なぜ僕が、ふくしま駅伝に魅せられているのか。④
「将来の夢は6年3組の千石くんと漫才をするか、モスバーガーの店員です。」
小学校の卒業文集にそう書き、陸上部に入るという気持ちは全くないまま、モテたい思いでバスケ部に入った。
モテなかったけど、それなりに普通の中学生生活を送り、真面目に部活にも行った。おかげで2年生になってベンチ入りすることができ、ユニホームを持って帰宅。喜ぶだろうと両親に報告をするとそっけない返事。小学生の頃、マラソン大会で2位になったときは一緒に悔しがってくれたのにバスケのレギュラーでは喜んでくれなかった。報告をして、その返事を受け取るまでの一瞬ですべてを理解した。
「あ、バスケじゃないんだ、走ることなんだ。」
今になって思えば両親がそんなリアクションをとってしまうことも理解に難くない。当時、世代的にもバスケットボールは馴染みのないスポーツだし、共感は得づらかったと思う。ただ僕はショックというより、そういうものなんだなと理解した。そうなると一気に熱も冷めた。2年でベンチ入りともなると周りの嫉妬もあり仲間はずれにされた。仲の良かった友達が中心となり僕にはパスが回ってこなくなった。次第につまらなくなり、部活を休み始め全く先の見えない生活になった。
そんなある日、スポーツテストで1500mを走り、まずまずのタイムを出した。授業終了後、体育の高久先生に呼び止められ「本間選手!いい走りだなー!今度、陸上の大会があるから走りましょう!」と声をかけられた。高久先生は生徒の名前を〇〇選手と呼び、初めて声をかけられて少し嬉しくなって、だまって頷いた。
そう言われたのはいいものの、正直走ることが嫌いになっていたので知恵熱が出てしまった。
また走るのか。でも走ることで親は喜んでくれるだろうな。そう思い、言われるがまま大会に出た。タイムははっきりと覚えてないけど、なかなか走れた。大人数だったバスケ部とは違い長距離ブロックは少数で、居心地が良かった。
大会が終わるとバスケ部の練習に戻ったが、そこに僕の居場所はなかった。
教科書の上にメガホンが置いてあるその席は、とにかく広い職員室でも一目で分かった。
「高久先生、僕を陸上部に入れてください。お願いします。」
陸上部がどんな練習をするのか、どんな世界なのか、何も知らずに感情の向くまま伝えた。
また時計の針が動き出した瞬間だった。
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