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なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。①

「ふくしま駅伝のチームに入りたいのですがどうしたらいいですか?」西郷村の広報に、選手募集の記事があり、その中に記載されていた番号に意を決して電話をした。遡ること8年前である。「陸協には入る必要はありますか」「持ちタイムはありませんが大丈夫ですか」矢継ぎ早に質問をして担当者から宥めるように「ひとまず水曜日の18:30に村民体育館に来てください」と言われ、少し興奮した僕は呼吸を整えるようにして電話を切った。駅伝を走ることができるということより、誰かと走ることができるということが嬉しくて気持ちが昂った。

 2日後、仕事を終え村民体育館に向かう。緊張なのかなんなのか分からない、好きな人にでも会いに行くような感情で運転をした。音楽を爆音で流しながら向かった。

 僕は10年間走ることから遠ざかっていた。というより、敢えて距離を置いていた。小学生の頃から校内マラソン大会ではそれなりの成績を残しーーとは言ってもいつも敵わない相手がいたーー。中学生になって、モテたくて始めたバスケ部だったにも関わらず、陸上部の監督から声をかけられ駅伝を走った。そのまま気がつけば高校を走ることで進学し、あれよあれよという間に大学にまで入学していた。約6年間、走ることに夢中になっていた。色々あって2年で退部してからは漆黒の闇みたいな2年間を過ごし地元の栃木に戻ってきた。なんの目標もないまま地元企業に就職し、死んだ目で働きながら半年間働き、それもこれも箱根駅伝を無邪気に目指したが故に、今こんなふうになっていると思い完全に陸上競技長距離及び駅伝というものを拒絶した。軽蔑さえした。自分のアイデンティティだった’’走ること’’に捧げた6年間を1日でもいいから越えれば忘れられると思っていた。呪縛を解きたかった。

 このままではいけないと思い転職をし、それからは仕事に捧げた。コーヒーを淹れ、ケーキを作り、お菓子を焼いた。接客のスキルを学び、マネをして人を喜ばせることにコミットした。喜びや悲しみ、悔しさと苦しさがあったが圧倒的に喜びが勝った。結婚をして子供も授かった。そして、10年が経った。走ることを忘れていなかった。気が付いたらまた走り出していた。
〈つづく〉

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