平等に育てるってどういうこと?
個性の違う二人の子
我が家の娘は10歳になり、学校で半成人式という行事があります。
それに向けて、
生まれてからの10年間を振り返り、未来の自分を想像する
というような作業をしているようです。
15歳になる息子の時も同じ行事を経験しているのですが、
子どもが違えば全く同じってことはないんだなぁと実感しています。
もちろん10年の成長を感じるところはそれぞれあるのですが、
子ども自身の反応も考えも全く違うんですよね。
個性が全く異なる我が子の子育て、
「ともに同じように平等にしてきたか?」
と言われると、
「NO」
と即答します😂
勘違いのないようにいうと、
差別をしてきたとかではないですよ。
同じ時間を費やし、
同じだけの手助けをして、
同じ子育ての行動をしてきたか。
というと、全くしてこなかったと思います。
一人目と二人目、そりゃ違うよね。
といえばそうかもしれませんが、
それで済ませてはいけないとも思うんです。
”平等な子育てってなに?”
ただ、”平等”ってなんでしょうね?
実は、私は”平等とは?”って、子どもの時からずっと考えているワードなんですよね。
私には姉と兄が上にいて3番目の末っ子として育ちました。
従順な上二人とは性質が全く違い、好奇心旺盛で反抗心の強い自分の意志が強い子どもだったんです。
そんな私が、
「私、これやりたい。」といえば、
「お姉ちゃんも、お兄ちゃんもしていないのに。」と言われ、
「なぜ、私はやりたくもないのにこの習い事をしないといけないのか?」と聞くと、
「お姉ちゃんもやってきたから。」という答えでした。
「子育ては平等にしなければならない、上にしてないことをあなただけさせられない」という母の考えです。
私の中に生まれた疑問は
「生まれた順番は私は選べないのに、それって不公平じゃない?」
そして、それは不満に変わり、反抗心の強い私のエネルギーにもなるわけで、
親の意思にしたがってなんかなるもんか!!という思いを行動に表す思春期を過ごすわけです。
親の制御をはねのけて、自分勝手にする私を見ていた姉からは
「自分の時は許されなかったようなことを妹はしている。ずるい。」と言う。
これ、今の流行りで言うと「兄弟ガチャ」とでもいうのかな?笑
”平等とはなにか?”に話を戻すと、
母は【同じもの(機会)を与える】ことを平等と表現していました。
でも平等を与えられたはずの私や姉は【不公平だ】と不満ばかりを募らせる。
きっと母は子どもたちのことを考えて、育てているのになぜ文句ばかり言うのだろうか。と思っていたのではないでしょうか。
歯車が噛み合わないそれぞれの思い
この歯車が噛み合わない理由の一つに
【満たされたいことの違い】があると思うんです。
満足するのに求めることが違うのだから、
与えられたいことも違って当然ですよね。
でも、その違いの先にある”満たされ感”は平等に得られることなんじゃないか
というのが、子どもの時から考え続けた答えです。
だから私はあえて平等な子育てをしない
私自身、違いのある二人の子育てするのに大切にしたいのは、
【本人が納得感のある選択をすること】を応援する関わりをしていきたいと思っています。そのために関わり方自体をそれぞれに合わせて変えること、あえて同じであることをしないし求めない。
でもその関わりが正しいのか否かは、
子どもたちそれぞれが【満たされる関わりをしてもらえた】と感じているか?
なんですよね。
子ども自身のなかに生まれる答えは私が変えることはできません。
何をするかの表面上の平等にこだわるより、子ども自身が得られる”満たされ度”を上げるためにできることを考えた時に、コミュニケーションを学び続けることにたどり着きました。
あと5年もしたら、子どもたちから答え合わせを突きつけられることでしょう。
その時どんな思いを聞けるのかな。
あなたにとって「平等な子育て」とは?
子どもとの関わり方のポイントを学びながら考えてみませんか?
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**納得感のある子育てをしたい方に**
「ペアレンツ(マザーズ)コーチング」
「ペアレンツ(マザーズ)コーチング+plus(プラス)」
*子どもたちそれぞれを大切にした子育て
*変化の中で子どもの自己肯定感を下げない親子関係を育む
*転勤族を負い目に感じず子育てする
*子どもが能力を開花することを親として邪魔しない
そのために、どういう『関わり方』をしていくのがベストなのか?
を、考え実践していくプログラムです。
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マザーズコーチングプラス
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TCS認定コーチ
マザーズティーチャー
PAA認定パートナーシップコーチ
村田 史子