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精神疾患の話、父の話(3/n)

(承前)

僕には親友と呼べるような人がいない
親友どころか、友達と呼べるような人すらほとんどいない
今現在もそうだし、これまでもずっとそうだった
記憶をたどる限り、幼少期から現在におけるまで友達と呼べるような気の置けない友人はいなかった
恋愛は普通にできる(と思う)
それなりに付き合ってきた人は学生時代から何人かいるし、離婚したとはいえ結婚もした
どうなんだろうな、どうやら僕には同性と仲良くなるという能力が著しく欠如しているんじゃないだろうか

そんな僕でも、今まともに話をすることができる人がふたりいる
ひとりは元配偶者で、もうひとりは会社の同僚だ
どちらも女性だ(元配偶者が女性なのは当たり前だけれど)

色々細かい話はあとにするとして、この話の主題のある種の解答みたいなことを先に言ってしまうと、どうやら現在僕が生きにくい人生を送っている原因の大きな部分は、僕の両親との関係性によるものだということらしい
彼女らふたりの話と、そして僕自身がこれまでにいろいろと考えてきたことを総合するとそういうことになるのだ
最近よく「毒親」という言葉を耳にすることがあるけれど、僕はその言葉の正しい定義をよく知らないから僕の両親が毒親に当たるのかどうかは定かではないけれど、少なくとも虐待やネグレクトを受けたということはない
だからあくまでも「僕と両親の関係性」ということになるのだろうと思う

僕の両親の関係性というのは、僕が幼いころから感じていた窮屈さとか、生きづらさとか、虚しさとか、そういう話につながることなんだろうと思うんだよね
「関係性」といったってなにせ両親とはもう何十年もの付き合いだから、一言で「こういうことが原因なんだよね」と説明することはとても難しいし、そんなことができるのなら僕は初めから精神を病んだりしていないと思う
だから、僕のこれまでの人生を改めてここで確認していきたいと思う
もちろん、自分自身のために、ということだ
この文章は僕自身の精神のための文章だし、(もし読むことがあればということだけれど)僕の息子のための記録だ

これは僕と、僕の家族についての話だ
とても長くてそのうえ恐ろしく退屈な話だろうと思うけれど、(もしこの文章を読んでくれる人がいるとしたら)なにか酒でも飲みながら気軽に読んでもらえたらとてもうれしいな


僕は北海道の田舎町で生まれた
昭和の後半の話だ
北海道のちょうど真ん中くらいにある町で、家は水田に囲まれていて父方の祖父母は農業を営んでいた
ごくありふれた田舎の貧しい米農家の分家だ

僕の父は三人兄弟の末っ子の長男として生まれたのだが、北海道内の三流の私立大学を卒業すると農業を継ぐでもなく、いろいろな職を転々とした
アパレルとか、自動車のディーラーとか、食品メーカーとか、業種はばらばらだったけれどとにかく営業職をやっていた
きっと事務所にじっと座って作業をするのが得意ではなかったんだろうな
そんな風に職を転々とする中で僕の母となる人と出会い職場結婚をすることになる

僕の母も北海道の出身だ
札幌から遠く離れた貧しい港町の個人商店の娘だ
彼女の両親は、当時としては珍しいバツイチ同士の再婚で、互いに連れ子がいて(彼女は父親側の連れ子だ)、そのうえ彼女の両親は再婚後にもさらに子をもうけているから兄弟がやたらと多い
多分10人くらいは兄弟がいるんじゃないかな、僕はいまだに彼女が何人兄弟なのかわからないし、名前も知らない叔父や叔母や、そしてその子どもであるたくさんの従兄弟がいる(僕には名前どころか、生きているのかどうかすらわからない)
彼女もまた北海道内のあまりぱっとしない短大を卒業して、のちに僕の父と出会うことになる会社に事務員として就職した
あまり裕福ではなかったことは想像に難くないけれど、彼女はあまりその頃の話をすることを好まない

母は結婚後数年すると僕を身ごもり、さらにその数年後に僕の妹という人を産み落とすことになる
しばらくの間は父の実家の農家に三世代で暮らしていて、あまりお金はないけれど農家だから食べ物には困らないというような生活をしていた

僕はこのころの記憶はほとんどないんだけれど、祖母がとてもやさしい人だったということをよく覚えている
彼女の三人の子のうち長女と次女にも孫はいたけれど、長男の子で同居をしているということもあって、祖母は僕をとても甘やかした

さっきも書いたけれど、この祖父母の家というのはとても田舎で、僕のまわりには同じ年代の子どもというのがほとんどいなかった
そのうえ僕は運動音痴で田舎者のくせに虫が嫌いで、性格も臆病だったから、外遊びみたいなことはほとんどせずに、時々回ってくる移動図書館(小さなトラックに本をたくさん積んで図書館や学校がない地域を回るサービスがあったんだよね、きっと町で運営をしていたんだと思うんだけれど)でドラえもんみたいな漫画なんかを借りては家で黙々と読んでいた
とても地味な子供だったな

そんな風に田舎で暮らしていたのだけれど、おそらく父の転職とかそういったことが理由で、僕が小学校へ上がるタイミングで、両親と僕と妹はその田舎町を出て札幌に引っ越すことになった
あるいは、父は札幌に出て一旗揚げようみたいなことを考えたのかもしれないな(実際彼は札幌に出てその後立派に一旗揚げることになるのだから僕の想像は当たらずとも遠からずだと思うんだよね)

もちろん、父がひと財産を築くのはもっと後になってからのことであって、札幌に出た当時はたいして金なんてなかった
それくらいのことは小学生にだってわかるもんだよ

いわゆる外階段の木造アパート、それが僕たちの札幌での新居だった
家賃が安くて小学校からとても近いということだけが取り柄みたいなアパートだ
そんな風にして僕は札幌という街にやってきた
昭和が終わる少し前のことだ

(続)


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