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精神疾患の話、父の話(2/n)


(承前)

実を言えば在宅療養というのは初めての経験だ
入院後の在宅療養というのはあるのだけれど

今までにいわゆる精神科の病院には3度入院したことがある
最初は20代のころだ
それと30代の時に2回
精神科でつけられる病名というのは実はよくわからないことが多くて、医師から告げられる病名と診断書に書かれている病名が相違しているということはよくある
きっと、本人にあまりショックを与えないように「軽いうつですね」みたいなことを言ったりするんじゃないかと思うんだけれど、保険会社に提出する請求書につける診断書には意外と重い病名が書いてあったりするんだよね

僕と精神疾患の出会いは20代の半ばくらいのことで、最初はなんだか毎日心がつらくて、消えてなくなりたいみたいな、いわゆる絵にかいたようなうつ症状があって、インターネットの「うつチェック」みたいなやつをやってみたら「病院を受診しましょう」なんて出てきたから病院に行ってみたんだ
僕が初めて足を踏み入れた病院(今通っている病院とは違う)はとても清潔でお金がかかったような立派な病院で、それなのにあまり待合に患者さんがいなくて(当時は今みたいに精神科の受診が一般的じゃなかったんだよね)、それがかえって精神科だということを意識させてなんだか緊張したんだけれど、診察したカバみたいに体が大きくておっとりした医師は「まぁ軽いうつですね、薬を飲みましょう」みたいな感じであまり大ごとという感じでもなかったな

ところがそれから数か月、どんどん状況は悪くなって、結局僕は首をくくってしまって、それが失敗して(どうやら僕の体重に対してロープが細すぎたらしい)、それでその病院に救急搬送されてそのまま措置入院(自殺企図みたいな危険があるときに法律に基づいて行われる強制的な入院)をさせられてしまったんだな
そんな状況だから自分の病名なんて全然わからなかったし、今でもその当時何という病名をつけられていたのかわからない
とにかくひどいもんだった

精神科の病棟には保護室(と僕が入院した病院では呼ばれていた)というものがあって、僕みたいな非常に不安定で危険な状況の人はそこに入れられる
簡単に言うと清潔な独房みたいなところで(実際の独房に入ったことがないからよくわからないんだけれど、今は独房だって結構清潔なのかな)、ドアノブがないから中からドアを開けることができないし(シーツをドアノブに引っ掛けて自殺をしてしまう人もいるからドアノブがないという話を聞いたな、真偽のほどはわからないけれど)、自傷行為なんかができないように何かをひっかけるような突起みたいなものは何もない
服装は一切紐類のない半袖シャツとハーフパンツ
部屋にはベッドと便器があるだけ
食事は小さな窓みたいなところから差し入れられるし、室内で大きな音を立てると「どうしました?」って声を掛けられる(室内にマイクがついている)
看護師は屈強な男性で、基本的にこちらからの質問には答えてくれない
そんな感じ
そこで模範囚みたいに立派に勤め上げると、普通の閉鎖病棟に移される
他の入院患者さんと話をしたりできるし、部屋も相部屋だったりする
まぁあんまり会話が成立しない患者さんも多いんだけれど
意外と若い患者も多いし、いったいどこが悪くて入院しているのかさっぱりわからない好々爺然としたおじいさんもいたりした

とにかく僕の場合はそういう経緯で精神科入院デビューを果たしたものだから、あまり一般的な精神科の入院というのはよくわからない

数か月で退院して通院を続けて、それで30代のころにもまた自殺未遂みたいなことをして意識がないまま入院というファンキーなコースでの入院を繰り返した
入院スタイルが派手なタイプなんだな、僕は
そんないささかクレイジーな感じで20代の後半から30代を一般社会と精神科を行ったり来たりしながら過ごすことになった
2回目の入院から今通っている病院で椎名医師にお世話になっている

話が逸れてしまったけれど、とにかく、僕は今までマイルドな形での入院(ちょっと入院してみましょうかみたいな感じ)をしたことがないので、当然ながら在宅療養なんて言うスーパーマイルドな措置を取られるとなんだか戸惑ってしまう
一体自宅で何をすればいいんだ?
医師は「何もしなくていいんですよ、仕事のことを忘れてのんびりして、体が動けば温泉なんかに行ってもいいですしね」なんて言うの
なんだか会社をさぼるみたいな後ろめたい気持ちがする
僕としてはメンタルで仕事を休むっていうのは、もう命からがら病院に運ばれるみたいな極端な経験しかないから
なんだか困っちゃうよね

でも、いざ在宅療養をしてみると、全然さぼってるって感じじゃないんだ、当たり前だけれど
仕事はというと、これはしばしば聞く話だけれど、従業員が一人いなくなったところで会社は何も困らない
ほんの少しの引継ぎをしただけでそのまま休んだのだけれど、数回「あのファイルってどこにありますか?」みたいな問い合わせが来ただけで、僕がいなくたって会社は何の問題もなく回っていく
当たり前なんだけれどちょっと寂しいよね
それで何もやることがないから趣味でもやろうかと思うんだけれど、いざやろうと思うと体が動かない
気持ちもついてこない
例えば「この機会に映画をたくさん見ようかな」なんて思ってネットフリックスを契約しようって思いつくんだけれど、いざやろうと思うと体が重いし、ほんの少しスマホを操作するだけのことがとても億劫で「あぁ今日はなんか気持ちが乗らないからまた明日にしよう」と思う
とてもじゃないけど温泉にでも行ってこようなんて気持ちになれない

やっぱり医者が休めというだけあるんだ
心がとても弱っている
何とか頑張って(睡眠導入剤を飲んでも寝れないから)深夜にコンビニに行って煙草と酒を買ってくるという簡単なお散歩ができるくらい
調子がいいと鼻歌を歌いながら歩ける


僕の診断名は双極性障害という
昔は躁うつ病って呼んでたやつだ
僕は医者じゃないから精確な解説はできないから知りたい人は自分で調べてみてほしいんだけれど、実際に患っている身からすると、うつ状態もつらいのだけれど(体が動かないし死にたくなったりする)、躁状態はもっとつらい
躁状態の時は異常に気分が高揚して無敵状態みたいな気持ちになる
スーパーマリオでスターを取ったときみたいな
わかるかな?
パワーに満ちて寝なくてもずっと動ける気がする
そしてやたら饒舌になるんだけれど、頭の中で考えがどんどん飛躍するから、急に途方もないことを言い出したり怒り出したり、ギャンブルとか浪費をしてしまったり、躁状態のほうが社会生活が送りにくいし、明らかに周囲から「異常」という印象を持たれてしまうんだよね
そして躁状態は突然終わりを迎え、バタンと倒れ込むように動けなくなる
まるで電池が切れるみたいな感じだ
だから、薬で躁を抑えるんだけれど、逆にうつもあるから、コントロールがとても難しい
なんとも付き合いにくい病気だ

今は明らかにうつ状態で全然動けない
なにもやることがない
それでふと思いついて、

「どうして自分はこんなに苦しい生を生きているのだろう」

ということを真剣に考えようと思っている
もちろん今までだって何度も考えてきた
何度も何度も

でも今回はもっと根本的に、自分の人生を顧みてみようと思う
自分が生まれてから今現在まで
その間に自分はどんな風に出来上がって、そしてどんなことがどう影響して、こんなに生きることが難しくなってしまったのかということを考えようと思う
今、僕はちょうど一般的な日本人の寿命の半分くらいの年齢になった
もともと僕はあまり長生きがしたいと思うタイプではないし、だいたい60歳くらいまで生きればいいなと思っている
もっと言えば、息子が成人するまで生きられればそれで十分だと思っている
だから、そろそろ、この碌でもない自分の人生とちゃんと向き合ったほうがいいんじゃないか、そう思っている
これがこの長ったらしい文章の主題だ

うまく結論みたいなものに到達できればいい
うまくいくかな
別に、それで残りの人生が明るく楽しいものになるなんて夢みたいなことは思っていない
ただただ、この苦しみに満ちた人生に折り合いをつけたいと思っている
そうしないことにはどうにもこうにも気が済まない

この文章を、いつの日か僕の息子が読む日が来るかもしれない
来ないかもしれない
もし読んだとしたら、そうか、自分の父親はこんなことを考えて生きてきたのかと、彼と僕の関係性に折り合いをつけられるように、できるだけ正直なことを書きたいと思う

(続)


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