同僚と、湯治に行く①【激痛とアトピーを治す】
「湯治に連れて行って下さい」
勤務先の後輩であるHから連絡が来たのは、8月の上旬。5年前から同部署で働く彼は、アトピー性皮膚炎を患っている。
幼少期から続くという闘病。昨年の夏以降、明らかに病症が悪化しているように見受けられた。
聞くと長く罹っていた皮膚科を転院し、その治療法を大きく変えたのだという。彼が挑んでいたのは「脱・ステロイド」。
年々作用が強くなる薬、当然副作用もそれに比例する。薬剤耐性ができてしまい、更に強力な薬を投与するか、断薬かの選択を迫られたそうだ。
彼は自然療法に切り替える道を選んだ。糖質制限のため米やパン、麵類も一切断っていた。
社内での昼食もプロテインやサラダチキンなど。さながらボクサーの減量生活のようだ。身体もどんどん小さくなっていっていき、流石に辛そうだった。痒さから睡眠もロクに取れていないと聞いた。
皮膚のことは分からないが、私も全身痛のため10年以上睡眠障害を抱えており、全く眠れない日もある。その苦しさはよく分かるつもりだ。
そんな彼とは一時、頻繁に温泉に行っていた。転院先の医師から薦められたという温泉療法。辺りを見渡しても、私より温泉に明るい人間はいなかったようだ。
彼が温泉に求めたのはリフレッシュではなく【治療】。熱心に私に教えを請う4つ年下の彼、何とかしてやりたいと思ったものだ。
ある時、皮膚科が薦める温泉一覧の画像が送られてきた。AからトリプルAまで評価が格付してあり、主に植物性の油を含む「モール泉」が多載されていた。
西東京に住む彼はモール泉の宝庫である山梨に度々足を運んでいた。
だが、肌に合う源泉とそうでないものがハッキリ分かれたという。入った瞬間に痒くて退館してしまう湯もあったそうだ。
私が昨年連れ立った「新菊島温泉(※福島県、今年春に閉館)」は、上質なモール泉だったが、一瞬で痒くなってしまったという。まだこの頃は、傾向が掴めずにいたようだ。
そして昨年秋、彼は一念発起し北海道にある日本最北の温泉地へと湯治に発った。こちらも日本屈指のモール泉。皮膚疾患者専用の宿泊所もあり、必要な手続きを踏めば医療費控除も受けられる温泉地だった。
約2週間の湯治。快癒を同僚皆で願っていたが、到着から数日後悲報が届く。都度容態は聞いており、なかなか快方に向かっていない様子だった。
そして1週間経たずに皮膚が化膿し、伝染性膿痂疹を発症してしまったという(施設の配湯に問題があるわけではない)。高熱に魘され、結局それ以降は温泉には浸かることが出来ず、志半ばで湯治を終えてしまう。
本人が一番辛かっただろうが、私もショックだった。それ以降、彼とは温泉には行っていない。
あれから約1年。私は11月に容態を崩し入院、現在も出社は控えテレワーク状態。未だ明らかにならない血液異常の究明を待つ。その間彼は糖質制限の効果が出た模様で、随分肌の調子は回復していた。
湯治を再び薦めたのは、年上の奥さんからだったという。現在第二子を授かり、12月に出産を控えている。2人目が生まれる前に、もう一度行ってみたらどうかと助言があったそうだ。
私も連日の通院が一旦落ち着くころ、9月13日から1週間、二人で湯治に出ることを決めた。勿論、他人と行くのは初めてのことだった。
さて、問題は何処へ行くか。判断は私に委ねられた。
過去に彼と回った温泉地。抜群に効果があったという「駒の湯山荘(新潟)」と「大塚温泉(群馬)」。どちらも成分が薄いとされるアルカリ性単純温泉だ。
無色透明、泉温は33度。一見ただの水道水と見分けがつかないが、恐ろしいほど私の全身痛にも効く。そして、多くの皮膚病患者が訪れる湯だ。
家の水道水も痒くて入れないという彼。だが確かに両温泉に浸かった時は、時々眠りに堕ち90分入っていた。
だが駒の湯山荘は電波が入らず、大塚温泉もWi-Fiがない。悲しき現代人の習性、1週間の電波断ちは現実的ではない。諸条件を整理し、目的地は一択に絞られた。
「磐梯熱海温泉」
私も7月に湯治で訪れているこの地。私は全身痛を治療したが、「湯元元湯」は数多の皮膚病患者を平癒へ導いてきた霊泉。泉温は30度台前半。
駒の湯山荘と大塚温泉が効いたのであれば、元湯源泉も必ず効くはず。私には絶対の自信があった。
「よしっ、行くぞ。相乗り湯治。高速代、ガソリン代折半は好都合」
「全身痛とアトピー、纏めて治す」
今回は私の愛車、1126(イイフロ)号で。浦和インターから東北道に入り、北へ北へと向かった。
令和3年9月15日
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