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結婚は離婚するためにあると思うまでの失恋と不倫と民法の話

当時、大好きだった人と別れて、毎晩泣いていた。涙がつつっと流れるというふうではなくて、うぇっうぇっっと、ちゃんと毎日感情が昂ぶっていた。一方でそんな自分を冷静にどこか感心していた自分もいて、誰に質されるわけでもないけれど、本心なのかパフォーマンスなのかどっちなんだよと心の中でつっこんでいたことを妙に覚えている。昼は笑顔でバイト、夜は真っ暗闇で泣くか無表情、その乱高下に気を失いそうになりながらなんとか生きていた。

泣きながら国道を自転車で走る女


毎晩家に帰れば泣く日が半年続いて、それから10年くらい経っていまやっと思い出になりつつある。10年の間にも恋はしたし、それもちゃんと恋だった、決してその人の代わりなんかではなかった、でも、ふと一人になったときに思い出すのは最新の元彼ではなくその人で。

あれは冬になりかけだったと思う、日が暮れるのがはやくなったなと思いながら薄暗い道を自転車でタラタラ漕いでいた。いつもどおりイヤホンを片耳にはめて(危ない)、ランダム再生をしていた。そんなときふと福山雅治の最愛という曲が流れてきて、その時初めて聞いたわけじゃないのに、なぜか歌詞がよく聞こえて、なんだ、この曲今の私のことじゃん、と気づいた瞬間泣いていた。東野圭吾の容疑者Xの献身の主題歌であり、愛する人のために罪まで犯した人の切なくてかなしい曲だ。涙が流れ始めたらもう止まらなくて、どうして私はこんなに辛いんだろう、どうして私はひとりぼっちなんだろう、どうして私は、どうしてどうして、と思考も止まらなくなった。こんなにもかなしいのに自転車はシャカシャカ鳴っていて、どこまで間抜けなんだろうと余計に涙が溢れた。

なぜあの恋だけを特別に引きずり傷ついたのか、今となってはわからない。ただひとつ言えるのは、あのときの自分は初々しく若かったのだということ。大学進学をきっかけに上京してきて初めてのひとり暮らし、4.5万の木造で、オートロックなんてついていない。駅から徒歩25分も田舎育ちの私にとっては近いくらいだった。なんにも知らず、無知で純粋だった。好きになった人が実は既婚で、もう会うことをしないということになったとき、だから私は泣いた。こんな事、東京じゃよくあることなんて知らなかった。世界で唯一の一番大切な人にしか好きと言わないんだと思っていた。彼の家族からすれば加害者は私で、そして加害者ではあったけどもそもそも彼からすれば私なんてモブもいいとこだった。隣の部屋の男の子がPSPを起動させる音すら聞こえる壁の薄いアパートで、私は毎日呻き声をあげた。


もはや因縁の曲


最近Spotifyを再生していたら、
その「最愛」が流れてきて、苦笑いした。
"愛さなくていいから、遠くで見守っていて"
この歌詞を当時、
心の拠り所としてなんとか生きてた。
嫌いになったわけじゃない、
君のこと、好きにならないようにしてる。
連絡はできないけど、またいつか会おうね。
彼からの最後のLINEを100万回読み返して、
20代の前半は過ぎた。


本当にバカ野郎だった

彼も私も。本当に最低だ。
あれから随分経った今は、
愛さなくていいから、なんて思わない。
冷静に考えて、どう考えても、
一番に愛してほしいに決まってる。
舐めるんじゃないよ、それが出来ないならそんな関係はこっちから願い下げだ。


法の力は強いぞ


本当に好きな人ができたら、何か事情がない限り、絶対に結婚したほうがいいと思っている。結婚しないで何年も一緒に過ごすなんて、労働契約書もなく働いているようなものだ。なんもないときはなんもなくていい。なんかあったとき、何かがなくちゃならないのだ。自分たちの関係が正統であることの証明。それがあれば世界が守ってくれる。それが結婚のメリットだ。インフルエンサーならいざ知らず、ふしぎの存在を鼻で笑われたメイちゃんみたいに、関係が壊れてしまったら、2人の約束も、1人の虚言へと成り下がってしまう。相手が亡くなっても、親族からNoと言われれば最後のお別れもできない。

明かりもつけずに、ただただ壁を見つめていた。あのときの気持ちは、ほとんど忘れかけている。でもあのときの彼、私にリーガルマインドを教えてくれて、どうもありがとう。そういうわけで、いま私は別の人と結婚し、もしも浮気したら絶対にどこまでも民法の力を行使してやるからな、と息巻いている(幸せです)。

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