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[俳句ミステリー]「古池」は暗号だった! 其の一

 古池や 蛙飛び込む 水の音

 最も有名な俳句であり解説も山ほどありますが、少し変わったお話が出来ればと思います。無学な素人なんでトンデモということになりそうですが、学術的に見ても全否定は出来ない、という程度には持って行きたいところ。
 もう一つ、前置きをさせていただくと、昔の歌には二重三重あるいは、もっと意味が重ねられているものだとわたしは了解しています。恋愛の歌が、同時に政治的な発言だったりもするということです。
『万葉集』や『古今和歌集』などの解説本にはそのようなことはあまり書かれていないようですが、そこには古墳研究などと同じ壁があるからではないでしょうか。ミカドに関わることにはふれにくいということですね。
 ということで、自分に難解な謎解きが出来るとは思っておりませんが、「表」の解説しかご存知なかった方には、新鮮な部分があるかと思います。もし、当記事がきっかけでより本格的な解明につながれば、愚考した甲斐があったというものです。よろしくお願い致します。

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 古池や…… の句の成立時のエピソードがとして次のようなことが語られています。

 芭蕉ははじめ「蛙飛び込む水の音」を提示して上五を門人たちに考えさせておき、其角が「山吹や」と置いたのを受けて「古池や」と定めた。芭蕉は和歌的な伝統をもつ「山吹という五文字は、風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして實(まこと)也。山吹のうれしき五文字を捨てて唯古池となし給へる心こそあさからぬ」とした。

 Wikipedia

 まるで神話に出てきそうなエピソード。知らない者が聞けば、何が云いたいの? とイラっとする。でも、その感覚がマトモだと思います。わざとボカして事情を知らない者を蚊帳の外に置く云い方。

「山吹」には、ちゃんと意味があった

「表」の解釈だと、<蛙→山吹→井手(地名・歌枕)>は定番中の定番なので芭蕉は嫌った、とされているようですが、「井手」にはふれていない解説もたくさんありました。大雑把に云うと、一般向けの簡易な解説は<山吹→雅な表現過ぎる>どまり。もう少し中級者向けの解説になると<井手>まで紹介される。でも、そこまで。
<井手>には清流があって山吹が咲いていて、良い声でなく蛙が居た……で終わる。そこが誰の邸宅であったかという話はしない。まるで歌や俳句にはそんなことは関係がないと決めつけているよう。
 実際、その割り切りが「表」の解釈を成立させているのだと思います。邸宅の主、橘諸兄のことを語り出せば、歌や俳句の別の一面を浮かび上がらせることになりますから。要するに政治的な一面ですね。 

 その制約は芭蕉も背負っていました。俳句の宗匠とはあくまで「表」の世界での役割ですから。一般の人に政治の話は出来ません。(※芭蕉自身も弟子たちも、能は勉強していたので昔の政治についての理解はある程度共有されていた)
 でも、歌や俳句に深く関われば、「表」だけでは飽き足らなくなります。歌で云えば『古今伝授』が知りたくなる。芭蕉が伝授の内容を知っていたのかどうか知りませんが、そういうものがあるということや、その内容の一端くらいは知っていたでしょう。
 つまり、歌には政治の世界もあることを知っていたわけで、それが歌にとって欠かせない深みであることも知っていた。であれば、別に政治に関心がなくても、その要素を自分の作品に織り込みたくなるというのが創作家としての性(さが)ではないでしょうか。
 ただ、芭蕉は有力氏族の一員でもなければ政治の要職に就いていたわけでもなかったので、同時代の政治はわかりません。政治ドラマを織り込むとすれば、歴史の逸話になるわけです。そしてその逸話がふんだんにあるのが能です。
 実際、芭蕉は能に強い関心を持っていました。芭蕉の弟子の其角は、謡(うたい=能の台詞)が俳諧にとっての必須の教養だと語っていたそうです。ちょっと意外でしょ? 一般向けの俳句の解説では、その部分はカットされていると思います。なぜ? 話がいっぺんに複雑に重くなるからでしょう。

 わたしが云うと突拍子もないようですが、歴史的なドラマを歌に織り込むことは、普通に行われていました。故事と場所が結びついたのが歌枕であり、全国各地の歌枕を巡るのは西行などがすでにやっていたことです。

「古池」は、橘諸兄のことだと云いたいの?

 この段階で、そう云っても話にならないので、順を追って説明させていただきます。

「井手」とはどんな場所なのか?

 先ほども云いましたように、橘諸兄の邸宅があった場所です。そこに山吹があり、清流(玉川)があり、すごくいい声でなく蛙がいました。それがどれだけ魅力的だったかというと、『古今和歌集』の序文(仮名序)に「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と書かれているくらいです。鶯と同格なんです!
 え、カエルが?
 ただのカエルじゃなかったんです!
 伝承によれば、「かわず」はこの井手に棲むものだけを指す固有の名前だったとか(鴨長明『無名抄』)。カエル一般の古い呼び名が「かわず」ではなかったようです井手の蛙(かわず)だけが超特別!

 ここでいったん橘諸兄を離れます。というのも、「古池や……」の句の真相は「井手(橘諸兄邸)の蛙(かわず)のことだ!」という説が絶対に出てくるからです(すでに既出でしたらごめんなさい)。ですから、先にそちらの説明をしておきます。

 あくまで、芭蕉が井手で「本物の蛙の声」を聴いていたとしたら、という仮定の話ですが、その場合「古池や……」の句の意味は、つぎのようになります。

<井手に出かけたら「本物の蛙(かわず)」がまだ生きていたよ!>

 それにしては、表現がまわりくどいのではないか? と思われるかも知れませんが、ちょっと考えてみて下さい。
 江戸時代には、蛙=カエルになってましたから、単に蛙の鳴き声と云えば、ゲロゲロになってしまいます。それでは芭蕉の云いたいことは全然伝わりません。
 じゃあ、「井手」を出せば良かった?
「井手」を出してしまうと、今度は昔を懐古して心で聴いた(幻聴)と受け取られかねません。ということで「井手の本物の蛙が今も生きていた!」と表現するのは、結構、難しいんです。
 それに「井手」の名を出せば、見物客が殺到するおそれもありますからね。そんなことになれば、せっかく生き延びた蛙を危険にさらしてしまいます。それも避けたかったはず。
 つまり<古池や蛙飛び込む水の音>というのは、その意味でも絶妙の表現になっている。わかる人だけに、わかってもらえるという。

 ただ、この読み解きには、政治的な要素はありませんので、あくまで「表」世界のこと。橘諸兄を暗示した意味もあったとすれば、それは三つ目のメッセージということになります。

つづく



写真は、いしばしあやこさんの作品です。
ありがとうございました!


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