易していた。しかしその年だけはいつ聞かれるかと構えていた。それを目標にしてしまえば家庭内で走ることを合法的に楽しめると思ったからだ。もう走ることが楽しくなっていたのである。

僕は小学生の頃、校内のマラソン大会では負け知らずだった。先生も、マラソンといえば本間くんというくらい。しかし、5年生の頃、岡田くんが転校して来て僕のポジションはなくなった。サッカー部の彼は比べものにならないくらい速かったのである。競るとかそういう次元ではない強さが岡田くんにはあった。そもそものポテンシャルが高かった。そこで1度目の挫折を味わった。走ることが嫌いになった瞬間だった。数年後に訪れる挫折に向けて準備ができるはずだったのだが、すぐに転機が訪れる。転勤族の岡田家は転校したのである。根本を解決しないまままた前のポジションに戻ってしまった。岡田くんとは中学の県駅伝でまた出会うことになるのだが相変わらず速かった。しかし彼は走ることではなく、サッカーを選んだ。走ることには興味がなかったのだと思う。きっと世界はそういうふうにできていて、そのまま走れば全国大会にだっていけるし箱根駅伝、オリンピックだって夢じゃないのにサッカーや野球の道を進むのだ。続ければ良いのにと思った人を何人も見てきた。でも得てしてそうしないのである。

僕はこの一件で、走ることが好きなのか嫌いなのか分からなくなってしまい、立ち止まり進めなくなってしまった。一等賞じゃなきゃ喜べない人間だったと気づいたのだ。
〈つづく〉

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