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源泉回顧録【下部温泉湯治④完結 湯治場での出会い】

<前回はこちら>

 ※こちらの記事は2021年3月の日記を加筆修正したものです。

 「源泉館」の館内は通電状態が悪く、勤務を調整し湯治に徹することに。
主治医の指導もあり、1日3回は散歩に出た。有酸素運動をしないとひざ痛はどんどん悪化してしまうという。

 毎朝熊野神社の参拝から始まり、その後下部川沿いを歩く。こちらの標高は250mほど、両翼を山々に囲まれた一本道。このころ気候も良く、空気も澄んでいて足がいくらか軽いようだ。
 この散歩中はマスクはポケットに。まあ見渡す限り人がいない。目を細めようやく視界に人が映ると着用するという具合だった。心身の療養にはベストな環境だった。

 
 部屋に戻り朝食。その後はとにかく湯に浸かる。一度入ると1~2時間程度。これを一日3回繰り返す。部屋にいるときは布団に横になり、軽くストレッチをする程度。こんな日々の繰り返しだけでも、全身痛は次第に治まっていった。

 
 いつもの散歩道のゴールは、下部温泉駅近くの「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」という施設。この一帯はかつて「武田信玄の隠し金山」とも呼ばれ、江戸時代まで操業していたそうだ。歴史的、学術的価値が高いとのことで建立されたという(結局中には入っていない)。

 ちょうどその建物の付近から岩場に繋がる小路がある。到着から3日目、足の調子が良く岩場に降りてみた。すると下流からウェーダー姿の釣り人が向かって来る。
 この方、毎日源泉館の岩風呂で一緒だった方だ。
 
 風呂場では黙浴が徹底されており、話すことはなかったが、お互いすぐに気が付いた。川崎から来たという男性。ヤマメを狙って3日間、未だボウズだという。
 自由が丘で40年料理人をしていたというこの方、リタイア後に始めた釣りにハマり、度々下部川や早川でヤマメを狙うそうだ。長年の立ち仕事で腰を痛めたようだが、定期的に下部温泉で湯治を行っているという。

 廃れ行く湯治文化、温泉を必要としている方と出会うとホッとする。この源泉館も、いつまでも残してほしい湯治場の一つだ。 

  
 下部温泉では昼食だけは手を焼いた。シャッター街と化した温泉街。頼みの駅前の食堂が休みとあり、まともに空いているのは街外れにある「かど久」という蕎麦屋だけ。だが、不定休で空いていない日もあった。

 あまり街からは出たくなかったが、隣駅の甲斐常葉には1件定食屋があり車で向かった。
 ボロ食堂は慣れているが、結構ヘビーな外観の「正風軒食堂」。一見営業しているのかどうかも分からないが、ダクトから煙が出ているので入ってみることに。 
 
 カウンター4席とテーブル2席の店内、先客がいた。風体や会話から、アニメに精通している方々と思われる。
 こちら下部温泉を中心とする身延町は、アニメ「ゆるキャン△」の舞台となっているそう(初耳)。このアニメをきっかけに身延町の知名度は一気に上がり、350万円(2015年)だったふるさと納税額は、昨年2千万にも達したという。

 原作やドラマ化の際にも登場する食堂らしく、新宿駅発の1泊2日のモデルコースのルート(下部泊で2日目にこちらで昼食)にもこの店が入っていた。過疎化が進む温泉地において、アニメは町興しの一翼を担っているようだ。
 名物はチャーシュー麺、流石にそこまで完食する自信がなくラーメンを注文。昭和の食堂の雰囲気込みで美味しかった。


 3日目の夜からは、源泉館向かいの「橋本屋旅館」へ引っ越し。危惧していた源泉館のWi-fiの問題、橋本屋は全室に対応していることを確認していた。  
 まだ建て替えたばかりだろうか、清潔感漂う館内。ご主人と子育て奮闘中の明るい若女将の歓迎に癒される。こちらは素泊り、一人利用可、5千円台~のプランがあり連泊で利用した。

 案内していただいたのは下部川沿いの10畳間。広い部屋で通信環境も良く仕事が捗る。風呂は毎日朝昼晩と3回湯に浸かった。加温小浴槽(40度)と、大浴槽(32度)交互浴を存分に楽しんだ。湯はかけ流しと循環の併用、消毒液臭はなかった。
 
 浜松から湯治に来ているという60代のTさんとは、毎日朝晩は同浴だった。脊柱管狭窄症という難病を患い、重度の不眠症と激痛に悩まされているという。何とこの方とは服用している薬が全く一緒だった(当時)。
 「リリカ」と「マイスリー」。すぐに意気投合した。他には客はおらず、この方とほぼ同じ時間湯に浸かっていた。                   

 高校時代には掛川西校の野球部にベンチ入りし、甲子園の打席にも立ったという。かなりがっしりとした肢体だが、近年は身体の不調から年に数回こちらで湯治をするそうだ。1週間ほど滞在すると、随分身体に変化があるという。

 帰りの日も同じタイミングだった。暇だから一緒にまたどこかで温泉を巡ろうと約束(湯治をしているとよくある。)おじさんは紙に電話番号と住所、名前を書いて渡してくれた。
 私は温泉ソムリエの名刺を差し出す。

 「じゃ、またね、またいつでも電話ちょうだい」
 「楽しかったです。またどこかで」

 何故かこの手の約束は、果たされたことはない。
お互い気を遣い、電話できずにいるのだろう。あれだけ湯治場で親しくさせてもらったのに、、都会に戻ると人見知りのサラリーマンに戻って行く。
 湯治場とは不思議な空間だ。

                           令和3年3月頃

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ヨシタカ
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