映画「トゥルーマン・ショー」を見た感想(ジム・キャリー主演)
10代の頃に3回くらいは見た記憶がある「トゥルーマン・ショー」を英語の勉強のために見ました。
若いジム・キャリーは久しぶりです。
だいぶネタバレも含まれますが、感想を述べていきたいと思います。
ここからはネタバレあるので要注意です。
トゥルーマン・ショーは、ジム・キャリー演じるトゥルーマン(主人公である青年の名前)の意思決定に着目した映画だと思っています。
トゥルーマンは、離島の「シーヘブン」という街で保険会社の営業マンをしている若い青年です。
この島で生まれて、この島で育ち、この島で就職して、今に至っています。
近所の人たちとも仲良くしていて、子どもはいませんが妻はいます。
あとは幼馴染のマーロンもいます。
しかし、実は彼以外の全ての人間が俳優であり、エキストラなのです。
トゥルーマンは子を望まぬ母から生まれたいわば捨て子であり、トゥルーマン・ショーというテレビ番組のために引き取られた子であって「法人と無理やり養子縁組をした子ども」でした。
つまり、法的な意味での親はテレビ番組を放映している法人です。
彼は、母親のお腹にいる時点からずっと、生活のすべてをテレビ放送され続けています。
生まれたときも、初めて立ち上がったときも、小学校に入るときも、大学に入るときも、卒業するときも、就職のときも、働いているときもずっとです。
彼の周りには約5,000台の隠しカメラが設置されていて、彼の日常をずっと映し続けて、かつ、全世界にライブ配信しています。
それを知らないのは彼だけです。
この時点でぶっ飛んだ発想の映画だと思いますし、初めて見たときはドン引きしました。
1998年の映画ですが、私が初めてこの映画と出会ったのは17歳か18歳頃だったと思います。
TSUTAYAかGEOで借りて見たのか、それともテレビで見たのかは思い出せないです。
でも、若い頃に何度か見たという記憶があります。
大人になって改めて見た感想としては、やはり発想が凄いなと思います。
一人の人間の出生から現在までをずっと映し続けてるというプライバシーや権利意識の欠片もない発想がまずぶっ飛んでいます。
でも、ギリギリあり得ると思うのです。
私はほぼ見ていませんが、昔あったフルハウスという海外ドラマとか、ハリー・ポッターシリーズなども近いものがあります。
小さな子どもたちを役者として長編シリーズに起用し続けると、どうしてもその側面が出てきます。
それを100倍くらいの濃度で、本人の同意も得ずにやっちまっているのがトゥルーマン・ショーという映画の世界です。
彼が見てきた人生のすべてが演出であり、作り物であり、他人なのです。
母も父も、幼馴染の親友ですらも、すべて他人であり、俳優です。
彼は少しずつこのことに気づき始めます。
自分の生活で起こる様々な不自然によって混乱していき、真実に辿り着こうと藻掻きます。
最終的には、カメラの網を掻い潜って海に出て、街からの脱出を試みます。
しかし途中で見つかってしまい、制作者側が仕掛ける作り物の嵐や強風を受けて、船が転覆しかけます。
彼はそれでも引き返さず、最終的には街の終わりまでたどり着きます。
正確には、自分が乗ったボートが海の端っこに到達して、空の色が描かれた壁を突き破るのです。
彼が生まれ育ったシーヘブンという離島は、島と海の一部を丸ごと覆った超巨大なドーム型のセットだったという話です。
トゥルーマンは、自分が巨大な鳥かごの中で生きてきたのだという事実をここで初めて確信します。
そして、壁につたって歩き続けて、外へ繋がっていると思われる階段とドアを見つけます。
そこでトゥルーマン・ショーの監督と初めて話して、引き止められますが、彼は外に出ていくことを選びます。
映画はこれで終わりです。
若い頃、私はなぜかトゥルーマン・ショーを気に入っていました。
それは、トゥルーマンが自分と似たような境遇だったからだろうと思います。
私は被虐待児だったのと、あまり社交的ではなかったことが合わさって、ほとんど他人と関わらずに大人になりました。
仲の良い同級生も極端に少ないですし、小学校や中学校の記憶も曖昧で、顔と名前が一致する人も極々わずかです。
駅もない田舎で育ったので、知っているのはその地域の人間が悪い意味で危ないということだけで、外の世界のことは何も知りませんでした。
ちなみにインターネットも当時はエリア外の地域だったので、私の家にはPCもなかったですし、当然にインターネットもありませんでした。
私はその後20歳頃に東京に出て、初めて社会というものに触れて人間というものを知っていきます。
運良く東京の優しい人達と出会えたので、世の中には良い人もかなりいるのだということ知れましたが、トゥルーマンはあのドアを出て、どんな人生を歩むのでしょう。
映画ではあえて描かれなかった未来です。
そこが気に入っているのだろうと思います。
言葉で表現するのが難しいですが、希望だけを残して終わってくれた感じがしたのです。
私自身の経験として言えることですが、閉ざされた世界から外の世界に行くのはとても怖いことです。
どんなに劣悪な環境でも、20年近く過ごすと慣れてきますし、かなり強めの洗脳を受けて育っているので、劣悪な環境を「普通の環境」だと強めに錯覚しています。
むしろ当時の私は「自分は恵まれている」とすら思っていました。
それに加えて、学歴もお金も知識も経験もない自分が、全く知らない外の世界(コンクリートジャングル東京)で何とかやっていける保証もありません。
私には親戚もいなかったので、トゥルーマンが外に出るあの瞬間と同じです。
それでも彼は笑顔でドアから出ていきました。
そこに自分を重ねていたのかもしれないです。
当時の私は今ほど鋼メンタルではなかったので、不安や恐怖に支配されそうになっていたのだろうと思います。
それでも外に出るという勇気を持って生きていきたいとは思っていたので、この映画が刺さったのかもしれません。